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冬 夜

燈火ちかく衣縫う母は 春の遊びの楽しさ語る
居並ぶ子どもは指を折りつつ 日数かぞえて喜び勇む
囲炉裏火はとろとろ 外は吹雪

* * *    * * *

「──よい歌だな」
 朗らかな声がそう称賛した。お前に似合っているとは言えぬがな、と続け、伴侶は意地の悪い笑みを見せる。歌い終えた陽子は苦笑した。そして、膝を抱えたまま、勢いよく燃える暖炉の火に視線を移す。今も昔も、陽子が囲炉裏端で家族と過ごしたことなど一度もないのだ。けれど。
「そうかもしれないけど……でも、ここにいると、なんだか、この歌を思い出すんだ」
 景王陽子は延王尚隆と二人で牛飼いの廬に逗留していた。小高い丘の上に立つ丸木小屋に囲炉裏はないが、暖炉で燃え盛る炎が灯火となっている。確かにな、と暖炉を見やり、伴侶は大きく笑った。

 冬の視察と銘打って、隣国の街に降りることが慣習となって久しい。海に、山に、里に、数多くの隠れ家を持つ北国の王は、いつも楽しげに己が国を案内した。寒冷の国の住人達は、雪に閉ざされる冬も逞しく暮らしている。それを目の当たりにして、陽子は大いに感嘆したものだ。そして──。
 陽子は北の大国の王でもある伴侶を見つめる。このひとは、この国の豊かさが、実直に暮らす数多の民人によって齎されるものだ、ということをよく知っている。それを実感する度に、陽子の心は温まるのだ。

「あちらでも、女は囲炉裏端で衣を縫ったりしたのだな」
 冬になるとこちらの女は機を織ったり籠を編んだりするものだ、と教えてくれたひとは、そう言って破顔する。五百年の年代差を笑い飛ばす伴侶の大らかさに、陽子も笑って応えを返した。
「そう。そして、父は縄をなうんだよ」

囲炉裏の端に縄なう父は 過ぎしいくさの手柄を語る
居並ぶ子どもはねむさ忘れて 耳を傾けこぶしを握る
囲炉裏火はとろとろ 外は吹雪

 赤々と燃える暖炉の火に目をやり、陽子は二番を歌う。聴いた伴侶は、少し遠い目をして唇を歪めた。

「──戦の手柄、か」

 伴侶の呟きに、陽子は薄く笑う。百戦錬磨の手練れでありながら、このひとは争いを好まない。それは、常に剣を手放すことない陽子も同じ。そっと水禺刀に目を移す。そして、己の小さな手に視線を落とした。
 溜息をつきつつも毎日手入れしてくれる女官のお蔭で、剣を持つ割に小綺麗な手であった。しかし、一見美しく見えるこの手も、意匠を凝らしたこの刀も、血塗られている。しかも、陽子が屠ってきたのは妖魔だけではない。国を守る、という大義名分のために、己が国民をも手にかけてきたのだ。
 他国からの侵略がないこの世界。それでも、剣を向けられれば戦わざるを得ない。国を支えるため、決して倒れてはならない。力に屈してはいけない。それが、王、と呼ばれし者。

「──陽子」

 伴侶が優しい声で名を呼ぶ。陽子はおもむろに顔を上げた。

(──どうせ玉座などというものは、血で購うものだ)

 かつて、悩める未熟な王をそう諭した稀代の名君。その言葉は、今も心に深く刻まれたまま。深い色を湛えた双眸を見つめ返す。そうして、陽子は伴侶の名を呼び返した。

尚隆なおたか……」

 伴侶はゆっくりと唇を緩めた。そう、互いに王だ。けれど、このひとの前でなら、陽子は王でない己を曝すことができる。こうして真の名を呼び合うこの時が、如何に貴重なことか。
 壮麗な宮殿に暮らし、いつも側に伺候する官がいる毎日を過ごしている。景麒に選ばれ、玉座に就くことを受け入れてから、ずっと繰り返されてきた、そんな日常生活。敬われ、見上げられている内に、女王である己と陽子自身が乖離していく。その緊張を一時手放すことができる、伴侶と二人きりのこの時間。

 どちらからともなく肩を寄せ合う。陽子はそのまま燃え上がる炎を見つめる。伴侶の手が、そっと陽子の肩を抱いた。
 窓の外は白い闇。雪に音を吸いこまれたような静かな夜。耳に入るものは、ときどき爆ぜる薪の音だけ。いや、触れ合う身体から、鼓動の音が聞こえる。陽子は伴侶の肩に頭を預け、目を閉じた。
 肩に回された腕に力が籠もる。ぐいと引き寄せられて、少し身が震えた。くすり、と小さな笑い声が聞こえる。それでももう、このひとは、怖いか、とは訊かない。陽子は伴侶を見上げた。

 楽しげに笑う熱を秘めた瞳が目に入る。まるで獲物を定めた肉食獣のような、物騒なその瞳。そう、優しいだけのひとではない。
 このひとは、景王陽子の視線を真っ向から受けとめる人物。そして、陽子を小動物のように狩る男。このひとには敵わない、と打ちのめされることも多い。それでも──。
 不思議と悔しい気持ちにはならなかった。この獣に貪られる悦びを、陽子はもう知っている。そして、その喜悦に溺れてしまうことを恐れている。だからこそ。

 愛してる。

 胸で叫ぶその言葉を唇に乗せることはない。このひとは、そんな小さな強がりを、笑って受けとめてくれるだろう。

 熱を帯びる瞳に笑みを送る。雪に閉ざされた夜。長い冬の夜は、熱く過ぎていく。暖炉の炎は燠火に変わり、そして、外は吹雪──。

2010.02.28.
 今年の冬は氷点下二桁気温を記録し、冬らしい冬と私は満足しておりました。 けれど──
 2月も終わりになって有り得ない暖気がやってきて、北の国は薄汚れてしまいました。 「まだ春じゃない!」と叫びつつ地味に書き上げた作品でございます。
 題名は文部省唱歌「冬の夜」からつけました。 読み方は決めておりません。お好きにお読みくださいませ。
 久々の夜のお話、勿論コメント不能でございます。 それでも、お気に召していただけると嬉しく思います。

2010.02.28. 速世未生 記
背景画像「工房 雪月華」さま
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