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旅 後たびご


 真冬の旅を満喫し、景王陽子は延王尚隆とともに玄英宮に帰り着いた。そこで陽子は禁門前に仁王立ちする小さな影を見つけ、瞠目した。
尚隆なおたか……!」
「逆らわぬほうがよいかもな」
 陽子の問いを察した玄英宮の主は、短い応えを返して苦笑した。そのまま禁門前に降り立つと、門卒よりも早く、不機嫌な宰輔が駆けてきたのだった。
「──出迎え、ご苦労」
「おっせえんだよ!」
 飄々と声をかける主に、延麒六太は怒声を浴びせた。怒れる六太と耳を塞ぐ尚隆を見比べて、陽子はしゅんと項垂れた。帰城を待ちわびる六太の存在を忘れ、ただただ己の感傷に浸っていた。素直に謝る陽子に、六太は笑みを見せてくれた。
「まあ、いいや。陽子、お前は一風呂浴びて休め。尚隆は仕事だ」
 六太はそう言って己の主をじろりと睨めつけた。尚隆は不平そうに片眉を上げる。
「──六太、それは横暴ではないか?」
「ぜーんぜんだ!」
 六太は悪びれずに即答し、後ろに合図した。すると、城の中から待機していたらしい女官と下官がわらわらと現れた。目を見張る陽子を、大勢の女官が取り囲む。女官の壁でよく見えないが、尚隆は下官に引き摺られて玄英宮に連れこまれたらしい。
「綺麗にしてこいよ!」
 女官にもみくちゃにされた陽子は、楽しげな六太の声を聞いたような気がした。

 それから陽子は女官たちに導かれて湯殿に向かった。世話を焼かれることを嫌う女王に一礼し、女官は湯殿の扉を閉める。独りになった陽子は深い溜息をついて肩を竦めた。
 陽子は気を取り直して服を脱ぎ、きちんと畳んでから湯殿に入った。大きな湯船にゆったりと浸かると、廬の小屋での湯浴みが頭を過った。己の暮らしは、これほどまでに民とは隔たっているのだ、と思うと我知らず溜息が漏れる。
 それでも、陽子は旅の汚れを洗い流し、さっぱりして湯殿を出た。すると、待ち構えていた女官に再び取り囲まれた。無数の手が髪を拭い、身体を拭く。目を白黒させながらも、陽子は叫ぶ。
「ひとりでできるったら!」
「景女王は着付けが苦手と伺いましたので」
「どうぞ、お楽になさって私たちにお任せくださいませ」
 不気味な笑みを浮かべ、女官たちは陽子に迫る。その手に持つものを見て陽子は後退った。気づくと、きちんと畳んで置いたはずの袍子がなくなっている。陽子は顔を蹙めて舌打ちした。
「──私は襦裙を着る気はないぞ」
「ここには襦裙しかございません」
「じゃあ、ここから出ない」
 威圧的な大国の女官に、景王陽子は挑戦的に答えた。そして、反撃に身構える。しかし、女官は意外なことを口々に言い立てた。
「景女王、台輔の達ての願いでございます」
「景女王がお留守の間の台輔の萎れようといったらもう……」
「景女王が戻られたらすぐにお相手できるようにと、台輔はいつになく真面目なご様子でお仕事に励んでおいででございました……」
 陽子を取り囲み、女官たちはよよと泣き崩れる。六太の名を出され、陽子は、うっと詰まった。六太に留守居をさせたことについては、陽子も後ろめたく思っていたのだ。女官たちは目を輝かせて陽子に迫る。
「ここは台輔の顔を立てると思し召して、これをお召しくださいませ」
「台輔の命で、お楽に過ごせるものをご用意いたしましたので、ご安心召されませ」
 そう言って女官は各々手に持つ襦裙を広げてみせた。確かにそれらは女王が身につけるような堅苦しい長裙ではない。かといって、襦裙を着る気になれない陽子であった。
 女官との睨み合いはしばらく続いた。このままでは小衫も着せてもらえそうもない。陽子は大きな溜息をついた。
「景女王、台輔は主上の執務室にて見張りをしつつお待ちでございます」
「主上ももう衣服を改められておられることでしょう」
 女官たちは涙目で訴える。その言葉に嘘はないようだ。そう判断し、陽子は嘆息しつつも応えを返す。
「──延麒のためなのだな」
「左様でございます」
 女官たちの目が煌いた。景王陽子は女王の威厳を籠め、おもむろに口を開く。
「二度目はないぞ」
「畏まりまして」
 景王陽子を取り巻く女官たちは、一斉に膝をつき、その場に恭しく額ずいたのだった。

 それから女官は各々の仕事を始めた。湯上りの陽子に風を送る者。陽子の髪を丁寧に拭う者。様々な襦裙から陽子に着せ掛けるものを選ぶ者。実際に襦裙を着付ける者。髪型を考える者。歩揺を選ぶ者。化粧を施す者。
 見ているだけでどっと疲れるような作業が景王陽子の目の前で繰り広げられていた。大勢の女官たちは目を輝かせ、楽しげに意見を交わしながら女王を飾り付けていったのだった。
 襦裙の着付けが終わり、大きな鏡の前に坐らされた。髪を結い上げる女官が楽しげに見えて、陽子は思わず声をかけた。
「──楽しそうだな」
「はい、楽しゅうございます」
「私はちっとも楽しくないぞ」
 陽子がげんなりと嘆息すると、女官たちは笑いさざめいた。后妃のいない宮城では高貴な女性を綺麗に飾る機会など滅多にないのだ、と。后妃という言葉に少し胸が痛んだ陽子は、顔を蹙めて言い放った。
「私は迷惑だ」
「そう仰らずに留守居をなさった台輔に報いてあげてくださいまし」
 そう言って笑い、女官は仕上げに揺れる美しい歩揺を一本だけ陽子の頭に飾りつけた。唇に差した淡い紅に似合う瀟洒な歩揺だった。
 支度が終わり立ち上がった女王を、女官は口々に褒めそやした。
「お綺麗ですわ、景女王」
「台輔もさぞや喜ばれることでしょう」
「きっと主上も驚かれますよ」
 それは自身の仕事に対する評価のようにも聞こえ、陽子は肩を竦めて答えを避けた。

 その後、美しく装った景王陽子は女官の先導で延王尚隆の執務室へと向かった。襦裙を着せられた陽子を見て、延麒六太は満足げに破顔し、己も長袍に着替えさせられた国主延王は他人事のように吹き出した。
「──陽子、お前もか」
「笑い事ではありませんよ、延王」
 景王陽子はげんなりと肩を落として深い深い溜息をついた。呵呵大笑する延王尚隆に、延麒六太は冷たく言い放つ。

「お前は、仕事をしろ」

 このときばかりは陽子も胸の中で快哉を叫んだのだった。

2008.06.06.
 短編「旅後」をお送りいたしました。長編「燠火」最終話の陽子視点になります。 思いっきり季節外れでごめんなさい。
 襦裙を着せられた陽子主上、どのくらい抵抗したんだろう? と思って書き綴った 拍手連載「旅後の騒動 序〜承〜結」を纏めた作品でございます。 やっぱりな〜という仕上がりになりましたが、私にはよい気分転換となりました。 お気に召していただけると嬉しく思います。
 陽子主上の「あですがた」挿絵をいただきました!  こちらからご覧くださいませ。 (2008.07.06.追記)

2008.06.06. 速世未生 記
背景画像「工房 雪月華」さま
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