目指せ 大人の社交場
遊戯結束
ネムさま
2015/09/25(Fri) 23:57 No.72
「こんなところで…」
「こんなところだから会ったのだろう」
「でもここ、詩作の集まりだよ」
確かに、利広が首を巡らす辺りには、紙と筆を持ち談笑する文士風の男達が、いくつかの輪になっている。
「しかし旨い酒と、そして美女もいる」
風漢が酒杯を上げると、傍らの艶やかな美女が紅唇を上げ微笑み、利広の前にも桃花のような若い娘が、にこやかに銚子を差し出した。
「確かにね。そして…」
利広は風漢の前に散らばった碁石の一つを、ぱちりと碁盤に置いて言った。
「噂話も」
風漢はただ笑みを浮かべながら、利広の黒石の前に白石を一つ置く。
瀟洒な館の客庁から院子には、贅を凝らした酒食を乗せた卓子が点在し、微かに、しかし絶えることのない楽の音と共に、客をもてなしている。しかし、その間を巡る客のどこか気だるげな雰囲気、時として露わになる女達の媚態が、一見優雅な風流士の集まりに退廃の影を落とし、この国の現状を現わしているかに見える。
「それでもここは、他所みたいな、ただの馬鹿騒ぎにはなっていない」
「ここの女主人は風流佳人として有名なのだろう?早くお目に掛かりたいものだ」
風漢が言うと、傍らの美女が冷たい流し目で、耳元に何か囁く。笑う風漢の姿に、利広は肩を竦め、また碁石を置く。
碁石を交わしながらの幾順目か、少し酔いの廻った目で碁盤を眺めながら、利広がふと尋ねた。
「これで勝ったら、何勝目?」
これも怪しくなってきた目つきの風漢が、不審そうに顔を上げる。
「八十二…三だっけ。そこから先は数えて無いって言ってたけど。
もし、九十九個溜まっていたら、どうする?」
風漢は合点した。あれは“延王”の賭けの話の後だった。
― 天を相手に賭けをするんだ。例えばね、滅多に会わない人間に百度会ったら… ―
その例え話の後に、碁石を八十三個溜めこんだ話をしたのだった。
しかし、風漢はあからさまに顔を顰めた。
「お前、嫌味か。この碁盤を見て、何を言う」
利広の隣で酌をしている娘がくすくす笑う。碁が分かるようだ。
「聞きしに勝る、だね。負けた方は、当然奢るんだろう」
澄ました顔で利広は黒石を置き、娘の酌を受けた。
どこかの席で即興の詩を朗々と詠み上げている。なかなか好い声だ。言葉が少々過剰なのが気になるが。ゆるやかな楽の音が眠りを誘うようだ。
場の気だるさが伝染ったのか、どこか陶然とした気分で、利広は石を置いた。
ぱちり。
目が覚めた。形勢が逆転している。しかもあと一つ、風漢が石を置けば勝ちとなる。
風漢の目が睨んでいる。
― 試すのか ―
― 冗談じゃない ―
瞬時に交わした視線で、利広は次の場面を予測した。風漢が大仰に碁盤に石を置き“さぁ、奢れ”と、満面の笑みを浮かべ催促する場面を。
風漢は動かなかった。碁盤を凝視したままだった。二人の女が不審げに利広と風漢を交互に見る。
白い石がすっと持ち上がる。白石を持つ男の目は、どこか遠くを見ていた。
利広は知らずに唇を噛みしめた。自分は何か取り返しのつかぬことをしたのではなかろうか、と。
ぱちり。
碁盤に白石が置かれた。
「勝者には、ご褒美がもらえるとか」
漣の貝で作られたという白石よりも白い指が碁盤から離れ、胸元の扇へと戻った。扇から覗く目の下には皺が刻まれているが、往年の美貌は疑いようもない。館の女主人は、一際艶やかな笑みを浮かべて言う。
「せっかくの風雅の集い。華を添えるために、一曲所望してもよろしゅうございますか」
呆然としていた風漢は、大きく息を吐いて椅子に凭れかかり、頷いた。
「唄と舞いなら」
そして利広に目配せする。
「胡弓は、ある?」
利広も苦笑しながら、隣の娘に尋ねた。
舞楽の披露を告げる女主人の声に、周囲から大きな拍手が沸く。風漢と利広は立ちあがると、まずは女主人に敬意を表すべく、頭を垂れた。