奏国会議
2016/09/29(Thu) 00:11 No.205
「茶会の準備が整いました。どうぞいらせられませ」
掌客殿に現れた女官が恭しく叩頭して口上を述べた。延王尚隆は軽く頷き、景麒を促す。女官の先導で、景麒は延王とともに、奏南国宗王の居城である清漢宮を進んでいった。回廊を歩きながら、景麒は軽く首を傾げる。道が違うのではないか、と思ったのだ。
王宮は基本的にどこも変わらない。戴の白圭宮も雁の玄英宮も慶の金波宮とそう違わなかった。が、迷いなく進む女官は正寝を抜けていく。そして、更に奥にある後宮へと向かっていた。やがて。
ある門の前で女官は足を止める。景麒は記憶を探り、この向こうが後宮の正殿である典章殿だろうと目星をつけた。門を守っている兵が恭しく拱手して道を開ける。案内の女官はそれ以上進むことなく、更に奥へ行くようにと告げて伏礼した。景麒は大いに戸惑ったが、延王は笑みを湛えて女官を労い、慣れた足取りで歩を進めるのだった。
蓬莱にて病んだ泰麒の気配が見つかり、早急に連れ戻さなければならなくなった。延王尚隆は奏に助けを求めることを提案し、同行者に景麒を選んだ。誼を結ぶ機会だ、と言って。景麒は首を傾げるばかりであった。
雲海の上から宗王の居城、清漢宮に辿り着くと、早速宗王宗麟並びに諸官との対面がなされた。が、本題に入る前に切り上げられ、宗王一族との茶席が設けられることとなった。憤る景麒を、延王は謎の言葉で宥めた。奏は後宮が政を動かす稀有な国なのだ、と。
その後宮に、景麒は足を踏み入れようとしている。これから何が起こるのだろう。景麒は不安を隠せない。しかし、少し先を歩む延王の足取りは揺るぎない自信に満ちていたのだった。
そのまま回廊を行くと、建物の入口に娘が立っていた。景麒は思わず息を呑む。典雅な襦裙を纏う娘は女官には見えない。延王が歩調を緩めた。見ると、延王は楽しげな笑みを浮かべている。娘はにこやかな笑顔を見せ、優雅に拱手した。
「ようこそ清漢宮へいらせられました」
「これは文公主、わざわざのお出迎え、痛み入る」
娘の口上を受け、延王は挨拶を返す。景麒は眼を瞠った。公主が自ら迎えに出るとは。高貴な女性らしい装いをしながら、その所作は我が主のように軽い。景麒は驚きを隠せなかった。
「お久しぶりだな。息災だったか?」
「お蔭さまで、溢れる荒民に、悲鳴を上げておりますわ」
延王は公主に気安く話しかけ、公主もまた軽やかに言葉を返す。二人は楽しげに談笑しながら回廊を進んでいった。
公主は壮麗な扉の前で足を止めた。恭しく一礼した公主は、口上とともに静かに扉を開ける。景麒もまた背筋を伸ばした。
「延王、景台輔をお連れ申し上げました」
堂室の中には大卓があり、それを囲むように五人の人物が立っていた。厳かに拱手した人々は口々に述べる。
「ようこそいらせられました」
延王は笑みを湛えて一同を見回し、己も恭しく拱手しながら応える。
「お招きありがとう存じます」
景麒もまた拱手で応えつつ、延王に敬語を使わせる最長命国の王家を窺う。先にまみえた宗王と宗麟の他に男女三名、側に控える公主と合わせて六名。公主に導かれて席に着くと、背筋が伸びる心地がした。そのとき。
「お初におめもじいたします、宗后妃明嬉にございます。景台輔、どうぞお楽になさってくださいませ」
親しげな笑みを浮かべ、豪奢な襦裙を纏った年嵩の女性が、景麒に茶杯を差し出した。六百年続く大王朝の王后が、自ら茶を淹れて客人をもてなすとは。景麒は驚きに眼を瞠る。いつも気安く振る舞う胎果の主でさえ、公の場ではしないことだった。
「──景麒、御自ら茶を淹れるのは、其許の主だけではないのだぞ」
景王陽子をよく知る延王は、景麒の表情を読んでか、軽く揶揄する。大卓に集う人々は楽しげに笑いさざめいた。その中で、理知的な雰囲気を漂わせる男性が、大きく頷きながら口を開く。
「おお、景王もでございますか。奏では、この父王自ら茶を淹れることも、珍しくはございません。──お初にお目にかかります、英清君利達にございます。景台輔、どうぞよしなに」
英清君と名乗った第一太子はそう言って恭しく拱手した。景麒はぎこちなく頭を下げてそれに応える。王らしい王に見える宗王の意外な一面を聞いて驚きを隠せない景麒であった。
大卓を見回した延王は、未だ口を開いていない青年に眼を留め、ゆったりと話しかけた。
「──おお、初めてお会いする方がおられるな」
「延王、景台輔、お初にお目にかかります。卓郎君利広にございます。どうぞお見知りおきください」
延王は卓郎君と名乗った第二太子と会話を始めた。火急と言いながら、なかなか本題に入らない。景麒はじりじりする思いで坐していた。やがて。
「話が弾むのは結構だが、此度は火急の用とのこと、延王のお話を伺いたい」
話にひと区切りがついたところで、宗王先新が切り出した。歓談に和んでいた場が一気に引き締まる。景麒は待っていた本題への入口に、居住まいを正した。一同をぐるりと眺め、延王尚隆はゆったりと口火を切る。
「蓬莱探索の結果、泰麒の気配を発見したのだが……」
延王は泰麒捜索の詳細を丹念に語った。泰麒は穢瘁で病んでいるようだ。そして、麒麟の力を喪失したが故に、暴走した使令を押さえられずにいる、と。
「──というわけで、泰麒本人発見のためには手が足りぬ。三カ国の動かせるだけの使令をお借りしたいのだ」
現状と対策の全てを語り終えた延王はそう話を結んだ。聴き入っていた宗王一族は、誰ともなく大きく息をつく。誰もが事態が深刻なことを理解したようだった。やがて、蒼褪めた宗麟が口を開く。
「早急に、泰麒を、連れ戻さなければならないのですね」
「傲濫は──泰麒の使令、饕餮は、蓬莱にとっても危険なのだ」
延王はそう返し、重々しく頷いた。それに対し、英清君が冷静に問う。
「しかし、その状態の泰麒を、こちらに連れ戻すことは可能なのですか?」
「今、発起人の景王と、延麒が蓬山に確認に行っておるところだ。確認が取れ次第、ということになると思う」
「延王が、御自ら、泰麒を迎えに行かれるのですね」
宗后妃が延王を見据えた。王が虚海を渡ると大きな蝕が起こる。それを承知の上なのか、という言外の問い。景麒は主を迎えた際に巧を襲った蝕を思い出し、しばし瞑目する。目を開けると、延王は厳かに頷いていた。
その後も質問が続き、延王は粛々と答えた。全て出尽くした頃、黙して聞いていた宗王が口を開く。
「──使令をお貸しいたそう」
待っていたその言葉。景麒は黙して頭を下げる。明朗な声が続いた。
「ありがたきお言葉に感謝申し上げる」
延王尚隆は、宗王一族に深々と一礼した。一同は一斉に拱手する。こうして稀代の名君たちの巨頭対談はお開きとなった。最長命国奏の協力を得ることができ、景麒は肩の力を抜く。
泰麒。
胸で呟くと、景麒は小さく息をついた。
2016.09.28.
ご感想御礼 未生(管理人)
2016/09/30(Fri) 21:59 No.228
皆さま、拙作にご感想をありがとうございました〜。
由都里さん>
陽子主上の前ではベテラン風な景麒も大国の魑魅魍魎(失礼/笑)に比べれば
まだまだ新人レベルですよね〜。
感情をあまり表に出さない景麒だけに、その視点で書いて私が驚きました(苦笑)。
拙宅の景麒が尚隆先輩に感謝することは……きっとないでしょうねぇ(苦笑)。
文姫をお褒めいただきありがとうございます。本人、きっとガッツポーズすると思います〜。
篝さん>
景麒の経験値を大幅アップさせてくださりありがとうございます(笑)。
そうそう、景麒は焦れているので、かの方と利広の会話は全く耳に入っておりません。
しれっと公での初対面を演じているお二人に注目してくださりありがとうございます。
管理人の萌え処のひとつなので嬉しゅうございました。
瑠璃さん>
原作の幕間妄想をお楽しみくださりありがとうございます!
王さまって結局変わってるんだ〜って景麒が気づいてくれると
陽子主上も少し楽になると思うのですが、
「文公主は豪奢な襦裙姿でお茶を淹れてくださいました」とか
祥瓊が喜ぶような発言をしそうでコワイです(笑)。
饒筆さん>
相も変わらず妄想を邁進させるご感想をありがとうございます!
この後のお茶会のためにこのお話を書きました(笑)。
宗后妃と公主にもまれる景麒、乞うご期待!
って自分でハードル上げてどうするんだ私……(苦笑)。
ご感想御礼 未生(管理人)
2016/10/03(Mon) 15:08 No.245
皆さま、拙作にご感想をありがとうございました! ご返信が遅れてごめんなさいね〜。
文茶さん>
景麒をお褒めくださりありがとうございます。
胎果も破天荒ですが、もう魑魅魍魎です、櫨家の皆さま(笑)。
そうそう、公では初対面の帰山コンビ、内心ツッコミ合戦でございます。
「黄昏」本編は尚隆視点でしたが、いつか利広視点も書いてみたいです(笑)。
ネムさん>
「新人を外部研修に連れてきた指導官」、それそれ! それでございます〜。
老舗の常識はぶっ飛んでいるのですよね。
次作は景麒が女性陣に揉まれるお茶会にいけるかどうか……(苦笑)。頑張ります。
葵さん>
はい、とうとう奏のご一家とのご対面でございます。
狐と狸の化かし合い、魑魅魍魎は気づいておりますが、
新人クンは全く解っておりません。そこも私の萌え処でございます(笑)。
文姫をお褒めくださりありがとうございます。
きっと「葵さんのためにお洒落したのよ!」と片目を瞑っていることでしょう(笑)。