だいがくせいは大変である
ふみさま
2018/10/12(Fri) 04:27 No.114
その日の講義を一通り受け終わって楽俊が自分の部屋に戻ろうとすると、角を曲がった最後の廊下で鳴賢が待ち構えていた。きょとんと足を止めた楽俊に向き直り、ぱんっと大きく音を立てて手を合わせると頭を下げる。
「文張、頼みがある」
「おおい、どうしたんだよ、改まって」
「……経義、教えてくれ……」
経義というのは、経書と呼ばれる過去の名君や優れた官吏の残した書物をきちんと理解・解釈できているかを問う学問で、鳴賢はどうしてもこの教科が苦手で、それこそ大学に入る前からの弱点だったという。もちろん自力で学び取らないことには実力にはなりえないのだが、取っ掛かりすら見えずに困ることしかできずにいるらしい。先日は卒業できない伝説を覆してやると張り切っていた鳴賢も、さすがに中間考査が近付いてくるとどうしても弱気になってしまったようで、そんな前置きをぽつぽつと楽俊に話してくれた。
「この間弓の練習に付き合ったからその代わりってことで、なにとぞ頼む」
「や、べつにそういう取引みてえなのはおいら気にしねえけどさ、おいらだってそこまで得意じゃねえぞ?」
「文張の字を老師から賜っといてそれを言うか?」
楽俊の部屋の背丈の低めの椅子に腰かけて話したことで、少し落ち着いたのか普段の調子を取り戻しつつある鳴賢の言葉に、楽俊は居心地悪そうに耳の後ろをかく。
「いやあ、おいらがわりと得意なのはあくまでも論策(論文)だし、その文張ってのも……。まあいいや、おいらのできる範囲で手伝ってやるよ。でも、本当に、できる範囲だからな」
小さくため息を吐いて強調した楽俊の言葉に、鳴賢はありがとう、とまた頭を下げた。
「……ってえわけで、つまりここから解釈できるのは、何かを正すには不満を言うだけじゃ足りねえ、きちんと代わりの案を持ってこなきゃならねえってことだな」
書卓に広げた経書に目を落としながら一通り話し終えて、鳴賢がぽかんと自分の顔を見ているのに気付き、楽俊は苦笑した。
「おーい鳴賢? ちゃんと聞いてたか?」
「あ、ああ。聞いてた。すげえ解りやすかったよ」
「そいつはよかった。で、なんでおいらの顔なんか見てたんだ?」
今度は鳴賢が苦笑する番だった。楽俊の聡明さには時々驚かされるが、今度こそこれは本物だ、と思ったのだ。父親の書き溜めた書物から勉強したと言っていた楽俊のことだから、文章を書く力だけでなく読み解く力も優れているのは考えてみれば当然かもしれない。自分も卒業を目指す身だし、悔しいから思うだけで言いはしないが。
「……なんだ、その……ひげがぴょこぴょこ動くのが面白かったんだよ」
「あのなあ、からかうなら続きやらねえぞ?」
「うわあ冗談冗談、お願いします文張さまさま」
こうして、二人の学生の夜は更けていったのであった。