秋 晴
窓の外は秋晴れだった。それなのに、麗しき女王のご機嫌は優れないという。冢宰浩瀚は、ささやかな贈り物を手にし、主の執務室へと向かった。
扉を静かに開ける。はたして景王陽子は書卓に突っ伏していた。書卓の上には未処理の書簡が山と積まれ、小卓の上には女王の友が淹れたであろう茶がまだ仄かに湯気を立てている。
祥瓊と鈴が零したとおりだ。
そう思うと、知らず笑みが漏れる。浩瀚は声をかけずに書卓に近づいた。主は微動だにしない。しかし、扉が開く音で目覚めるという女王は、決して眠ってはいない。それを知りつつも、浩瀚は敢えて主の細い背に暖かい布をかけた。
そのまま書卓を離れ、小卓に贈り物を置く。ことり、と小さな音がした。
これが、主の心を慰めてくれますように。
そう願い、浩瀚は来た時と同様に静かに執務室を辞した。
己の職務に戻り、しばし時が過ぎた。浩瀚は新たな書簡を持ち去ろうとした下官を呼び止める。主の不調に、皆が緊張感を高めていた。主のその後の様子を見がてら、自ら赴こう。浩瀚はそう思っていたのだった。
再び主の執務室を訪ねる。主は書卓に着き、政務を執っていた。浩瀚は小卓に目をやる。茶杯と小皿は空になっていた。浩瀚は微笑して主に声をかけた。
「主上」
「ああ、浩瀚」
主は手を止めて顔を上げる。新たな書簡を差し出すと、主は少し嫌な顔をした。
「それはお前の仕事じゃないだろう」
「いいえ、これも私の仕事でございますよ」
言外に意味を籠めて恭しく頭を下げる。主はくすりと笑った。どうやら気鬱は去ったらしい。浩瀚は安堵を内心に隠す。やがて。
「浩瀚、ありがとう」
主は不意にそう言って小卓に目をやる。視線の先にあるものは、その髪と同じく鮮やかな色を持つ紅葉の一枝。浩瀚のささやかな贈物であった。浩瀚はゆっくりと唇を緩めた。
桜に想いをかけ、四季の移ろいを楽しむ女王。窓の外は、未だ褪せかけた緑のまま。一足先に色づいた下界の一枝は、塞いでいた主の心を解いたのだろう。
「どういたしまして。けれど、王宮を抜け出すのは、仕事を終えてからになさってくださいね」
「仕事が終わればいいんだな」
浩瀚の諫言に、主は声を上げて笑う。今日の空のような、秋晴れの笑顔。見慣れていて尚、その鮮やかな笑みは浩瀚を見とれさせる。
景王陽子は輝ける太陽。慶を遍く照らす陽光の笑みを取り戻す、という浩瀚の大願は、こんなふうに成就したのであった。
2009.11.28.
「embudai 閻浮提」由旬さま主催「ひとり浩陽祭」参加作品で、
小品「気鬱」の浩瀚視点でございます。
祭と聞くと血が騒ぎ、またも送りつけてしまいました。
やっぱり浩陽でなくて恐縮でございますが……。
このような拙い作品をお受け取りくださった由旬さま、
ほんとうにありがとうございました!
2009.12.05. 速世未生 記