「尚陽小品」 「玄関」

閨 室けいしつ

 窓の外には、細い月。卓子には、酒肴と甘味と茶が用意されている。そして榻には、夜着に着替えた堂室の主が、身を乗り出すように座していた。
 延王尚隆は、そんな伴侶に笑いかけ、大股に歩み寄る。それから、寛いだ様子でその隣に腰をかけた。伴侶は嬉しげに話し始めた。

 瞳を輝かせ、矢継ぎ早に語り続ける伴侶。身振り手振りを交え、表情をくるくると変えながら語る年若き伴侶を、尚隆は笑みを湛えて見つめた。
 正直、話は半分も聞いていなかった。楽しげに話す声は心地よい。けれど。

 目の前の愛しい女を、どうやって抱きしめよう。

 肩が触れるほど近くに居ながら、無邪気なお喋りを止めない伴侶。その鉄壁な防御を、どうやって突破しよう。尚隆は笑みを浮かべつつ、そんなことばかり考えていた。

 やがて、明るい声が唐突に止む。そんなことになるのではないか、と恐れていたとおり、伴侶はすやすやと寝息を立てていた。

 酒も飲んでいないのに、よくぞ眠れる。

 尚隆は盃を置いて苦笑した。それから、軽い身体を抱き上げて臥室に向かった。

 やっと触れることが叶ったと思ったら、伴侶は眠ってしまった。

 尚隆は力の抜けた華奢な身体を牀に横たえる。そして、複雑な思いであどけない寝顔を眺めた。

 相変わらず、隙だらけだ。

 微かな物音でも目覚めるくせに、不意にこんな姿を曝すとは。尚隆は小さく溜息を零す。それでも。
 安らかに眠る伴侶に強いることはできなかった。このまま抱きしめて口づければ、きっと伴侶は目を開ける。そして、苦笑を浮かべながらも応えてくれるだろう。伴侶は尚隆を拒んだことなどないのだから。けれど。

 今宵は止めておこう。

 そんな我慢する気になったのは、女王の安らかな眠りを妨げたくなかったからかもしれない。
「──俺に我慢を強いるのは、お前くらいのものだぞ」
 無防備に寝息を立てる女王に、そっと囁いた。眠れる伴侶が答えることは無論ない。尚隆は小さく笑って隣に身を横たえた。

 ──触れてしまえば、抱きたくなる。

 尚隆は愛しい伴侶に敢えて背を向けた。しかし、伴侶の温もりが恋しい。さて、どうしたものか。
 思案の末、尚隆は、伴侶の小さな背に、己の背をつけて眠りに就いたのだった。

* * *    * * *

 ふと目覚めた陽子は、慌てて身を起こした。いつ眠ってしまったのだろう。しかも、陽子は牀に横たわっていた。

 何故、牀榻にいるのだろう。久しぶりに会えた伴侶と話をしていたはずなのに──。

「──尚隆なおたか?」
 陽子は辺りを見回して伴侶を捜す。広い牀の端に、伴侶は大きな身体を縮めて横たわっていた。

 会えたときにはいつも、伴侶の温もりを感じながら腕枕で眠るのに。

 大きな背を見つめると、なんだか淋しくなった。勝手に喋って勝手に眠って、伴侶を怒らせてしまったのだろうか。

 ただ、背を向けられただけで、こんな気持ちになるなんて。

 陽子は瞳に滲む涙を拭い、伴侶の広い背にそっと寄り添った。
 最初はおずおずと肩に手を置いた。じんわりと伝わる温もりが愛おしい。身動ぎもせず規則正しい寝息を立てる伴侶の背に、ゆっくりと額をつける。そのまま全身を添わせ、陽子はようやく安堵した。

 愛してる。

 想いを籠めて、肩に置いた手を大きな身体に回した。ただそれだけで、唇に笑みが浮かぶ。陽子は伴侶とともに幸せな気持ちを抱きしめた。やがて。

 温かくて気持ちいい──。

 心地よい伴侶の温もりが、陽子を眠りに誘う。うとうとしかけたとき、くすりと笑う声がした。

「──お前はまた眠るつもりか?」

 大きな手が陽子の手を取った。ただそれだけのことなのに──。心臓が飛び上がったような気がした。
 伴侶は楽しげに笑い、陽子の手を握ったまま、ゆっくりと寝返りを打つ。そして、応えも返せずにいる陽子を抱き寄せ、甘く口づけた。

* * *    * * *

 肩に触れる温かなものを感じ、尚隆は目を覚ました。いつも胸にあるはずの温もりがないことを訝しく思いながら。
 肩から背に温もりが広がる。ああ、そういえば。昨日の出来事を思い出す。喋り疲れて眠ってしまった伴侶と、背中合わせに寝たのだ。

 伴侶が、おずおずと肩に触れる。それから、躊躇いがちに尚隆の背に身を添わせ、そっと華奢な手を尚隆の身体に回す。
 思いがけぬ伴侶の積極的な抱擁。そして、背に押しつけられた、柔らかな膨らみ。自ずと胸が高鳴った。

 それから、どうするつもりなのだろう。

 振り返って抱きしめたい気持ちを堪え、尚隆はじっと待ち続けた。しかし。
 尚隆の身に回された伴侶の手から、くたりと力が抜けていく。もしや、また、眠ってしまうのだろうか。

 それはないだろう。

 その想いは、口をついて出た。

「──お前はまた眠るつもりか?」

 尚隆は苦笑して、伴侶の手を握った。それだけで、伴侶は息を呑み、身を震わせた。その、甘やかな反応。

 いったい、どんな顔をしているのだろう。狸寝入りを知って、怒っているわけではあるまい。

 尚隆は忍び笑いを漏らし、伴侶の手を握ったまま、ゆっくりと寝返りを打つ。そして、真っ赤な顔をして押し黙る伴侶を引き寄せて、その朱唇に口づけた。
 交わされる口づけは、身を強張らせる伴侶の緊張を解く。温かな肢体を熱くさせたい。唇が、指が、尚隆のその想いを伝える。伴侶は甘くそれに応えた。

 もっと熱く。

 我慢した時を取り戻すように、尚隆は伴侶のしなやかな身体を抱いたのだった。

2008.01.11.
 短編「閨室」をお送りいたしました。 以前拍手連載しましたオマケ、「眠」「伴侶の背」「覚」を纏めた作品でございます。 ラストを付け足してみました。 こんな題名だと、もっと色っぽいものをご想像されたでしょうか……。
 ──なんだか異様に恥ずかしいです(さすがオマケ……)。 そして、あったかいアップル・ワインを飲みたくなってしまいました(笑)。
 お気に召していただけると幸いでございます。

2008.01.11. 速世未生 記
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
「尚陽小品」 「玄関」