「祝!1周年」 「慶国小品」 「玄関」

祝 火しゅくか

* * *  1  * * *

 ふと筆を置いて外を眺めた。──もうすぐ、誕生日。陽子は二十歳になる。もう、そんなに経つのか、と感慨に耽った。
 こちらに来たときは、十六歳だった。十七の誕生日は、動乱の中に紛れて思い出しもしなかった。十八の誕生日も、勿論、日々の忙しさに埋もれてしまった。十九になるときは、気づかぬ振りをしていた。
 誕生日を数えても、身体がこれ以上大きくなることはないのだ。陽子の身体は、景麒と契約を交わした十六歳で、時を止めたきり。神籍に入った王には、もはや歳は関係ない。
 陽子は小さく溜息をく。蓬莱では、二十歳と言えば大人。酒や煙草が解禁になり、選挙権が与えられ、成人式を迎える歳だ。
 成人式には振袖を着せてあげるからね、母はよくそう言っていた。厳格な父も、そんなときには、陽子の晴れ姿が楽しみだな、と笑ってくれた。
 同級生も、どんどん大人の仲間入りをしているのだろう。大学に進学し、或いは就職し、早い者は結婚しているかもしれない。そして、成人式には、同窓会のように皆が集まり、懐かしい昔語りをするのだろう。
 陽子は、成人式に臨む己の姿を胸に思い浮かべた。新しい、綺麗な振袖を身に纏い、髪を結い上げ、記念写真を撮る。
 ああ、でも、公にできないとはいえ、伴侶がいる陽子は、振袖を着てはいけないのだっけ。既婚の礼装は、留袖だっただろうか。

(あれ、中嶋さん、振袖じゃないの?)
(──もしかして?)
(ああ、やっぱり!)
 目を丸くして話しかける同級生に、陽子は頬を染める。好奇心旺盛な女の子たちは、目ざとく陽子の左手の薬指に光る銀色の指輪を見つける。
(──結婚したんだね、おめでとう!)
(新しい苗字はなんていうの?)
(旦那さんはどんなひと?)
(どこで知り合ったの?)
 周囲を取り巻く女の子たちは、矢継ぎ早に訊ねる。質問攻めにされて、陽子は照れながら、小松陽子です、と名乗り、伴侶の話をする。そして、皆の近況を聞き返す。
 楽しいときを過ごした後、車で迎えに現れた伴侶に笑みを返す。どうだった、と訊ねる伴侶に、楽しかったよ、と答える。それから、冷やかされちゃった、と照れた笑みを見せる。伴侶は人の悪い笑みを浮かべ、じゃあ挨拶してくるか、と冗談を言う。恥ずかしいから止めて、と怒る陽子に、伴侶は大笑いする──。

 そこまで想像して、陽子は再び小さな溜息をつき、首を振った。あちらで成人式を迎えるのなら、陽子は伴侶とともにはいないはず。勿論、銀色の指輪をはめることもない。そっと左手の薬指を眺め、自嘲の笑みを浮かべる。
 ──何もかも、遠い蓬莱の話だ。もう戻ることのない、懐かしい夢幻の世界。けれど、今更、あちらが恋しいわけではない。ただ、思い出してみただけ。
 陽子は再び筆を取り、仕事の続きに戻った。物思いに沈む女王は、気遣わしげに見つめる冢宰の視線には気づかなかった。

* * *  2  * * *

 くるくると働く桂桂を眺めていた。もっと小さなときから、よく働く子だったな、と胸の中でひとりごちる。桂桂はじっと見つめる陽子の視線に気づき、どうしたの、と問うた。大きくなったな、と陽子は微笑して一言応えを返した。
「そりゃあそうだよ、僕ももう十二歳なんだから」
「そうか。もう、そんなになるんだね。あと八年も経ったら、立派な大人なんだな」
「八年も先の話だよ」
「八年しか、だよ、桂桂」
 陽子は淋しげに笑う。そう、桂桂は大きくなっている。去年よりも、昨日よりも。けれど、陽子は変わらぬままなのだ。
「じきに、背も追い越されてしまうんだろうね」
「陽子……僕が大きくなると、困る?」
 女性にしては背の高い陽子を、桂桂は見上げて心配そうに問うた。陽子は微笑を浮かべ、首を軽く横に振る。
「ううん、そうじゃないよ。ただ、私は、もう大きくならないから、不思議なだけ」
「陽子は十六歳のままだから?」
「うん。でも、実はね……」
 陽子は言葉を切って悪戯っぽく笑った。桂桂は興味深そうに陽子を覗きこむ。
「もうすぐ二十歳になるんだ」
「ええっ、正丁になるんじゃないか。いつなの?」
「あと、丁度十日、かな」
「そうなんだ……お祝いしなくちゃね!」
 桂桂は目を丸くし、それから大きく破顔した。その無邪気な笑みに、陽子もつられて笑顔になった。
「いや、いいんだよ。こちらではそういう習慣はないんだろう?」
「蓬莱ではあるの?」
 桂桂は小首を傾げ、不思議そうに問う。陽子は微笑して答えた。
「うん。二十歳になると、大人として認められるんだ。成人式が行われたり、お酒を飲めるようになったりするんだよ」
「へえ」
 目を丸くして陽子の話に聞き入る桂桂は可愛らしかった。それに甘えて、語りすぎてしまったかもしれない。蓬莱の話など、あまりしてはいけないのに。陽子は少し後悔した。
「──でも、私には、関係ないことだな」
「陽子……、そんなことはないんじゃない?」
「ううん、つまらないことを言っちゃったね」
 陽子を慰めるかのように、桂桂は言い募る。弟のような桂桂に、これ以上心配をかけてはいけない。陽子は話を打ち切った。
「そろそろ仕事に戻らなくちゃ。桂桂、聞いてくれて、ありがとう」
 物問いたげな桂桂に笑みを返し、陽子は踵を返した。背を向けた陽子がいつもより小さく見えて、桂桂はしばらくの間動けなかった。
 襲いくる妖魔を退治し、守ってくれた陽子。刺されて倒れた桂桂の命を救ってくれた陽子。そして、蘭玉を喪った桂桂を引き取って、変わらず姉のように接してくれる陽子。
 そんな心優しき女王に、何かしてあげたい。桂桂は心からそう思った。その場に佇み、桂桂はあれこれ考えを巡らせる。やがてよいことを思いついた桂桂は、顔を輝かせて走り去った。


* * *  3  * * *

 そして、いつもと同じように、毎日が穏やかに過ぎていった。二十歳の誕生日も、同じように過ぎてゆくのだろう。そう思い、陽子はその日もいつもどおり朝議に向かった。
 朝議が終わったとき、冢宰浩瀚が涼やかな笑みを向けた。黙して微笑む浩瀚を、陽子は訝しげに見つめる。
「どうした、浩瀚。何かよいことでもあったか?」
「はい、よい日和でございますね」
「──?」
「──なので、今日は、休養なさいませ」
「──浩瀚? そんなわけにはいかないだろう」
「よいのですよ。お堂室にてお寛ぎくださいませ」
 重ねて浩瀚に促され、陽子は首を傾げながら自室に戻った。堂室に入ると、鈴が茶菓子を用意し、茶を淹れているところだった。
「お帰りなさい、陽子」
「どうした? 鈴」
「今日は早く終わるって聞いていたから、お茶菓子を用意していたのよ。あとで呼びに来るまで、待っててね」
「──? いいけど……」
 ここにいてよ、と顔をほころばせ、鈴は駆けていった。陽子は首を傾げながらも、鈴が淹れてくれた茶を啜った。
 やがて、桂桂が陽子を迎えに来た。桂桂は陽子の手を取り、早く早くと急きたてる。桂桂に連れて行かれた太師邸には、人が大勢集まっていた。

「お誕生日、おめでとうございます!」

 陽子の姿を見ると、皆が一斉に声を揃えた。陽子は目を見張り、桂桂を見つめた。桂桂は得意そうに笑みを返した。陽子は花がほころぶように笑い、桂桂を抱きしめて言った。
「──ありがとう、桂桂。ありがとう、みんな」
 陽子は桂桂に手を引かれ、飾りつけられた大卓の上座についた。大卓の上には、蓬莱のケーキに似た菓子が置かれていた。そしてその菓子の上には、バースディ・ケーキのように、蝋燭が立てられていた。
 陽子は目を見張る。丸い大きな菓子の真ん中に、太い蝋燭が一本。そしてそれを取り囲むように、細い蝋燭が十本。用意された十一本の蝋燭は、二十歳を表す数だった。
「──どうして知ってるんだ?」
 陽子の二十歳の誕生日を。そして、蓬莱の誕生祝を。困惑する陽子のその問いに、浩瀚が涼やかに答えた。
「延台輔にお知恵をお借りいたしました」
 桂桂が浩瀚に相談し、浩瀚が景麒と打ち合わせし、延麒六太に使いを出した。六太は蓬莱に偵察に行き、沢山の資料を持ち帰った。その資料を基に、鈴がケーキを作り、祥瓊が飾りつけをした。
「なかなかいい出来でしょう?」
 鈴が片目を瞑り、嬉しそうに胸を張る。隣で祥瓊も自信ありげに頷いた。陽子は笑みをほころばし、口々に語る友を見回す。
 鈴、祥瓊、桂桂。遠甫、浩瀚、景麒、桓魋かんたい、虎嘯。皆が笑みを浮かべて陽子の二十歳を祝ってくれている。

「この蝋燭のように、私たちはいつも主上のお傍におりますよ」

 皆の気持ちを代表するように、浩瀚がそう言って微笑した。胸がじわりと温かくなる。陽子は大きく頷き、点された十一本の炎を吹き消した。この蝋燭の灯は己の胸の中でずっと点っていくだろう、と感慨に耽りながら。
 和やかな祝宴が始まった。もう解禁だな、と笑う虎嘯が陽子に酒を注ぐ。困惑する陽子に、桓魋かんたいも酒は飲めたほうがいいですよ、と笑う。陽子は苦笑し、杯を傾けた。

* * *  4  * * *

 初めて飲んだ酒に酔った陽子を、誰が運ぶかで少し揉め事が起きた。陽子の護衛役である虎嘯が運ぶのが妥当であったろう。しかし、うわばみである虎嘯もしたたかに飲み、足許が覚束ないのだ。
 結局、意外に酔っていない浩瀚が、陽子を運ぶことになった。鈴と祥瓊が介護のために付き添った。ゆらゆらと心地よい揺れを感じながら、陽子は目を閉じる。くすり、とよく知っている小さな笑い声が聞こえた。陽子は目を開け、己を抱き上げる声の主を睨めつけた。
「──笑うな、浩瀚」
「申し訳ございません」
「──まあいいや。ありがとう、浩瀚」
「どういたしまして」
 涼やかに答え、浩瀚は微笑した。後ろから、楽しげな忍び笑いが聞こえた。
 正寝の自室へと戻った陽子を、鈴と祥瓊が二人がかりで夜着に着替えさせ、寝かしつけた。酩酊感の中で、大きな贈り物が届くからね、と笑い含みの声が聞こえたような気がした。
 やがで、酔いに火照った身体に涼やかな風を感じ、陽子は目を覚ました。ぼんやりと、ゆっくりと、目を開ける。すると、ここにいるはずのないひとの顔が、驚くほど間近にあるではないか。陽子は、飛び起きた──つもりだった。
「──無理をするな」
 笑いを含んだ声がして、ぐらりと傾いた陽子の身体を、大きな手が抱きとめた。陽子は大きく目を見開く。
尚隆なおたか──どうして?」
「まったく、お前ときたら。臣から伴侶の誕生日を聞くなぞ……」
 尚隆は渋い声でそう言って、陽子の頭をくしゃりと撫でた。陽子は目を見張ったまま、大きな贈り物を見つめる。臣も友も、陽子の気持ちをよく知っている。陽子はじわりと胸が熱くなるのを感じた。
「──ごめんなさい」
 そう呟いて、そのまま伴侶の厚い胸に身体を預けた。見つめあい、甘い口づけを交わす。唇を離すと、尚隆は優しい声で告げる。

「陽子、二十歳の誕生日、おめでとう」
「ありがとう……」

 笑みを返す陽子に、尚隆は小さな箱を差し出す。首を傾げる陽子に、六太から託された、と尚隆は笑う。開けてみると、それは、懐かしい蓬莱製のチョコレート・ケーキだった。
「わあ、可愛い」
 小振りの丸いケーキには、可愛らしい蝋燭が二本、立っていた。それは二十歳のお祝いとともに、寄り添う二人のように見え、陽子は微笑む。
 尚隆は笑みを見せると、牀の横の小卓にケーキを置き、蝋燭に火を点けた。薄暗い室内を、小さな炎がほんのりと照らす。陽子はうっとりと呟いた。
「──綺麗」
「大分飲まされたな」
「──酔ってるせいだけじゃないよ」
 陽子は頬を膨らました。それから、またにっこりと笑みを見せ、本日二度目の祝いの灯火を吹き消した。
 尚隆は微笑し、再び陽子に口づけを落とす。伴侶の温もりを感じながら、陽子は心に点るふたつの灯を思う。

 寄り添うこの蝋燭のように、いつまでも、このひととともに、と。そして、十一本の祝いの灯火と、大きな贈り物をくれた皆に、改めて感謝を、と。

2006.09.01.
 「1周年」記念企画作品、短編「祝火」をお届けいたしました。 サイト開設1周年の9月1日に間に合わなかった! なんてお間抜けな私……。 大変失礼いたしました! 平にお許しを……。
 この作品は、私の誕生日に「ネタに使ってください」とプレゼントされたものです。 Aさま、素敵なネタをどうもありがとうございました!  かなりアレンジしてしまいましたが、お気に召していただけたでしょうか……?  皆さまにもお気に召していただけると嬉しいです。

2006.09.02. 速世未生 記
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
「祝!1周年」 「慶国小品」 「玄関」