慶 主
* * * 1 * * *
景王の居城、金波宮。延王尚隆は宮の主の後ろをゆっくりと歩く。女王の細い背を見つめながら、今日は伴侶をどうやって抱きしめようかと思案した。しかし、そんなことは考えるまでもなかった。
堂室の扉を閉めると同時に、尚隆は伴侶を後ろから抱きすくめる。そのまま項に口づけると、麗しき伴侶は深い溜息をついた。
「──確かに、堂室まで我慢して、とは言ったけど」
性急過ぎる、と不平を言う伴侶に頓着せずに、尚隆は官服の内側に手を伸ばそうとした。その手をそっと押さえた伴侶が艶やかに微笑む。
「牀榻に、連れていって」
ほんとうに、強かに美しくなった──。
己の伴侶は慶東国の国主景王。その言葉には、延王尚隆でさえ動かされてしまう。
「──景王の勅命ならば、従うしかないだろうな」
ここは慶だから、と尚隆は低く笑い。伴侶の耳朶に囁いた。しばらく雁には行かないよ、と返した伴侶は、小鳥のように尚隆の唇を啄んだ。
性急に求める心は、見事に静められてしまった。尚隆は伴侶を抱き上げて牀榻へ向かう。華奢な身体を牀に下ろし、そっと横たえた。仄かに笑む麗しい顔を覗きこみ、尚隆は笑いを含んだ声で訊ねた。
「牀榻へお連れいたしました、女王さま。あなたの僕にご命令を」
「──いったいどうしちゃったの?」
伴侶は大きく目を見開いた。尚隆は人の悪い顔を見せて女王を促す。
「ここは慶なのだから、ご命令に従いますよ、景女王」
「え……突然そんなことを言われても」
小首を傾げて羞じらう伴侶は、先ほどまでの余裕とは打って変わって可愛らしかった。期待を裏切らない反応に、尚隆は満足げに頷く。
「──命がないようならば」
俺の好きにさせてもらうぞ、と耳許で囁くと、伴侶は見る間に頬を朱に染めた。そして、小さな小さな声で応えを返す。
「──お手柔らかに」
「女王さまの思し召しに従うとしよう」
くつくつと笑い、尚隆は伴侶の火照った頬に口づけて、そのままふわりと抱きしめた。
* * * 2 * * *
執務室にて、気紛れな伴侶を宥めた。その仕返しなのか、堂室に戻るとすぐに、後ろから抱きしめられた。陽子の動きを封じ、伴侶はそのまま項に口づける。予想はしていたけれど。陽子は深い溜息をついた。
「──確かに、堂室まで我慢して、とは言ったけど……性急過ぎるよ」
伴侶は低く笑い、陽子が纏う官服の合わせ目に手を伸ばす。そんな訴えなど、聞く気もないようだ。陽子は苦笑し、その手をそっと抑えた。
仕方のないひと──。
「牀榻に、連れていって」
ここで押し倒されるより、少しはましだろう。そう思って伴侶に告げた。伴侶は楽しげに笑い、意外な答えを返す。
「──景王の勅命ならば、従うしかないだろうな。ここは慶だから」
「そんなことばかり言って。しばらく雁には行かないよ」
延王尚隆は、自国でどんな意趣返しを仕掛けるのだろう。そう思うと、また溜息が漏れる。陽子はにやりと歪められた伴侶の唇に口づけた。
伴侶は軽々と陽子を抱き上げ、牀榻へと向かう。悪戯を思い浮かべた子供のような笑みを湛えて。何を言い出すのだろう。陽子は少し身構えた。伴侶はおもむろに口を開く。
「牀榻へお連れいたしました、女王さま。あなたの僕にご命令を」
「──いったいどうしちゃったの?」
ほんとうに何を考えているか分からないひと。陽子は目を見開いた。そんな陽子の反応を楽しむように、伴侶は笑い含みに続ける。
「ここは慶なのだから、ご命令に従いますよ、景女王」
「え……突然そんなことを言われても」
──このまま、手を繋いで朝まで眠りたい。
そう告げたなら、伴侶は何と答えるのだろう。少女染みた願いだ、と失笑されてしまうだろうか。陽子は頬を染めつつ考える。けれど。
そんなことをうっかり言ってしまったら、後で何をされるか分からない。躊躇う陽子に伴侶は人の悪い顔を見せる。
「──命がないようならば、俺の好きにさせてもらうぞ」
耳許で甘く囁く声。ああ、やっぱり言わなくてよかった──。陽子は熱くなる頬を押さえ、小さな声で伴侶に告げた。
「──お手柔らかに」
「女王さまの思し召しに従うとしよう」
伴侶はくつくつと笑い、陽子の頬に口づける。そして、優しく陽子を抱きしめた。
* * * 3 * * *
小さな寝息がした。尚隆は微笑し、腕の中の温かな身体をそっと抱きしめる。まだ眠らせたくはなかった。
乱れた緋色の髪を弄ぶと、伴侶はくすぐったげに身動ぎした。それに構わずに、そのまま髪を指で梳く。抗議するように見つめる伴侶と目が合った。
「さっき、何か言いかけたろう?」
気怠い沈黙を破り、尚隆は伴侶に問いかける。伴侶はぱっと頬を染めて横を向いた。過敏な反応に興を覚え、もう一度視線を捉える。
「──そんなに恥ずかしいことを考えたのか?」
「違うよ!」
間髪を容れずに応えを返す伴侶の顔はますます赤い。訝しげに見つめると、微かな囁きが聞こえた。
「──手を……繋ぎたかっただけ……」
伴侶は両手で顔を覆い、尚隆に背を向ける。武断の女王が少女に見えて、尚隆はくすりと笑った。華奢な身体を後ろから抱きしめる。
「手ぐらい、いつでも繋いでやるぞ」
そう言って伴侶の小さな手を取った。伴侶は黙して答えない。少し嫌な予感がした。
「──まさか、朝までずっと、とは言わぬよな?」
伴侶はぴくりと肩を揺らした。
それはないだろう。
尚隆は深い溜息をつく。
「その命に従ったら、俺にご褒美はあるのか?」
伴侶の身体が固まった。その反応が可笑しくて、尚隆は畳み掛ける。
「褒美によっては、従ってやらんでもないぞ」
「──私は何も言ってないよ」
伴侶は頬を染めたまま口を尖らせる。お前は可愛いな、と囁くと、伴侶は顔を蹙めて命を下した。
「少し黙りなさい」
「──女王さまのご命令のままに」
言って尚隆は人の悪い笑みを浮かべ、伴侶をじっと見つめた。慶の主はその心を察し、大仰な溜息をつく。それでも、苦笑した女王は、己の伴侶に甘く唇を重ねたのだった。
2007.12.25.
短編「慶主」をお送りいたしました。
短編「甘熟」の続編で、以前拍手連載しました「女王の勅命」「かの方の意外な逆襲」
「景王と延王のある日の攻防」を纏めた作品でございます。
ラストを付け足してみました。
全然クリスマスちっくではないけれど、甘いものが書きたくて衝動的に仕上げました。
お気に召していただけると嬉しいです。
2007.12.25. 速世未生 記