再 会
* * * 1 * * *
「楽俊、お客人だぞ。──別嬪さんだ」
鳴賢がにやにやして呼びに来た。楽俊は首を傾げる。
別嬪さん? そんな知り合いはいない。
陽子が、と一瞬思った。が、凛々しき武断の女王には「別嬪」という形容詞は似つかわしくない。いったい誰だろう。
「楽俊!」
客人は楽俊の姿を認めると、懐かしそうに目を輝かせ、優雅に拱手した。紺青の髪がさらりと前に流れた。思わず目が釘付けになる。別嬪というに相応しい、美しき娘。
──陽子。
楽俊は思わず小声で呟いた。いや、陽子でないことは分かっている。この娘は、柳で出会い、旅をともにし、慶の国境まで送った、元芳国公主祥瓊だ。祥瓊は少し不安げな眼をして声を上げた。
「楽俊、お久しぶり。私を……覚えている?」
「──祥瓊。見違えちまったぞ」
楽俊はようやく祥瓊に言葉を返した。祥瓊は嬉しそうな笑顔を見せた。一緒に旅をしていた頃の屈託を払拭した、その晴れやかな笑み。
ああ、そうか、と楽俊は納得する。それはかつて陽子が見せた笑みと同じだった。楽俊は、陽子と旅をしたときと重ねていたのだ。
巧から雁への旅の途中、妖魔に襲われて、楽俊は陽子とはぐれてしまった。その後、烏号で再会した陽子は、こんな笑みを見せた。手負いの獣のようだった陽子が、抱えていたものを吹っ切って見せた鮮やかな笑み。今の祥瓊と同じ、屈託のない笑顔──。
そして楽俊は思い出す。祥瓊を陽子と呼んだのは初めてではない。柳で出会ったとき、荒んだ切羽詰った様子の祥瓊に、楽俊は陽子を見たのだった。
放っておけない。
そう思い、旅の道連れを申し出た。無論、祥瓊は驚いた。けれど、楽俊は怯まずに笑った。おいらはそういう星回りなんだ、と。
「約束どおり、慶の様子を報告しに来たわ」
美しき客人はそう言って華やかに笑う。世を恨み、我が身を嘆いていた頃とは別人のように。
なるほど、確かに別嬪だ。
楽俊は密かに感嘆した。そんな祥瓊の姿に、大学の男連中の目が集まってきた。
「なんだか、悪目立ちしてるみてえだな。場所を変えよう」
祥瓊は笑顔で頷く。楽俊は背中に冷やかしの歓声を浴びながら、祥瓊を連れて関弓の街に降りたのだった。
* * * 2 * * *
「慶はどうだった?」
「──荒れていた。でも、若くて、これからどんどんよくなる国だわ」
賑やかな店に腰を落ち着けて、楽俊は祥瓊に問うた。端的に感想を述べ、祥瓊は笑顔を見せる。楽俊は、ほっと息をついた。
「そうか。あいつ、頑張ってるんだな」
「──景王のこと?」
「うん。生真面目な奴だから」
胸に親友の鮮やかな笑みが浮かんだ。懐かしげに語る楽俊に、祥瓊は感慨深げに微笑む。そして、おもむろに語りだした。
「──楽俊と別れた後、和州に向かったの。土地をくれると聞いて」
和州止水郷に行けば誰でも土地がもらえる、荒民の中にはそんな噂があった。何も持たぬ祥瓊はその噂を信じて止水に向かった。
旅の途中でつくづくと感じた。慶の荒れ方は、芳と比べると、そう酷いものではない。けれど、雁とは比較にならない。豊かな雁から戻った荒民たちは、己の国の荒れように目を見張り、詰るのを止めなかった。祥瓊は実感したのだ。
これが、王の格の違いなのか、と。
「──薄ら寒い思いがしたわ。厳しい王が立つと民は不幸だって楽俊が言ったわけが分かった……」
王のいなくなった芳は、王が起ったばかりの慶よりも荒れていくのだ。
祥瓊はそう言って大きく息をつく。楽俊は黙して頷いた。
そして辿りついた和州の都で、祥瓊は過酷な刑を見た。磔刑にされた人を、この目で、実際に。堪らずに石を投げて、官吏に追われた。
「でもね、助けてくれた人がいたの」
祥瓊は楽俊を見つめ、嬉しげに微笑む。それから、その人たちとともに圧制を強いる酷吏を討つ内乱に加担したのだ、と語った。
「──王はだめだ、と言う人がいたわ。けれど、私は景王を信じると答えた。だって、楽俊があれだけ気にかけた人なんだもの」
そう言って祥瓊は鮮やかに笑う。楽俊は慌てて首を横に振った。陽子は、信じるに足る王だ。けれど、それは楽俊とは関係のない話。が、祥瓊は楽俊を見据えて続けた。
「私が知ろうともしなかったことを、楽俊は分かりやすく教えてくれた。そんなことをしても、楽俊にいいことなんて何ひとつないのに。──だから、私は楽俊を信じるし、楽俊の友達ならば信じられる人なんだと思うのよ」
人を信じるってそういうことでしょう、と祥瓊は言った。
陽子。
楽俊はまた胸で呟く。玉座に就き、偽王と戦う決心をした陽子もまた、こんな顔をしていた。
「──そうだな」
輪が、拡がっていく。こうやって、少しずつ。
楽俊は感慨深く頷いた。祥瓊は、話を続けた。
酷吏を討つことが内乱の目的ではなかった。あくまでも、王に現状を気づいてもらうための手段だった。明郭で息を潜めて決起を待つうちに、拓峰で叛乱が起きた。祥瓊たちはその助勢に向かい、州師を拓峰に引きつけた。その隙に、明郭が反旗を翻したのだ。
「──結局、王が禁軍を出して内乱を鎮めてくださったの。犠牲は少なくなかったけれど、王に気づいてもらうことはできたのよ。酷吏は更迭されたわ」
「そうか……」
祥瓊の笑みに、楽俊は緊張を緩めた。そんな楽俊を前に、祥瓊は居住まいを正した。
* * * 3 * * *
「王は、金波宮に巣食っていた豺虎を退治したそうよ」
そして新たな官を求めているのだ、と祥瓊は真摯な顔をして言った。楽俊は黙して頷く。祥瓊は大きく息を吸い、じっと楽俊を見つめた。
「──私、内乱を一緒に戦った人たちと、金波宮に伺候することになったの」
「そうか、よかったな」
陽子──。
祥瓊の話を聞き終えて、楽俊は胸で親友の名を呼ぶ。即位式の頃の鬱屈した様子を思い返した。
でも、お前は今も頑張ってるんだな。きっと、いつも毅然と前を見つめて。
楽俊は笑みを浮かべた。祥瓊は淡い笑みを見せて続けた。
「けれど──私は、犯した罪を償わなくてはいけないと思うの。そうすると、もしかして、もう会えないかもしれない。だから……その前に楽俊にお礼を言いたくて」
「祥瓊……」
元芳国公主は供王の御物を盗んで逃げ出した──。
楽俊は祥瓊に初めて会ったときのことを思い出していた。あのとき、祥瓊は楽俊を罪の道連れにしようとするくらい荒んでいたのだ。
「今なら、供王に意地悪されたわけも分かるわ。私は、公主のすべきことをしてこなかった、ということも。だから、恭に行って、きちんと罰を受けてくるわ」
祥瓊は決然とした笑みを見せる。盗みで死刑になるのは芳くらいだと教えてくれたわよね、と付け加えて。楽俊は笑って頷いた。
「罪を悔いて自分から罰を受けるのなら、供王もきっとお許しくださるよ。気をつけて行ってこいな」
祥瓊は笑って首肯した。それから、躊躇うように楽俊を見つめる。楽俊は視線で祥瓊を促した。祥瓊は小さな声で続けた。
「──景王に目通りが叶うかどうか分からないけれど……もし、伝言があれば」
延麒から陽子の家出を聞かされたときは驚いた。けれど、陽子は何かを掴んで王宮に戻ったのだ。そして、内乱を平定できるくらいに王らしくなったのだ。そう思うと感慨深かった。
「うん。もしあいつに会えたら、頑張れよ、おいらも頑張ってるから、と伝えてくれ」
「分かったわ」
楽俊が笑顔で答えると、祥瓊は花のような笑みを見せて頷いた。そのとき、楽俊は確信した。
祥瓊は、きっと陽子のよい友になるだろう、と。
陽子、頑張れよ。
思いがけない再会を終えて、楽俊はまた親友の鮮やかな笑みを思い浮かべた。後日その友の動向を詳細に聞かされることになるとは、このときの楽俊は知る由もなかったのだった。
2008.01.25.
長編「黎明」余話、短編「再会」をお届けいたしました。
はい、年初に拍手連載したものでございます。
ちなみに、この後は「黎明」最終回最終章に続いたりいたします。
このお話をぼんやりと頭に浮かべながら「黎明」最終回を書いたのが昨日のことのよう。
けれど、もう2年近く経っているのですね……。月日が経つのは速いです。
子年の内に仕上げたい作品でございました。
早々に書き上げることができて嬉しく思います。
お気に召していただけると更に嬉しいです。
2008.01.25. 速世未生 記