みるくうさぎさま「23万打記念リクエスト」
貢 物
慶東国王都堯天。郊祀が終わり、歳が改まった。忙しなく行事を熟していた金波宮も、漸く普段の落ち着きを取り戻した。柔らかな陽が射しこむ穏やかな冬の日の午後。国主景王も、日常に戻って政務に勤しんでいた。そんなとき。
「主上、例の物が届きました」
国主の執務室に姿を現すなり弾んだ声を上げたのは、禁軍左将軍である。書卓に向かっていた景王陽子は、おもむろに顔を上げ、呆れ顔で桓魋を見つめた。
「桓魋。そんな伝令など、お前の仕事じゃないだろう」
「お言葉を返すようですが、これも俺の重要なお役目のひとつですよ、主上」
桓魋は大真面目に応えを返す。陽子は堪らず顔を崩した。その途端、回廊から豪快な笑い声が響く。大僕虎嘯は左将軍の謁見のわけを熟知しているようだ。まったく、どれだけ楽しみにしていたのだろう。子供みたいだ、と思い、陽子はくすくすと笑いを零す。そうして、王命を待つ将軍に声をかけた。
「では、早急に宴の手配を頼む」
「承知仕りました」
桓魋は恭しく頭を下げ、踵を返した。笑みを湛えてその背を見送り、陽子は書卓に目を戻す。そして、書簡を捌く速度を上げた。御璽押印済みの書簡が山積みになった頃。
「主上」
涼しげな声をかけられて、陽子は顔を上げる。すると、今度は冢宰が目の前に現れた。空手の冢宰を訝しく見つめると、浩瀚は恭しく頭を下げ、ゆったりと用件を述べた。
「宴の準備が整いました」
「やれやれ、今度は冢宰が使い走りか。金波宮はどうかしてるぞ」
「手の空いている者が私しかおりませんでしたので」
呆れて嘆息する陽子に、六官の長である冢宰は悪びれずにそう返す。陽子は声を立てて笑い、書簡を纏めて立ち上がった。
「それでは私も、冢宰すら動かす素晴らしい貢物を堪能しに参ろうか」
「御意」
国主に軽く頭を下げ、冢宰もまた楽しげに笑ったのだった。
冢宰と大僕を引き連れて、景王陽子はささやかな宴の席に着く。集う王の側近たちは、満面の笑みで主を迎えたのだった。
既に堂室には独特の甘い匂いが立ち上っている。祥瓊と鈴が湯気の立つ茶杯を盆に載せて現れたのだ。二人は顔をほころばせてそれを皆に配り始める。陽子もまた笑顔でそれを待った。
そんな女性陣とは裏腹に、桓魋や虎嘯は残念そうに首を振る。その様子を遠甫が笑みを湛えて眺めていた。
「主上……」
「まだ明るいじゃないか」
「でも……」
「勅命が聞けないか」
恨めしげに茶杯を見つめる桓魋に、陽子はきっぱりと断じる。大卓の周りだけではなく、国主の足許からも低い笑い声が上がった。使令の班渠にまで笑われた将軍は、口を噤んで溜息をつく。陽子は笑みを浮かべ、大卓を囲む側近たちを見回した。
「今年も皆が待ち望んでいた嬉しい貢物が届いた。存分に楽しんでくれ」
乾杯、と唱和し、皆は温かい茶杯を持ち上げた。
年号が赤楽に変わり、慶東国の復興は進んでいる。国主を得て天候が落ち着き、国土には目に見えて緑が増えた。手入れされた田圃が広がり、秋には黄金色の稲穂が垂れ、国を潤す。生き延びるために必死だった民人に余裕が生まれ、稲に新たな役割が与えられるようになって久しい。そう、稲は人々の空腹を満たすだけのものではないのだ。
米は酒になる。
そう耳にしたとき、陽子は蓬莱でも米からできた酒があったことを思い出した。如何せん、陽子は未成年で、酒とは無縁の生活をしていたから、よく知らなかったのだが。
酒造りを認め、庇護して幾年も立ち、忘れた頃によくできた酒が献上された。酒に慣れていない陽子はその味がよく分からなかった。が、酒を嗜む者たちはその献上品に称賛を惜しまなかった。もしかすると、国の名産になるかもしれない、と。
陽子はその事実に驚くとともに、物の価値の分からない己に落胆したものだ。が、貢物にはおまけがあった。それは、陽子も知る懐かしいものであった。
毎年この時季に、一番搾りの酒とともに届けられる酒粕。水に溶かし、砂糖を加えて煮立てると、まろやかでこくのある甘酒になる。それは、飲むと身も心も温まる、冬に相応しい飲み物だった。
「美味しいわ」
「俺は酒の方がいい」
「夜まで待て」
鈴と祥瓊が顔を見合わせて頷きあう。未だぶつくさ呟く桓魋に澄まして命を下し、陽子は独特の甘い匂いと味わいを心から楽しんだのであった。
2012.02.27.
みるくうさぎさまによる「23万打リクエスト」小品「貢物」をお送りいたしました。
お題は「寒い季節に温かい飲み物で和む陽子主上」でございました。
このお題をいただいて、お汁粉か甘酒かで迷いました。
お汁粉なら秋の雁かな〜と思い、甘酒に決めたのですが、とんでもなく迷走いたしました。
長い長い迷走部分をばっさり削ぎ落としましたら、こんなお話になりました〜。
いつか迷走部分も仕上げられたらよいなと思います。
お気に召していただけると嬉しいのですが。
リクエストありがとうございました!
2012.02.27. 速世未生 記