takayosi-HAHAさま「18万打記念リクエスト」
夏 風
* * * 1 * * *
風が吹き抜けていた。空は鮮やかに青く、山は濃い緑に覆われている。北東の雁州国にも爽やかな季節が訪れた。北国に住まう人々は短い夏を謳歌していた。
いつもの如く軽装で王宮を抜け出して、延王尚隆は王都関弓を闊歩する。久しぶりに訪れた街は、相も変わらず賑々しく、活気に満ち溢れていた。
賑やかな広途を折れ、気の向くままに串風路に入る。喧騒から少し離れた細い道沿いにも洒落た店が立ち並び、行き交う旅人の目を楽しませた。勿論、尚隆の目をもだ。そんな中で。
ちりちり、ちりちり。
どこからか涼しげな音がする。尚隆はふと足を止める。初めて聞くようで、どこか懐かしい、その音。しばし聴き入る。いったいどこから聞こえてくるのか。尚隆は辺りを見回した。
それは風鈴だった。小さな店の軒先に、玻璃でできた風鈴が下げられている。そうして、風が吹く度にちりちりと涼やかな音を立てていた。
丸い玻璃には金魚が描かれていた。風に揺れる赤い金魚は、楽しげに泳いでいるように見える。それは、鮮やかな緋色の髪を翻して駆ける伴侶を思い出させた。尚隆は唇を緩め、風鈴を眺めた。
興を覚え、間口の狭い店に足を踏み入れる。中には見事な玻璃細工が所狭しと並べられていた。目を上げると、表のものとは違った絵柄の風鈴が、幾つも下がっているのが見えた。
己の知っている風鈴は、どれも金属製であった。音は高く澄み、長く尾を引いた。それは涼を感じさせるものだったが、透きとおった玻璃の風鈴は、音も姿も涼しげだ。
「いらっしゃいませ」
「玻璃の風鈴とは珍しいな」
展示されている風鈴に目をやり、尚隆は店主に話しかける。店主は快活に答えた。
「蓬莱風ですよ」
「海客なのか?」
「いいえ。でも、その風鈴は、海客が作ったものなのです」
まだ若い店主は、そう言って爽やかに笑った。蓬莱で玻璃細工を作っていた職人が流れた末に関弓に居つき、腕を揮っているのだという。聞いて尚隆も笑みを浮かべた。蓬莱生まれの伴侶がこれを見たら、懐かしがるかもしれない。
「表の赤い金魚が可愛らしかったものでな」
「あれがお好みであれば、お包みしますよ」
「目を、翠にすることはできるかな?」
「勿論です」
店主は即座に頷いた。そして、風鈴は職人の手作りで、ひとつひとつ自ら絵を描くのだ、と続ける。
「お時間をいただけるのなら、どんなものでも承りますよ」
店主は胸を張り、爽やかに笑う。尚隆は店内に下げられている素朴で温かな絵柄の風鈴を見やった。どれも丁寧に作られ、彩色を施されている。これならば、きっと伴侶も気に入るだろう。
「どんなものでも、か?」
「はい」
「では頼もうか」
風鈴に描かれる絵柄を思い浮かべ、尚隆は破顔した。そのまま大きく頷き、注文を続ける。店主は尚隆の言葉を書面に書きつけ、ありがとうございます、と深く頭を下げた。
* * * 2 * * *
「夏のうちに遊びに来い」
見慣れた尾羽の鸞は明朗な男の声で一言そう鳴いた。陽子は苦笑を浮かべて溜息をつく。相も変わらず簡潔な誘いだ。これでは全く意味が分からない。けれど。
悪戯好きな伴侶のことだ、何か見せたいものがあるのだろう。驚く陽子を見て楽しみたいに違いない。どうやって景麒を説得しようか、と頭を悩ませる。そして陽子はまた苦笑する。もう雁に行く気になっている己に気づいたのだった。
執務室を訪れた景麒は、渋い顔ながら陽子の雁行きを承諾した。あまりの呆気なさに、陽子の方が驚くほどだった。
「どういう風の吹きまわしだ?」
「この風を拒めば、大嵐になるでしょうから」
憮然とした景麒の顔をつくづく眺め、陽子は笑みを零す。半身の不器用な優しさに感謝し、陽子は雁に向けて旅立った。
玄英宮の禁門には、国主の伝言を携えた下官が待機していた。常ならば真っ直ぐに国主の執務室に向かうのだが、此度は後宮に向かうように、とのことであった。陽子は首を傾げた。
「延王は後宮におられるのか?」
陽子のその問いに答えられる者はいない。門卒も使者も恐縮し、平伏するのみ。陽子は苦笑し、指示に従ったのだった。
正寝を抜けて、後宮へと向かう。延王の伴侶として、後宮の中でも王后が住まうとされる北宮に堂室を与えられて久しい。それでも、北宮へ向かう回廊を歩くのは、陽子にとって未だ気恥ずかしいことだった。
「陽子」
声をかけられて、陽子は破顔する。伴侶が堂室の入り口で笑っていたのだ。
「仕事はどうしたの?」
「無粋なことを訊くな」
軽口に、伴侶は顔を蹙める。陽子はくすりと笑い、そんな伴侶にそっと寄り添った。そのとき。
ちりちり、ちりちり。
堂室の中から涼やかな音が聞こえた。陽子ははっと顔を上げる。懐かしい音。昔、蓬莱でよく聞いた、硝子の風鈴の音。
陽子は思わず駆け出した。窓辺に下げられた丸い硝子の風鈴が、風に揺れている。描かれた絵柄は、楽しげに泳ぐ二匹の金魚。
「可愛い! どうしたの、これ」
「街に降りた時に見つけたのでな、買ってみた。気に入ったか?」
「うん、すごく可愛い!」
陽子は歓声を上げ、目の前で揺れる風鈴を手に取った。赤と黒の二匹の金魚が寄り添っている。よく見ると、赤い金魚の目は翠色をしていた。
「尚隆、これ……」
「ひとりでは淋しいだろう?」
口籠る陽子に、伴侶は人の悪い笑みを見せる。陽子は咄嗟に何も返せなかった。伴侶はにやりと笑う。
「──それとも、淋しいのは俺だけか?」
陽子は目を見張る。いつもこうして傍にいられるわけではない。けれど、だからこそ、翠の目をした赤い金魚が黒い金魚と寄り添っているだけで、こんなにも嬉しい。なのに、胸が詰まって何も言えない──。
陽子は熱くなった頬をそっと伴侶の胸に寄せた。低く笑い、伴侶は陽子を抱き寄せる。そして、優しい口づけをくれたのだった。
2010.09.08.
takayosi-HAHAさまによる「18万打リクエスト」短編「夏風」をお届けいたしました。
まずはお詫びを。
書き始めは早かったのですが、仕上げるのに1年以上もかかってしまい、申し訳なく思っております。
お題は
「陽子の為に、北宮の調度品(他愛もない小物等)を熱心に探す(選ぶ)尚隆の話」
でございました。
どんなものを選ぶかな〜と興味津々で書き始めたところ、
随分可愛らしいものを選んでくださいました。
あまりに可愛くて、実際に私が買ってしまいました(笑)。
壁紙は手元にある風鈴から加工したものでございます。
併せてお楽しみいただけると嬉しく思います。
2010.09.08. 速世未生 記
背景画像撮影 写真屋
背景画像加工 絵描き
背景画像調整 速世未生