少 女
作 ・ griffonさま
2010/09/30(Thu) 08:38 No.91
「もしかして……あれかなぁ」
金波宮の、陽子の執務室の裏手にある園林。
美しく手を入れられた樹木の合間にある石庭の草の原に、談笑する影があった。高級そうには、かろうじて見え見えない程の袍を纏い、両足を投げ出して座っているのは、この主である中嶋陽子。その大腿に頭を載せ、寝転がっているのは隣国の王。五百年にわたり、一国を治める破格の王の威厳は、今は微塵もない。
尚隆の前髪をいじっていた右手を、自分の顎にやりながら上目で空を見つめ、陽子は言った。
「あれ……とはなんだ」
陽子の顎先を見上げながら、尚隆は右の眉を一瞬上げて聞き返した。
「いやぁ……こちらに流されてきた時に、一人で巧を彷徨ってたじゃないですか。その時に、よく野木の根元で野宿してたんです。何も食べるものが無くて、野木になった実をもいで食べようと……」
「ほう」
「後で楽俊に聞いたら、卵果だって。いや、ほら、卵から生き物が生まれると言うか……その……あちらでは、ありえない事ですから、そんなこと想像もしないで」
「それで?」
「卵果って採れないし水禺刀でも切れない。結構強く斬り付けても、傷も入らない。それで、ジャガイモみたいに土の中になにか食べられるものが出来てないかなって」
「掘ったのか?」
「……はい」
尚隆は勢いをつけて起き上がると、胡坐を組み、両膝に肘を載せ前のめりで陽子と向き合った。何故こんな話に興味を示すのかが判らないと言う様な貌で、陽子は首を傾げて少しだけ眉を寄せた。
「雨がだいぶ降ってて地面も柔らかくなっていたから、調子にのって結構深く掘ったんですよ。水禺刀が泥まみれになって……景麒が見てたらずいぶん怒ったでしょうけど……野木の根に包まれるように、黒と赤の斑の卵果がいくつかありました」
「……」
「水禺刀で斬り付けてもびくともしませんでしたから、同じものなんだ、食べられないんだと、とてもがっかりしたのを今も覚えてます。お腹すいてましたから」
尚隆は陽子の目を覗き込んだ。
「その後眠って……延王、誰にも喋らないって約束出来ます?」
「何をだ?」
「出来ますか?」
「お前との約束はほとんど守ってやっていると思うが」
「次の日の朝。目を覚ましたら、子犬がわたしのそばに寝ていたんです」
そして、陽子は自分の影に向かって「ちび、おいで」と呟いた。
草の原についた陽子の左手の下から、その手を持ち上げるように妖魔の首が浮かんで出た。頭に乗った手を降ろし、首だけの妖魔を抱き寄せると陽子は頭を撫でてやる。妖魔は陽子の身体に擦り寄るようにしてゆっくりと首を振る。
「その時の……子です」
尚隆は瞠目したまま、陽子にじゃれる妖魔を見た。犬が遁甲などするはずも無い。間違いなく猗即だ。それ以外のものには見えない。
「……班渠……ではないのだろうな」
「ええ」
貴方に偽りを言ったことなど無いでしょうと拗ねたように言いながら、陽子は自分の右手の草の原を見た。もうひとつ猗即の首が地面から浮かび上がってきた。
「後で考えたら、地中の卵果が一つ孵っていたように思えます。班渠にも似てるし遁甲もするし。班渠達に聞いても何も答えてはくれないので、そうかもとは思っていたのですが……折伏されてもない妖魔が金波宮にいると知れたら、この子捨てられてしまいます。あれからずっと一緒に居て、私に慣れてて。他人には危害を加える事は絶対に無いし、えさだってちゃんとあげてるし、だから黙っていてもらえないでしょうか」
まるで捨犬を拾ってこっそりと飼っていたのを見つけられた少女のような視線を、尚隆に向けていた。
暫くの間陽子を見詰めていた尚隆は、呆れたような微笑を浮かべながら、知らずとこもっていた体中の力を抜いた。陽子にじゃれる猗即の頭に手をやり、そっと押しやると陽子の大腿に頭を乗せて寝転がった。
「ここは俺だけの特等席だと永遠に約束するなら、考えなくもないぞ」
乗せられた尚隆の額を撫で、前髪を摘んで弄びながら陽子は一瞬厳しい表情をした。
「わたしは王ですから。永遠の約束はできません。私が生きている限りはで許してくださいませんか」
「許すとしようか。おまえは良い王を目指すのだから、まあ永遠に近いだろうしな」
尚隆は目を閉じた。
――こいつに比べれば、俺も只の王だな。破格の王と言う呼び名は返上するとしようか。
尚隆の肩口のあたりの匂いをしきりに嗅いでいたちびは、今度は尚隆の頬を嘗め回し始めた。うっとおしげに左目を瞑った尚隆は、左手でちびの頭を抱え込むと乱暴に撫でてやった。