雪 華
しんしんと雪が降り続いた夜が明ける。玻璃の窓に額を付けて外を眺めていた陽子は、朝陽に煌く林と雪原の美しさに溜息をつく。
「──珍しいものでも見つけたか?」
暖炉に薪をくべている尚隆が笑い含みに訊ねる。振り返った陽子は興奮した声で伴侶に問いかけた。
「ねえ、外に行ってもいい?」
「相変わらず、お前は物好きだな」
晴れた日の朝は寒いのだぞ、と伴侶は軽く溜息をつく。ちゃんと暖かくしていくから大丈夫、と伴侶を往なし、陽子は早速褞袍を羽織った。やれやれ、と肩を竦め、伴侶も立ち上がる。己も褞袍を羽織った伴侶は、陽子の頭に帽子を被せた。
冬の視察と銘打って、初めてこの小屋で北国の冬を過ごしてから、もう幾年も経つ。延王尚隆は、毎年のように様々な冬を景王陽子に見せてくれた。
新雪を冠る山野。白銀に煌く雪原。綿を飾ったような森林。そして、陰鬱な色を見せる海原。それぞれが陽子を驚かせ、また、楽しませた。けれど、初めての冬を体験したのどかな牛飼いの廬が、陽子の心を最も捉えたのだ。
見せたい所はひと通り見せた、と笑う北国の王は、今年の視察場所の選定を陽子に委ねた。陽子は迷わずこの丸太小屋を選んだのだった。
小屋から外に出ると、白銀の眩しい雪原と肌を刺すような凍てつく空気が陽子を迎える。陽子は思わず感嘆の溜息をついた。吐息は白くたゆたい、仄白い空へと吸いこまれていった。
新たに積もった雪が、昨日の足跡をすっかり消し去っていた。まだ誰も歩いていない真っ新な雪原に足跡を印し、陽子は歓声を上げる。それに驚いたのか、梢にいた小鳥が甲高い声で鳴いて飛び立つ。と同時に枝がしなり、積もっていた雪がさらりと音を立てて舞い散った。
真っ白に化粧した木々から落ちる雪は、まるで桜吹雪のよう。陽子はまた歓声を上げ、空中で踊る粉雪に手を伸ばす。冷たい花びらは陽子の掌で儚く融け、翻る赤い髪を白く飾った。
陽子は足を止めた。帽子からはみ出した己の髪を眺め、にっこりと笑む。それから、淡い陽光に輝く木々を見上げた。
冬枯れた慶の林とは違う、雪を頂く北国の樹木たち。厳しい冬に耐えているからこそ、こんなにも美しいのかもしれない。そう思うだけで、唇がほころんだ。そのとき。
陽子の手は、不意にそっと大きな温かいものに包みこまれた。
いつの間にこんなに近づいたのだろう。
思わず目を見張って見つめると、伴侶は限りなく優しい笑みを見せる。二重の不意打ちに、陽子の頬は見る間に朱に染まった。
「頬が、桜色だ」
「──寒いからだよ」
笑い含みの指摘に、陽子は不機嫌な応えを返した。繋いだ指から伝わる温もりが、忘れていた熱を呼び覚ます。人の悪い伴侶には、そんなことを知られたくなかった。
「分かっている」
秘めた想いを見透かすようなその応え。陽子は唇を尖らせた。が、伴侶はそれに頓着することなく繋いだ指に力を籠める。優しい笑みを崩すことなく。
温かい、と小さく呟いて、陽子は伴侶に笑みを返す。伴侶はひとつ頷き、そのまま陽子の手を引いて歩き出した。
温かいのは、指だけではない。
繋いだ指から伝わる温もりは、陽子の身も心も包みこむ。ほんとうに大きなひと。そう思い、陽子は伴侶に笑みを向けた。伴侶はそんな陽子を見下ろしてにやりと笑った。
「──冬の花は綺麗だな」
低い呟きを耳にして、陽子は少し首を傾げる。どこにも花なんてないような気がするけれど。そう思いつつも、辺りを見回す。そして、木々の枝に咲く白銀の花を見つけ、にっこりと笑んだ。
「雪の花はほんとに綺麗だね」
「俺は冬にほころびる紅の花のほうが好みだな」
伴侶はそう言って楽しげに笑う。陽子はますます首を捻った。伴侶はそんな陽子を引き寄せて、雪の積もった帽子を脱がせる。それから、陽子の髪に口づけて、人の悪い笑みを見せた。
2009.01.30.
小品「雪華」をお送りいたしました。今回読み仮名は決めておりません。
お好きに読んでくださいませ。
この作品は御題其の百五「冬の花」の陽子視点でございます。
性懲りもなく「輪舞(ロンド)」をエンドレスで聴いて仕上げました。
お気に召していただけると嬉しく思います。
2009.01.30. 速世未生 記
背景画像「工房 雪月華」さま