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祈 念

* * *  1  * * *

「浩瀚さま!」
 元気な声を上げて桂桂が駆け寄ってくる。その小さな手には、色とりどりの料紙があった。桂桂の後ろには桓魋かんたいがいて、楽しげに料紙を振り翳している。どうやら桓魋が桂桂をここまで案内したらしかった。
「お忙しいところ、失礼します。えっと、今年は蓬莱の星祭をやってみようと思います。それで……」
 桂桂は一生懸命その星祭について説明し始めた。浩瀚は後ろで笑みを浮かべている桓魋とともに桂桂の話に耳を傾けた。

 蓬莱では七月七日に七夕という星祭を行う。織姫と彦星が年に一度だけ会えるその日には、竹や笹を立て、五色の短冊に願い事を記して飾る。そうすると願いが叶うと言われているそうだ。

「祥瓊と鈴は、主上のおへやに笹を飾っていたんですって。でも、こんなにきれいなんだから、今年はみんなで飾ろうという話になりました」
 桂桂はにっこりと笑う。それから、少し不安げに浩瀚を見上げて訊ねた。
「よろしいでしょうか」
「それはいい考えだね」
 浩瀚は桂桂に笑みを返して頷く。桂桂は安心したように鮮やかな料紙をひとつ浩瀚に差し出した。
「では浩瀚さまも短冊に願い事を書いてくださいね!」
 それでは失礼します、と頭を下げ、桂桂は来た時と同じように駆け去っていった。
「──桂桂の発案ならば、主上も台輔も無下に断りはしないだろうと祥瓊が言ってましたよ」
 その場に残った桓魋がそう言って笑う。冢宰の許可があれば台輔の承諾も得やすいだろう、と付け加えたのは桓魋で、その言の責任を取るためにここまで来たという。
「なるほどな」
 聞いて浩瀚も笑みを浮かべる。胎果の主は蓬莱のことを積極的に言おうとはしない。それは台輔がいい顔をしないせいもある。だが、蓬莱を恋しがる王、という風評が立つのを避ける意味合いもあった。無論、主がそれを一番気にかけているのだ。
 物を知らぬ胎果の女王。主を未だそう思うものは少なくない。だが、胎果だからこそ、時には浩瀚や遠甫をも驚かせるような画期的な発想や提案をする。主はこちらに慣れていないだけで、決して無能な王ではない。
「主上はいつも人のことばかり願うそうですよ」
「我らが主上はそういう方だな」
 溜息交じりにそう言う桓魋に、浩瀚は微笑を返した。蓬莱生まれの女王は、唯一無二の王である己と臣を同列に考える人物なのだ。桓魋は軽く肩を竦めて苦笑した。

* * *  2  * * *

「失礼いたします」
 浩瀚は一声かけて主の執務室に入る。主は難しい貌をして書卓の上にあるものを見つめていた。どうやら、浩瀚が入ってきたことにも気づいていないようだ。浩瀚は書卓に歩み寄りながら再び声をかけた。
「どうかなさいましたか?」
 主はびくりと肩を震わせる。そして、慌てたように見ていたものを隠そうとした。浩瀚はひょいと手を伸ばし、それを取り上げる。主が息を呑む音が聞こえた。
「ああ、短冊ですね」
 殊更普通にそう言って手にした鮮やかな料紙を書卓に戻す。主は小さく安堵の息をついた。
 そう、細く切られた美しい料紙は、蓬莱の七夕という行事に使う短冊だ。浩瀚は桂桂の説明を思い出していた。

(蓬莱では七夕には笹に願い事を記した短冊を吊るすのですって。そうすると、願いが叶うそうなんです)

 主上はいつも、皆の願いが叶いますように、と認めるのだ、と桓魋が言っていた。きっと祥瓊からの情報なのだろう。浩瀚は笑みを浮かべ、願い事を書いてみては如何か、と軽く提案した。主は目を見張った。
「浩瀚、短冊を知っているのか?」
「今年は皆で七夕を祝おうと既に盛り上がっておりますよ。主上はご存じなかったのですか?」
 祥瓊や鈴に何も告げられていないのだろうか、と思いつつ、浩瀚は笑みを浮かべて主に訊ねる。主は気まずそうに目を伏せて応えを返した。
「──知らないよ」
「桂桂の発案だそうですよ」
 にっこりと笑って種明かしをすると、主の顔色は一変した。桂桂が、と呟いて、主は再び目を見張る。純粋な驚きのためか、滑らかな頬が朱に染まっていく。どうして知っているんだろう、という声が聞こえてきそうな貌だ。浩瀚は更に桂桂の言葉を伝えた。
「綺麗なものは庭院に飾って皆で眺めよう、とは蓋し名言でございましょう」
「──蓬莱の行事なのに?」
 主は自嘲気味に訊き返し、そっと俯いた。皆に隠れて故郷の行事を続けていた、という自責が滲む、その言葉。胎果の女王は、相変わらず生真面目だ。だからこそ。
「そんなことをお気になさいますか?」
 浩瀚は笑みを湛えてそう訊ねた。主はゆっくりと顔を上げる。翳りを見せるその瞳を捉え、浩瀚は言い添えた。
「美しい笹飾りは、さぞや人心を打つことでしょう」
「そう……かもしれないね」
 主は躊躇いつつも頷く。浩瀚は美しい料紙に目を移し、己も頷いた。それを見て、主は漸く淡い笑みを見せた。

* * *  3  * * *

 七夕の笹は、手の空いている者たちによって国主の執務室から見下ろせる庭院に立てられた。それぞれが持ち寄った五色の短冊が飾られ、笹を美しく彩る。やがて。
 執務を終えた国主が女史や女御とともに姿を現し、その場にいた者たちは拍手と歓声で主役を出迎えた。主は真っ先に桂桂に歩み寄り、手にした短冊を翳してにっこりと笑む。

「桂桂、ほんとうにありがとう」

 桂桂は不思議そうに首を傾げ、それから見る間に頬を紅潮させて俯いた。その短冊に認められた願い事を見てとり、浩瀚は唇を緩める。なるほど、と呟くと、桂桂は慌てたように振り返った。そして、真っ赤な貌のまま言い訳を始める。
「浩瀚さま! えっと、主上はいつも王としての願いを書かれているようなので……!」

 陽子の願いが叶いますように。

 丁寧に書かれたその文字には心が籠っている。少なくとも、この場に入ることができる者は、国主の御名を曝すなど不遜だ、などとは言わないだろう。視線を移すと、主は桂桂の短冊を笹に飾りつけながら鮮やかな笑みを見せた。
「桂桂、誰も咎めたりしないよ。そうだろう、浩瀚」
「無論でございます」
 浩瀚は即座にそう返した。庭院に拍手が満ち、その場は温かな気に包まれる。桂桂は所在なげに辺りを見回した。そして、皆の笑顔に初めて気づいたように目を見張り、照れくさそうに笑みを浮かべる。気を取り直した桂桂は主に訊ねた。
「主上、今年の願い事は何ですか?」
「中嶋陽子の今年の願いは、これに尽きる」

 七夕を皆で楽しめますように。

 主の短冊にはそう認めてあった。その短冊を主から手渡された桂桂は、嬉しげに笹に吊るしたのだった。

 主の躊躇いを払拭したのは、やはり桂桂なのだろう。蓬莱の祭を躊躇なく受け入れ、短冊に記す願い事も思いやりに溢れている。主の願いは景王のものだ、と明言することなど、他の誰にもできないことだろう。もちろん浩瀚にも。

「──浩瀚」
 小さく名を呼ばれ、浩瀚は振り返る。主が浩瀚に笑みを向けていた。

「ありがとう」

 驚くほど真っ直ぐな瞳で臣に礼を言う、蓬莱生まれの女王。浩瀚は笑みを浮かべ、どういたしまして、と答えて頭を下げた。
「ところで、浩瀚は短冊に何と書いたんだ?」
 主が無邪気に問うた。浩瀚はただ笑みだけを返す。主は柳眉を顰めて浩瀚を見つめた。
「──探してくる」
 どうせ手蹟で分かるから。そう息まいて主は駆けていく。浩瀚はその後ろ姿を笑顔で見送った。幸せであるように。短冊には一言そう記した。願いはただひとつ。

 主上、あなたがいつも幸せでありますように。

2011.07.07.
 短編「祈念」をお送りいたしました。 短編「星祭」の浩瀚視点でございます。
 北の国の我が街では七夕は8月7日でございます。 けれど、全国的に七夕である本日、昨年纏められなかった短編を仕上げることができましたので 出してみることにいたしました。
 お楽しみいただけると嬉しく思います。

2011.07.07. 速世未生 記
背景画像「深夜光房」さま
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