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短 冊

「そろそろ準備を始めなくちゃね」
「王宮ではできないから、持って帰りましょうか」
 七夕が近くなったある日、鈴は祥瓊とこっそり打ち合わせをしていた。胎果の女王を喜ばせるための恒例の準備であった。

 鈴と祥瓊は、両手に沢山の料紙を持ち帰った。色とりどりの綺麗な紙を見て、二人を迎えに出た桂桂が歓声を上げる。
「うわあ、きれいだね! それ、どうするの?」
「短冊を作るのよ」
「たんざく?」
 首を傾げる桂桂に、鈴は笑顔で答えた。知らない単語を聞いたせいか、桂桂はますます首を捻る。無理もない。七夕は、蓬莱の行事なのだから。鈴は桂桂のために七夕のことを説明したのだった。
「それでね、七夕の日に短冊に願い事を書いて笹に吊るすと、願いが叶うと言われているのよ」
「へえ……」
 鈴が話し終わると、桂桂は目を丸くした。そんな桂桂に、祥瓊が笑って言った。
「というわけで、桂桂もお手伝いをしてね」
 蓬莱生まれの女王のために、と続けると、もちろん、と桂桂はにっこり笑って頷いた。

 大卓の上に美しい料紙を広げ、三人で作業を分担した。祥瓊が料紙を細長く切り揃え、鈴が穴をあけ、桂桂が紐を通して仕上げるのだ。色鮮やかな短冊が、どんどん出来上がっていった。
「──笹はどこに立てるの?」
 紐を通して結びながら、桂桂が訊ねる。手を止めることなく祥瓊が答えた。
「陽子の堂室の露台よ」
「陽子の堂室? それじゃあ、陽子は朝早くと夜遅くにしか笹飾りを見られないね」
 それは何気ない一言だった。鈴は、はたと手を止める。それは祥瓊も同じだった。確かに、まだまだ落ち着かない国を治める女王が私室にいる時間は短い。けれど、それは秘密だけに仕方ない、と思っていたのだ。
 無邪気な桂桂の指摘は、鈴と祥瓊の後ろめたさを助長させた。二人は顔を見合わせて大きな溜息をつく。
「僕、何かまずいことを言ったかな」
 顔を上げた桂桂もまた、手を止めて済まなそうに呟く。鈴は再び溜息をつき、首を横に振った。
「──ううん」
「ただね、陽子が蓬莱を恋うているように思われると困るのよ」
 祥瓊が、顔を蹙めて桂桂に説明した。大分落ち着いてきたとはいえ、金波宮の全ての者が女王に好意的なわけではない。それは、女王も宰輔も冢宰も心に留めていることであった。女王を案ずる宰輔の諫言を避けるために、鈴も祥瓊も七夕の準備はこっそりと行っているのだ。しかし。
「こんなにきれいなんだから、庭院に飾って、みんなで眺められたらいいのに……」
 俯いた桂桂は、小さな声でそう言った。鈴は思わず祥瓊を見つめる。祥瓊も鈴に目を走らせていた。二人は再び顔を見合わせる。そして、にっこりと笑った。
「そうね。今年は庭院に笹を立てましょうか」
「みんなにも短冊を配って、願い事を書いてもらいましょう」
「ほんとう?」
 顔を上げた桂桂の瞳がぱっと輝く。鈴は祥瓊とともに大きく頷いた。
「じゃあ僕、みんなに短冊を配ってくるね!」
「きちんと七夕の説明をしてね」
「まかせて!」
 色とりどりの短冊を沢山抱え、桂桂は嬉しげに駆け出ていく。鈴と祥瓊は、笑顔で桂桂を見送った。

「──いつの間にか、私たち、隠すことばかり考えていたみたいね」
「そうかもしれないわね」
 残った短冊を揃えながら、祥瓊がしみじみと呟く。鈴も首肯した。陽子のため、と言いつつ、秘密にすることで陽子に後ろめたい思いをさせていたのかもしれない。楽しい行事なのだから、皆を巻きこんでしまえばよい。素直な桂桂に、そう教えられたような気がした。
 桂桂は、皆に明るく短冊を渡すのだろう。そして、皆は面白がって短冊に願い事を認めるのだろう。鈴は楽しげな虎嘯や桓魋かんたいを思い浮かべて微笑む。きっと、気難しい宰輔も同じに違いない。宰輔の諫言は、女王を大切に思う故なのだから。
「──そういえば、陽子の堂室に笹がないと残念がる方がいらっしゃるのでは?」
「あの方には事前にお報せすればいいのよ。今年は皆で祝います、って」
 そうすれば下からいらしてくださるわよ、と祥瓊は笑う。確かにそうかもしれない。隣国の王は、勝手気儘に見えても、己の伴侶を尊重しているのだ。
「今年は、あの方も願い事を書いてくださるかもしれないわ」
「そうね」
 楽しげな祥瓊に応えを返し、鈴は短冊に視線を落とす。陽子は、いつも国の安寧や民の幸せばかりを短冊に願っていた。
「陽子は人のことばかり願っていたわね」
「自分の願いは後回しなのよね」
 真面目過ぎる、と祥瓊も溜息をついた。陽子は己の願いを知られないように、誰も読めない横文字で認める。鈴や祥瓊が追及すると、困ったように口を閉ざして頬を染めるのだ。
 かつて、織姫と彦星が会えるといいな、と呟いていた陽子。きっと、伴侶と離れて暮らす己を織姫に準えていたのだろう。己の想いを胸に秘める陽子が、鈴には微笑ましくも切なく思えた。
「きっと、可愛い願い事なんだと思うけれど……」
「私たちも、織姫さまのために願い事を認めましょうか」
 祥瓊はそう言って筆を取った。陽子の願いが叶いますように、と綴り、祥瓊は意味ありげに笑う。そうして、もう一枚の短冊に、鈴の願いが叶いますように、と認めた。鈴は友人ににっこりを笑みを返す。
「ありがとう、祥瓊」
 鈴も筆を取り、想いを籠めて願い事を書き綴る。みんなの願いが叶いますように。みんなが幸せになれますように。まだあまり上手に書けないけれど、ゆっくりと丁寧に手を動かす。すると、胸に大らかな笑顔が浮かんだ。
「みんな、でいいの?」
 鈴の手許を覗きこみ、祥瓊が笑い含みに声をかける。心を見透かすようなその問いに、鈴は真っ赤になって俯いた。祥瓊はいつまでも含み笑いを続けていた。

2009.08.04.
 今日は北の国のほとんどの地域で七夕でございます。 ほんとうは先月出したかったのですが、上手く纏まりませんでした。 ひと月遅れの七夕ですが、よろしければお楽しみくださいませ。

2009.08.07. 速世未生 記
背景画像「深夜光房」さま
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