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四葉さま「4万打記念リクエスト」

深 謀

* * *  1  * * *

 雁州国王都関弓の街は、相も変わらず活気に満ちていた。夕闇迫るその喧騒の中を、若者はゆっくりと歩いていた。関弓の下町には、旨い物や珍しい物を置く店が沢山ある。今日はどの店で夕食を取ろうか、若者は品定めに忙しい。
 しばらくそぞろ歩きをし、若者はある店に目を留め、笑みを浮かべた。そこには、見覚えのある男が立っていたのだ。
 ゆったりと腕を組み、店の壁に凭れて立つ精悍な風貌の偉丈夫。その男は、恐ろしいくらいの際立つ気配を滲ませている。その店は繁盛しているようだったが、その男に気圧されて入れない者もいる始末だった。
 若者を認めると、男は鋭い視線を送りつつ、にやりと笑みを見せる。若者は軽く頷くと、男に話しかけた。
「やあ、風漢。営業妨害じゃないのかい」
「お蔭で見つけやすかったろう?」
 若者にそう返し、風漢と呼ばれた男は、人の悪い笑みを浮かべる。それと同時に、男を目立たせていた際立つ気配が、すっと影を潜めた。若者は苦笑し、軽く肩を竦めた。
「──案外、早かったね」
「これでも遅いと思うぞ、利広」
 利広と呼ばれた若者は、爽やかな笑みを向ける。風漢は皮肉な笑みを返した。不穏な凄みを隠すその笑みに、利広は怖じけることもない。
「風漢がここにいるってことは、今晩の夕食はここにすべきなんだろうな。風漢の奢りかい?」
「お前が奢るべきだと思うがな」
「──やっぱりそうくるか。まあ、いいや。入ろう」
 利広は再び苦笑を浮かべ、店の扉を開けた。黙して頷き、風漢はその後ろに続いた。
 店は適度に混んでおり、活気に満ちた喧騒が心地よさすら感じさせた。店の席に落ち着き、利広は慣れた調子で注文をする。注文を取る娘に満面の笑みを振りまきながら。頬を染めた娘が去ってから、風漢は呆れたように呟いた。
「お前は相変わらずだな」
「人はそう変わるものじゃないよ、風漢」
 悪びれもせずに利広は応えを返す。風漢は肩を竦めた。そんな風漢に、利広は口許を少し歪めて視線を戻す。
「そんなことを言うために、わざわざ私を捜したのかい?」
「まあ、そう焦るな。再会の乾杯もしていないのだぞ」
 にやりと笑う風漢に、今度は利広が肩を竦め、苦笑した。すぐに飲み物が用意された。二人は酒盃を持ち上げ、空々しい乾杯をした。
「お前は、今回も俺とは会いたくなかっただろうがな」
「まったくだよ。むさ苦しい男と、こう何度も顔を合わせるなんて、ほんとついてない。酒を飲むなら、美女との方がいいのに」
 風漢の揶揄に、利広は不平を漏らし、深く嘆息した。風漢は、我が意を得たり、とばかりに人の悪い笑みを返す。そして、おもむろに本題に入った。
「美女を、捕まえ損ねたな」
「──風漢の口からだけは聞きたくないな」
 不機嫌にそう言うと、利広は一気に酒盃を空ける。追加の酒を注ぎながら、風漢は面白げに問うた。
「また、俺のせいだとでも言うつもりなのか?」
「違う、と言うのかい?」
「違わないな」
 憮然と返す利広に、風漢は大きく笑った。利広は嫌そうに横を向く。そんな利広を、風漢は楽しげに見つめていた。

* * *  2  * * *

 まもなく料理が次々と運ばれてきた。注文を取った娘が赤い顔で利広の前に皿を置く。利広は微笑を浮かべ、その様子を眺める。風漢は肩を揺らし、笑いを押し殺していた。名残惜しそうに去る娘を尻目に、風漢が声をかける。
「一夜の恋なら、いつでもできるだろう?」
「──話を逸らすのは疾しいからかい?」
「疾しいときたか」
 笑みを浮かべて切り返す利広に、風漢は再び大きく笑い、並べられた皿に手を出した。利広は小さく溜息をつき、己も温かな料理に手を伸ばす。
「──私には、笑いごとじゃない」
「そうなのか?」
「そうだよ」
 そう断じると、利広は強い目で風漢を見つめた。風漢は口許を歪めて嗤う。
「──ほう。それは、宣戦布告、と取ってよいのかな?」
「どう思おうが、風漢の勝手だよ」
「やはりお前は面白い奴だ」
 真顔で見つめ返す利広に、風漢はくつくつと笑い、杯を干した。楽しげな風漢を上目遣いに睨めつけ、利広は空いた酒盃に酒を注ぐ。
「──そんなに余裕をかましていていいのかい?」
 この男のこういうところが気に障るのだ。利広は口の端に笑みを浮かべ、挑戦的な目を向けた。風漢は面白げにその視線を受ける。利広はおもむろに続けた。
「──あそこで私が彼女と再会したのも、きっと何か意味があるんだよ」
「また、お得意の運命論か?」
「──運命じゃない。天意、だよ。そうは思わないか?」
 強い視線を送る利広に、風漢は応えを返さなかった。利広は畳みかける。
「風漢だって、運命だ、と彼女を口説いたんだろう? 天啓が降りた、と」
「それとこれとは話が違うだろう」
 風漢は苦笑する。それは逃げのように思え、利広は即断じた。
「違わない」
「そこまで断言するのか」
「前にも訊いたと思うけど」
 一度言葉を切り、利広は大きく息を吸う。そして鋭い目を風漢に向けた。

「何故、天意を信じないの? 天啓を受けた身でありながら」

 底知れぬ深さを持つ風漢の双眸を、利広はしっかと見据える。その目は、以前同じ問いかけをしたときとは、何かが違う。風漢の苦笑は、皮肉な笑みに取って代わった。

「──天意など、都合よく解釈できる。その程度のものだ」

 ふっと息をつき、風漢はおもむろに杯を乾す。利広は黙して先を促した。
「でなければ、振り回され、呑まれるだけだからな」
 風漢はのんびりとそう続けた。利広はゆっくりと笑みを浮かべる。この男から応えを引き出せただけでもよしとしよう。
「随分しおらしくなったものだね。それも彼女のお蔭かな?」
「──運命だろうが天意だろうが、俺には関係ないことだがな」
 利広のその揶揄には答えず、風漢はくつくつと笑う。利広を見つめるその瞳には、最初に感じた物騒な凄みが隠されていた。

「お前ふうに言えば、俺が現れた時点で、お前の上に天意はない」

 風漢は口許を歪め、そう断じた。利広は僅かに目を見張る。自信ありげな風漢に、利広は応えを返さなかった。
「馳走だった、とは言わぬ。お前の奢りは当然だ」
 飄々とそう言い、風漢はゆっくりと立ち上がる。憮然と黙す利広の横顔を一瞥し、風漢は踵を返す。そして、もう振り返ることはなかった。

* * *  3  * * *

「──分かっているさ、そんなこと」

 小さくなっていく風漢の背を見送りながら、利広はひとりごちる。胸に昨日の記憶がまざまざと甦る。

(──陽子)
 風漢の声を聞いた途端、閉じこめたはずの彼女は、利広の腕から逃れ出た。そして、後ろも見ずに駆け去った。後を追う風漢は、彼女だけを見つめ、利広の横を何も言わずに通り過ぎた。
「──殴られる、と思ったのに」
 利広は溜息をつく。あんなところで彼女にめぐり会うなど、思ってもみなかった。この出会いには意味があるのだと確信した。それは、相も変わらず無防備な彼女を見れば一目瞭然のことだった。
 どこまでも純粋な彼女を、言を弄し搦めとった。困惑する彼女を、追いつめて抱きしめた。その勁い翠玉の双眸を見つめ、熱い口づけを落とした。彼女は、無意識の防御を超えて求めてくる男を拒めない。利広はそれをよく知っていた。
 再びめぐりあえたら、己はどうするのだろう。彼女の夢を見るたびにそう思った。夢の中の彼女はいつも利広の腕をすり抜ける。そのせいだろうか、実際に彼女の翠の宝玉を見つめたら、心が大きく動いた。もう一度、彼女を抱きしめて確かめたい。麗しき女王を、もう一度手折ってみたいと思ったのだ。
 彼女が関弓にいるということは、風漢も近くにいるだろうと予測はついた。しかし、利広は気にしなかった。風漢に見られてもよい、とさえ思った。
 彼女はきっと、それに耐えられないだろう。では、風漢は? 以前、風漢は物騒な目で利広を見つめた。

(──お前が、陽子あれを傷つけていたら、殴っていたかもしれぬがな)

 利広は薄く笑う。もしかして、利広は、風漢の──いや、延王尚隆の本気を見てみたかったのかもしれない。結果が分かっていても、やってみたくなることはある。これが、天意を試したくなる「王の闇」というものなのだろうか。
 そして、天命なき者は、天命に縛られる者に敵うことはないのかもしれない。彼女の翠玉の瞳に隠されたものは、利広を甘く惑わせる。その伴侶である風漢の双眸が湛えるものは、利広を鋭く射抜く。

(俺が現れた時点で、お前の上に天意はない)

 延王尚隆の言は、卓郎君利広の胸の奥に潜む扉を叩いたような気がする。天啓を受けながら天意を信じぬ王の、昏い深淵を覗いてみたいと願う、己の暗闇を──。

 利広はゆっくりと首を振った。天を試す必要などない。天の思し召しがあれば、また会うこともあるだろう。鮮やかな紅の女王を想い、利広は唇に笑みを浮かべた。

2006.10.23.
 「4万打記念リクエスト」短編「深謀」をお届けいたしました。 御題は「尚隆vs」。 「陽子を廻って腹黒く緊張感溢れる感じで対決して欲しいです」 とのコメントをいただきました。
 四葉さま、美味しいリクエストをありがとうございました!  大変楽しく書かせていただきました。 お気に召していただけると嬉しいのですが。
 実は、最初に書き始めたものは、 利広が陽子にちょっかいを出すところから始まっておりました。 例の如く、どんどん延びて纏まらなくなったため、 「尚利対決」の部分のみ抜き出しました。 そのうち、黒い本編も出せるといいなと思っております。

2006.10.23. 速世未生 記
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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