讃 歌
ふと、足を止めて高楼を眺める。真新しい瓦を載せた屋根、色鮮やかな緑の柱。開業したばかりらしいその妓楼は、目新しさもあってか、かなり繁盛しているようだった。
延王尚隆は、複雑な思いでその店を見つめる。どんなに国が繁栄しても、妓楼がなくなることはないのだ、と。
豊かになった雁の民は、自らを売ることも、娘を手放すこともない。そして、豊かになったからこそ、美しい芸妓と過ごす楽しい時を求める者が増えていく。だからこそ、その求めに応じる者も現れる。それは恐らく、そうしなければ食べていけないほど貧しい他国の者──。
尚隆はしばし古の雁へと想いを馳せる。それはもう、何百年も昔のこと。来る度に増える高楼を眺め、同じようにひとりごちたことがあった。それを聞いた馴染みの花娘は、人が増えたからだ、と朗らかな笑みを見せたのだった。
人が増えると妓楼が増えるのか。
子供のでき方は違っても、そういうところはあちらもこちらも変わらない。尚隆は内心で溜息をつく。
そう、あちらでは、男女の営みは、子を生すためのものだった。こちらでは、子供は木に生るというのに、何故、男は女を求めるのだろう。何故、女は男を受け入れるのだろう。しかし。
尚隆は、あちらでも子を生すために女を抱いたことはなかった。血筋を残すために与えられた妻妾の許へは行かず、屋形の若さまと賑やかしてくれる女のところへばかり足が向いていた。
そう思うと自嘲の笑みが漏れる。尚隆は、人間というものは仕方ない、と嘆息した。花娘は、客のくせに、と尚隆を咎め、それでも明るく笑った。
今はもう名前も忘れてしまったあの花娘は、自分が小さい頃は天領であるこの街でさえ何もなかったのだと語った。人が増えたと喜ぶ花娘のその様は、亡国とまで言われた雁の再生を寿ぐ民の姿そのものであった。尚隆は、己に生あることを喜ぶその美しさ、逞しさに惹かれていたのかもしれない──。
「どうしたの?」
訝しげな声に、はっと我に返る。翠の宝玉が、尚隆をじっと見つめていた。尚隆は伴侶に笑みを返しながら答えた。
「また新しい楼ができたと思ってな」
「──行ってみたくなった?」
伴侶は悪戯っぽく笑ってそう言った。揶揄も悋気も感じさせない、澄んだ瞳のままで。尚隆はにやりと笑って返した。
「行ってもよいのか?」
「いいよ」
伴侶は大らかに笑う。尚隆は図らずも絶句した。目を見張る尚隆に、伴侶は眩しい笑みを向ける。
「風には風のままでいてほしい」
あなたは風の漢なのでしょう、と続けて伴侶は声を上げて笑った。その、何もかも受け入れて尚、屈託のない笑み。
ああ、男は、こうやって己を受け入れてもらうために女を求めるのかもしれない。
そう思うと、笑みが零れた。尚隆は伴侶の肩に腕を回し、陽気に答えた。
「それでは、一緒に参ろうか」
え、と伴侶は落ちそうなほど大きく目を見開く。尚隆はにやりと人の悪い顔を見せ、伴侶の耳許で囁いた。
「お前はきっと、花娘にもてると思うぞ」
なまじの男よりも漢前だからな、と続けると、男装の麗人は大笑いする。それから、惚れ惚れするような美しい笑みを見せて応えを返した。
「それじゃあ、男の振りをして、どちらがもてるか競争でもしてみようか」
「それはよい考えだ」
ふたりは笑みを交わしあい、真新しい妓楼の門を潜る。限りある生を謳歌する人々を寿ぐために。そして、いつか必ず終わりを迎える己の生を、共に楽しむために。
生ある限り、讃えよう。この命の輝かしさを──。
2008.09.15
先日、「漂舶」をじっくりと読み返し、言葉にならない想いを抱いておりました
(未読の方、ごめんなさいね)。
ある日、つと言葉に表れたのが、この「讃歌」でございました。
様々な矛盾を抱え、悩みつつ、それでも人は生きていくのだな……と素直に思ったのでした。
こんなものでもよろしければどうぞお持ち帰りくださいませ。
9月いっぱいフリー配布といたします。
「15万打」ありがとうございました!
2008.09.16. 速世未生 記