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夢 現ゆめうつつ

* * *  第八夜── 生命(いのち)  * * *

 柔らかな微睡みが不意に破られた。凄まじい衝撃とともに天地が逆さまになる。激しく揺さぶられ、目眩がした。何が起きたか分からぬままに流れ流され、不安が増していく。そうして、知らぬ間に運ばれた世界にて、安息を手に入れた。そこにいた筈の誰かを弾き飛ばして──。

 はっと目を覚ます。なんて生々しい夢だろう。半身を起した陽子は両手で顔を覆う。それでも目の前の心象が消えることはなかった。震えが止まらない。そして、我知らず悲鳴を上げた。
「──陽子」
 低い声が聞こえ、逞しい胸に引き寄せられた。が、陽子は悲鳴を上げて抗った。今見たものは、ただの夢ではない。振り払いたい。思い出したくない。半狂乱の陽子の耳に、冷静な声が響いた。
「──陽子。落ち着け」
 抱きしめる腕の温もりでさえ陽子を宥めることはできなかった。どうして思い出してしまったのだろう。あれは、陽子だ。こちらからあちらに流されて、母の腹に辿りついた。先にいたはずの両親のほんとうの子供を追い出し、陽子はそこに収まったのだ──。

「──私は人殺しだ! 私は母の子を殺した……!」

 譫言のように叫び散らした。泰麒捜索の折に浩瀚が調べたことを思い出す。泰麒は失踪した十年後、十歳で蓬山に帰還した、と。それが何を意味するのか、あのとき陽子は深く考えることを避けた。しかし今、それを目の前に突きつけられたのだ。
 あちらで女の腹に辿りついた卵果は、先にいた命を弾き飛ばし、己が世に産まれ出るのだ。そうでなければ計算が合わない。托卵する鳥のように、胎果は在るべき命を犠牲にして生まれ育つ──。
「陽子!」
「私は……母が十月胎内で育んでいた子供を殺した……」
 震えが止まらなかった。見せつけられた生々しい夢。それは、忘れていた過去の罪を暴いたのだ。尚も喚こうとした陽子を、伴侶はきつく抱きしめた。そして耳許で低く囁く。

「陽子……子供は、いつも無事に産まれるとは限らないのだぞ」

「え……?」
 伴侶の放った意外な言葉に陽子は瞠目する。尚隆はそんな陽子を苦い眼で見つめた。

「──産声を上げない子供は、稀ではなかった」

 冷水を浴びせられたような気がした。声を失い、震えを止められぬままに伴侶を見つめ返す。少し目許を緩めた伴侶が続けた。
「無事に産まれた子を抱いた女は、幸せそうだったぞ」
 陽子は黙して伴侶を見つめた。五百年の歳の差を思い出す。応仁の乱が起こっていた時代に生きていた伴侶。医療の常識がまるで違う。産まれる前に流れる子もいたし、産まれてすぐに亡くなる子もいた。子供は当たり前に産まれ育つわけではないのだ。
 自責の念が消えたわけではないが、伴侶の言わんとしていることは分かった。胎果は、消えた命の代わりに宿るのかもしれない。それは、身勝手な幻想かもしれないけれど、ひととき陽子の心を慰める。陽子は目を閉じて伴侶に身体を預けた。
「――気休めだね」
 伴侶は陽子を抱きとめて、喉の奥で笑う。気休めでよい、と微かな囁きが聞こえた。その声は限りなく優しくて、触れあう素肌とともに陽子を温めた。

 夢の残滓は未だ鮮やかなまま。しかし、揺さぶられることはもうない。今、ここにいる。与えられた生を、お終いまで全うすること。それは生きとし生けるもの全ての命題なのかもしれない。
 見上げると、深い色を湛える瞳があった。命ある限り、このひととともにいたい。同じ想いを抱くただひとりのひとと。微笑を返した陽子の唇を伴侶は愛おしげに啄んだ。

2014.03.14.
 久しぶりの「夢現」でございます。 初筆は2011年早春でございました。 腐臭のしそうな不良債権で大変失礼いたしました〜。
 それでも、仕上げられたことに満足しております。 お楽しみいただけると嬉しゅうございます。

2014.03.15. 速世未生 記
背景素材「篝火幻燈」さま
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