御題其の四「渡り鳥」
甘い菓子を君に
葵さま
2017/09/23(Sat) 18:50 No.102
卵黄をふんだんに使用した焼き菓子が食べたい――
鼻と唇の間に筆を挟んでそう言えば、そろそろあれが来る頃合いでございましょう、と、そっけない声が返って来て、目の前に書類を置かれた。秋の熟成書類尽くし、冢宰の非の打ち所の無い微笑みソースを添えて……思わずフレンチのフルコースメニューの一品を創作してしまうあたり、かなり空腹である自覚はある。寝坊して朝餉に粥を食っただけの身としてはそろそろ腹が鳴りだす刻限だ。
吐息をひとつつき、それでも丁寧に御璽を押しながら、そうか、そろそろあれが来る季節だったろうかと、ふと思った。息を吹きかけて印の朱の照りを乾かす間、男は微動だにせずじっと待っている。待ちながらも白い指先は次の書類を摘み上げ、滑り込ませる準備をしている。三方に隙が無い。
「ほらよ。乾いた。次」
「ありがたく。次は以前にお話申し上げました揚州の穀高の件でして……」
丸い飾り窓の木枠は唐草とも文字ともつかぬ複雑な紋細工で、窓越しに漏れくる陽影はまるで漆黒の解き髪のようだ。涼しい風がざっと吹き抜け、金木犀の梢が揺れるたびに、香しい金の粉がきらきらと散る。
「なあ。今年はどの州もやたら穀高が伸びたな」
「有難いことに、近年にない豊作でございましたゆえ」
「うちの備蓄分を差し引いても余剰が出る。戴に米を送るぐらい楽々できそうだ。してもいいか?」
「まずは朝議にかけてから、ですね」
「だよな」
個人的には賛成でございますよ、と微笑みソースのフレンチ男は次の書類を如才なく陽子の手に握らせた。豊作は大いに有難いが、おかげで各州から上がって来る書類が大盛り状態だ。この半端ない量は上品なフルコースというよりは、どちらかというとギョウザ3s一気食べとか焼きそば8人前30分一本勝負とかああいう類のものかもしれない。
「あと三枚ほど決裁をいただきましたら昼餉にいたしましょう」
「よし」
見計らったように、堂の入口に吊るされた鐘がリィンと鳴った。
「昼餉の合図?」
「違います。青鳥でございます」
先触れの呼び声と共に、しずしずと大きな金色の鳥籠が運ばれてくる。
やたら鳥を多用するこちらの流儀に最初こそ面食らったが、ぴーちくぱーちく自分で喋るやつはすぐ餌をやらないと怒る、宅配便の青いやつは怒らないので餌は後でいい、と実に大雑把な覚え方ですませている。その怒らない青いやつの足首に結び付けられた文紙をざっと読んで思わず歓声を上げた。男に手渡すと、こちらは器用に片眉だけ上げた。
「主上の食い意地が呼びよせたのでしょうか」
「何とでも言え。今年もあれがやって来た。今夜は焼き菓子を食いに堯天まで出かけるからな」
止めるなよと睨む。
「警護の供連れをお忘れなきよう」
「もちろん」
「では昼餉はもう少し後にいたしましょうか」
「……なんだって?」
冢宰はにっこりと笑った――夜半に出かける前に本日分を片付けてしまいませんと。
非の打ち所がない微笑みソースは適量にすべし、という条例を作ろうかなと陽子は思う。いかにも温和な笑顔と共にするりと滑りこんできた書類に小さく呻いた。