「夢現目次」 「玄関」 

夢 現ゆめうつつ

* * *  第五夜──妖花  * * *

 久方ぶりの逢瀬だった。牀榻に忍びこむ尚隆を、伴侶は喜色を湛えた瞳で見つめる。想いを籠めて甘い口づけを交わし、そして抱きしめあった。
 滑らかな柔肌を貪り、あえかな声を堪能し、温かな肢体に己の身を重ねる。伴侶は果てた尚隆を優しく抱きとめた。その胸に頭をつけると、まだ速い鼓動が耳に心地よい。

「──やっぱり、あなたがいい」

 微かな囁きとともに、背に回された華奢な腕に力が籠められた。気怠くも甘い沈黙に身を任せていた尚隆は思わず伴侶に問い返す。
「やっぱり、とは?」
「あのね……」
 伴侶は無邪気に微笑み、思いがけぬことを語った。尚隆は少し目を見張る。その動揺に気づかないのか、伴侶は尚も続ける。
「だって……」
 あなたとは会いたくても会えないんだもの、と伴侶ははにかんだ笑みを見せる。それは言葉とは裏腹な、伴侶らしい清麗な笑みで、尚隆は図らずも絶句した。

「でも……だから、やっぱりあなたがいい……」

 伴侶は純真に微笑んで甘く口づける。教えたはずのない技を繰るこの女は誰だ? そう思いつつも、尚隆は目の前の美しい女に幻惑されてゆく──。

* * *    * * *

「──尚隆なおたか
 気遣わしげな声で目が覚めた。翠の瞳が心配そうに覗きこんでいる。抱き寄せて口づけると、伴侶は安堵の溜息をついた。
「よかった……うなされていたから、どうしたのかと思った」
「うなされていた? 俺が?」
 うん、と頷き、伴侶はまた不安げな目を向ける。夢で見た無邪気さとは全く違うその貌に、尚隆は微笑し、どうした、と問うた。
「──いきなりきつく抱きしめられて、目が覚めたんだ、その後……」
「──俺は、何をした?」
 目を伏せて口籠る伴侶に、尚隆は優しく訊いた。伴侶は目を上げ、躊躇いがちに口を開く。
「お前は誰だ、と……」
 泣きそうな顔が愛おしく、尚隆は伴侶を抱きしめる。そのまま甘く口づけた。長く深い口づけの後、伴侶はうっとりとした笑みを見せる。それは、夢を思い出させる無邪気な貌だった。

(あのね、目を閉じて身を任せるの。そして、あなたを思い浮かべるの)
(だって、あなたとは、会いたくても会えないんだもの)
(でも……だから、やっぱりあなたがいい……)

 残酷な科白を、天衣無縫な笑みで語る夢の中の女。思い浮かべて苦笑すると、腕の中の伴侶はまた顔を曇らせた。それでも何も問わぬ伴侶に、もう一度口づけを落とす。
 腕の中の女は、決して己だけのものにはならない女王だ。確かに、この腕の中に在るときは、己のもの。しかし、伴侶と言いつつ公認の仲ではないし、常に傍にいられるわけでもない。会えないときに誰といようと、尚隆に陽子を咎めることはできない。それを忘れるな、と警鐘を鳴らされたような気がした。
 潤んだ瞳で見つめる伴侶に笑みを返す。現のこの女が、己だけを待っているなど、尚隆の幻想なのかもしれない。そう思うと、無邪気でいながら妖艶だった貌を、現で見てみたい気がした。
 咲き初めし紅の花を手折ったのは、いつのことだったろう。今や伴侶は匂やかに咲き誇る大輪の花。この笑みに、この姿態に魅了されぬ男はいない。だからこそ。妓楼に行っている場合ではないかもしれぬ、と尚隆は胸でひとりごちた。
「──今宵は趣向を変えてみようか」
 人の悪い笑みを浮かべ、羞じらう伴侶の身体を開く。戸惑う貌を見せながらも、常と違う愛撫に震える肢体。そんな素直な伴侶を愛おしく思う。
 艶やかな女王を抱く男は、己ひとりではないのかもしれない。だからこそ、この腕の中にいるときは、己だけのもの。離れていても忘れられぬよう、その身と心に刻もう。この熱い想いを、ただひとりのお前に。

2007.03.18.
 無邪気な伴侶に翻弄される尚隆、という場面が降りてまいりました。 けれど、作者が翻弄されてしまいました(溜息)。
 「夢現」に入ってしまった時点で、ぬるいな……とお解かりになった方、 ごめんなさいね。

2007.03.18. 速世未生
背景素材「篝火幻燈」さま
「夢現目次」 「玄関」