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星 祭

「──あれ?」

 執務室の書卓の上に色鮮やかな料紙が置かれている。景王陽子は訝しげにそれを眺めた。他の者にとっては見慣れないそれは、陽子にとっては馴染みのものだ。けれど、執務室にあってよいものではなかった。

「どうかなさいましたか?」
 涼しげな声に振り返る。そこには書簡を抱えた冢宰浩瀚が立っていた。書卓の上のものに感けて、浩瀚が声をかけたことにも気づかなかったらしい。陽子は慌ててそれを隠そうとした。が、浩瀚は素早かった。あっという間にそれを取り上げられ、陽子は思わず溜息をついた。しかし。
「ああ、短冊ですね」
 事もなげにそう言って、浩瀚は料紙を書卓に戻した。そうして陽子に楽しげな笑みを向ける。
「主上も願いを書かれては如何ですか?」
「浩瀚、短冊を知っているのか?」
 陽子は目を見張る。短冊は蓬莱の行事である七夕に使うものだ。しかも、七夕は人に知られないよう、密かに行ってきた。浩瀚が知るはずはないのだ。
「今年は皆で七夕を祝おうと既に盛り上がっておりますよ。主上はご存じなかったのですか?」
「──知らないよ」
「桂桂の発案だそうですよ」
 訝しげに驚く陽子に、怜悧な冢宰は如才なく種明かしをする。陽子は再び驚いた。
「桂桂が……?」

 どうして知ってるんだろう。

 七夕は、鈴と祥瓊がこっそり準備してくれていた。陽子の朝はまだまだ落ち着いているとは言い難い。胎果の女王は蓬莱を恋うていると思われるのは心外だった。だから、ひっそりと楽しんでいたのに。
「綺麗なものは庭院に飾って皆で眺めよう、とは蓋し名言でございましょう」
「──蓬莱の行事なのに?」
 確かに五色の短冊を飾った笹は綺麗だけれど、所詮は蓬莱の行事だ。こちらには馴染まない。そう自嘲して陽子は俯いた。けれど。
「そんなことをお気になさいますか?」
 浩瀚はさらりとそう言った。陽子はおもむろに顔を上げる。官吏を束ねる六官の長は、にこやかな笑みを浮かべていた。
「美しい笹飾りは、さぞや人心を打つことでしょう」
「そう……かもしれないね」
 頼りにしている有能な冢宰の一言に、陽子は躊躇いつつも頷く。浩瀚は常の如く涼やかに笑っていた。その笑顔に励まされ、陽子はようやくぎこちない笑みを浮かべたのだった。

 そんなわけで、今年の笹は国主の執務室から見下ろせる庭院に立てられた。色とりどりの短冊や美しい笹飾りが沢山下げられた笹は綺麗だった。そう、去年より多くの短冊が笹を飾っている。それは、陽子にとって嬉しいことだった。
 陽子は今年も心を籠めて願い事を認めた。皆の願い事が叶いますように。民が幸せに暮らせますように。未熟な国主にできることは、そんな祈りを捧げることだけかもしれない。筆を休めた陽子は、深い溜息をついた。そのとき。
「あら、今年は縦書きばかりなのね」
「横文字はどうしたの?」
 いきなり声をかけられて、陽子はびくりと肩を震わせた。にやにやと笑いながら書卓を眺める友たちを軽く睨む。今年は私的な催しではない。
「──自粛して当然じゃないか」
 陽子は唇を尖らせて小さく抗議する。そんな陽子に、祥瓊と鈴は人の悪い顔を見せて軽口を叩いた。
「願い事は短冊に書かなければ叶わないのじゃなかったかしら?」
「どうせ私たちには読めない文字なのよ」
 陽子は肩を竦めた。昨年は、その文字を読めない人に、書いた願いの意味を言わされてしまったのだ。陽子は本心を短冊に認めることに懲りていた。
「今年は書かないと決めたんだ」
 頑なに首を振る陽子を、祥瓊と鈴は呆れたように見つめる。気持ちは分からなくないけれど、と前置いて、祥瓊は苦笑交じりに言った。
「今年は、桂桂も書いてくれたのよ」

 陽子の願いが叶いますように。

 そう書かれた見覚えのある手蹟の短冊を陽子に見せて、祥瓊は微笑んだ。隣で鈴も頷く。そして、言葉を続けた。
「陽子はいつも人のことばかり願うのよ、と零したらね、桂桂が言ったの」
「そう。『それって、景王の願いだよね。じゃあ、陽子の願い事は?』ってね」
 ねえ、と言って祥瓊と鈴は顔を見合わせて微笑む。そのときの桂桂は真面目な顔をしていた。けれど、さすがに桂桂には陽子の横文字の願い事のことなど言えない。祥瓊は鈴と顔を見合わせた。すると桂桂は、思案の末に筆を取り上げた。そして、短冊を手に取り、丁寧に願い事を記したのだ。

 小さな桂桂は、いつしか大きくなっている。

 昔から利発で優しい子だったけれど、他人の気持ちを思いやれる素敵な男性に成長しつつある。鈴と祥瓊が明かしてくれたその話に陽子の胸は温まった。
「今年の願いは横文字で書く必要はないよ」
 陽子は祥瓊と鈴に笑みを見せた。そうして短冊を一枚取り上げ、ゆっくりと願いを認めた。

 七夕を皆で楽しめますように。

 蓬莱の祭だと引け目を持つことなしに。見上げる空に織姫と彦星がいないと哀しく思うことなしに。そして、伴侶に会えない日々を嘆くのではなしに、次に会える時を楽しみに待つ心の余裕を持つことができるように。口に出せない願いを籠めて、陽子は短冊を丁寧に書き綴った。
「上手に書けたじゃない。陽子にしては、だけど」
「そうね、陽子にしては綺麗な字だわ」
 陽子の手許を覗きこんでいた祥瓊と鈴はにっこりと笑みを見せた。それから、陽子が憤然と応えを返す前に小さく息を呑む。間髪を容れず、笑い含みの明朗な声がした。

「──その、『皆』の中に、俺は入っているか?」

 ほんとうに、今日の陽子は何度びっくりさせられたことだろう。そしてこれが、本日最大の驚きだった。目を見張って言葉を失ったのは陽子だけではない。けれど、祥瓊と鈴は、確かに、お早いお着きで、と言った。ならば──。

「勿論ですとも」

 意地の悪い問いかけをする隣国の王に、景王陽子は澄まし顔で応えを返したのだった。


2010.08.07.
 今日は北の国のほとんどの地域で七夕でございます。 先月から色々な視点で書き綴っていたものを、漸く今朝書き上げました。 久しぶりの本館アップでございます。
 全国的にはひと月遅れの七夕となりますね。 短編「短冊」続編「星祭」、よろしければお楽しみくださいませ。

2010.08.07. 速世未生 記
背景画像「深夜光房」さま
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