微 行
慶東国王都堯天。内乱が終わり。新王が即位し、他国に逃れていた民は国に帰ってきた。荒れていたこの街も活気を取り戻しつつあった。
その堯天の広途に現れたその人物に、行き交う人々の目は釘付けとなる。まるで辺りに紅の光が射すようだった。豊かな緋色の束髪に翡翠の瞳。簡素だが仕立ての良い袍に身を包んだ凛々しい若者。街行く人々はそっと囁きあう。
──男? それとも女?
男物の袍を纏うそのすんなりとした身体は、女にしては背が高い。しかし、男にしては線が細い。
(袍を着ているし、剣も持っている。そんな女はいないわよね)
(そうよね、凛々しい若者よね)
(あんな華奢な男はいないよな)
(しかも、美しすぎる)
結論として、女はその人物を男と思い、男は女と見做すことに落ち着く。そして、当の本人は、街人に物議を醸していることになど、まるで頓着せずに街を闊歩している。──自分が目立っていることに、全く気づきもせずに。
* * * * * *
景王陽子は慣れた足取りで堯天を歩く。初めて訪れたときよりも、街は確実に賑わいを増している。己の目でそれを確かめ、陽子は満足していた。しかし──。
雑踏の中で、陽子は厳つい男にぶつかった。いや、どちらかというと、ぶつかってこられた感じがした。陽子は少し顔を蹙める。
「人にぶつかっておいて挨拶なしか?」
「──そちらからぶつかってきたんだろう」
「なんだと!? 生意気な小童め!」
怒りに顔を赤く染めた男は袍を纏う陽子の胸倉を掴んだ。そして不意に眉根を寄せる。
「──なんだ、お前、女か?」
「それが何か?」
「女なら、それはそれで……」
男は野卑た笑みを浮かべる。陽子は動じることなく男の手を払い、そのまま歩き出そうとした。
「──待て!」
男は再び陽子に手を伸ばす。捕らえようと伸ばされる腕をかいくぐり、陽子は不敵に笑う。太刀を使うまでもない。
「ちょこまかと逃げやがる……」
「悪いけれど、これ以上つきあっている暇はない」
低く呟き、陽子は突進してくる男の直前で体を返す。そして、つんのめった男の首の後ろを手刀で打つ。男はそのままくたりと道に倒れた。男の昏倒を確認し、陽子は踵を返す。そんな陽子の足許から密やかな声がした。
「──主上」
「諫言なら聞かないぞ、班渠」
いつも影のように付き従う景麒の使令に、景王陽子は不機嫌な応えを返す。女王に機先を制された班渠は苦笑混じりに問いかける。
「──本日、何度目ですか?」
「──三度目、かな。堯天も案外物騒な街だよな。もっと警備を充実させないと……」
その問いに応えを返し、景王陽子は真面目にそうのたまう。女王の言葉を聞いて、班渠は大きく溜息をつく。
──あなたが目立ちすぎなのですよ、主上。
しかし、賢明な班渠は、その言葉を口に出すことはなかった。
2006.06.28.
お忍び「漢前」陽子主上でございます。
拍手其の十「陽子主上のある日の出来事」を加筆修正してまいりました。
「僥倖」連作で「目立ってる」と指摘された陽子主上。
じゃあ、どんな風に目立ってるのか、と書き始めたのは、実は去年の8月でした。
ありゃあ、ずっと放ったらかし……。で、拍手其の十とくっつけてみました。
というわけで、「黎明」「刻印」後、「僥倖」連作前の頃、と思ってください。
班渠の苦労は、きっと序の口でしょう……。
2006.6.29. 速世未生 記