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夢 現ゆめうつつ

* * *  第一夜──深遠  * * *

(いかないで──)

 昏い闇に消えていこうとする人影に向かって叫ぶ。
 涙が滲んだ。

(私を置いて逝かないで──)

 振り返らない大きな影に手を伸ばす。
 涙が零れた。

(私も──)

 闇に紛れそうな影に縋る。
 涙が溢れた。

 ──いけない、その先を言ってはいけない。

(私も一緒に──)

 いけない、その先を言っては──。

* * *    * * *

「駄目だ!」
「陽子!」

 自らの叫び声と、自らを呼ぶ抑えた声が同時に聞こえた。陽子は目を見開く。額に、背に感じる冷たい汗。我知らず掠れた呟きが洩れる。
「──夢……」
「──陽子」
 呼び声にやっと気づく。頬を軽く叩く大きな手。見上げると、心配そうな色を湛えた双眸があった、
尚隆なおたか……」
 陽子は強張った身体を伴侶の胸に預けた。大きく息をつく。辺りはまだ暗い。今夜は月影もない。だからだろうか、悪夢を見たのは。悪夢──そう思うと身体がまた少し震えた。
 尚隆が陽子をそっと抱き寄せた。その腕の温かさが陽子を現実に引き戻した。

 このひとは、ここにいる。

 その温もりを確かめるように、陽子は尚隆の首に腕を回す。そして口づけを交わした。
「──落ち着いたか?」
 ゆったりと訊ねる尚隆の声に、陽子の心は和んだ。このひとは、余計なことは何ひとつ問わない。陽子が話す気になるまで待ってくれる。このひとの気の長さに、陽子はいつも救われているような気がした。
「もう、大丈夫」
 笑みを返す。そう、夢だ。ただの悪夢。現実のことでは、ない。尚隆はここにいる。

「あなたは、ここにいる──」

 その呟きを聞いて、尚隆は限りなく優しい笑みを見せた。愛おしむように陽子の髪を撫で、頬に触れる。そして交わされる甘い口づけ──。

「──陽子。それは、いつか必ず訪れる現実だ」

 穏やかな口調でそう断言し、延王尚隆は優しく微笑む。伴侶の顔で王の言葉を口にする尚隆を、陽子は声もなく見つめ返す。

「──覚悟しておけ」

「──」
 五百余年の統治を誇る延王の訓戒に、景王陽子は黙して頷いた。翠の瞳に勁い輝きが宿る。

「──夢で、よかった」
 いきなりその現実に晒されなくてよかった──。

「もう、大丈夫」
 陽子は王の顔で笑みを返す。尚隆は満足げに微笑し、再び己の伴侶を抱き寄せた。

2005.09.12.
 夢現──誰が見た夢でしょう。陽子? それとも、私だろうか──。

 人は一人で産まれ、一人で死んでゆく。──多少の例外はあるけれど。 大切なひとを喪っても、ついていくことはできない。 天寿尽きるまで、歩みを止めることはできない。

 それは常世でも蓬莱でも、きっと同じでしょうね……。

2005.09.12. 速世未生 記
背景素材「篝火幻燈」さま
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