痛み分け
2011/09/10(Sat) 16:05 No.35
後宮の自室で休んでいると、国主からの使いがやってきた。改まって伝言を告げる下官に笑みを送り、陽子は伴侶の私室へと向かった。
国主の堂室の壮麗な扉を開けると、寛いだ恰好の伴侶が満面に笑みを湛えて手招きした。なんだか様子がいつもと違う。陽子は首を傾げながらも伴侶が腰を下ろしている榻に歩み寄った。
「まあ座れ」
「──?」
伴侶に促されて隣に腰掛ける。見上げると、何かを企んでいそうな人の悪い笑みが目に入った。陽子は眉根を寄せる。
「──何考えてるの?」
警戒心も露わに問いかけると、伴侶は大きく笑った。そうして陽子の肩をぽんと叩き、軽く告げる。
「そう案じるな」
「だって……」
「──動くなよ」
口を開きかけた陽子を制し、伴侶は陽子の膝に頭を乗せた。動くな、と言われるまでもなく、陽子は硬直する。対照的に、伴侶は陽子の膝枕で寛いでいた。
「面白い顔だ」
伴侶はそう言って微笑む。その顔がなんだかとても嬉しそうで、陽子はほんのりと頬を染めた。くすりと笑う声を零し、伴侶は目を閉じる。やがて、静かな寝息が聞こえた。
昔、花見をしながら膝枕をしたことがあった。突然頭を乗せられてびっくりしたけれど、ふたりきりの気安さだと納得した。あのときは、玄英宮でこんなことができる日が来るとは思っていなかった。誰かに見られることを恐れずに、伴侶の無防備な寝顔を眺められるなんて。陽子の唇は自然にほころんだ。
伴侶の髪を掬い上げる。指を滑る長い髪は心地よい。そして、伴侶は気持ちよさげに眠っている。動けない陽子は、少しだけ悪戯心を刺激された。
「──班渠」
はい、と足許で使令が答える。陽子の命に、班渠は苦笑を零しながらも気配を消した。
「おう、尚隆」
いきなり陽気な声がして、延麒六太がやってきた。伴侶はまだ眠っている。陽子は小さな声で六太を叱責した。六太の視線を捉え、唇の前に指を立てる。そして、ゆっくりと下を指差した。
「──なんだ、寝てるのか」
呆れたような声が堂室に響く。陽子は再び六太を叱らなければならなかった。
「大きな声を出さないで」
「だってさ……」
「こんな機会、滅多にないんだよ」
不満げに口を尖らせる六太に、陽子は笑みを向けた。そして、今までせっせと編み続けた尚隆の髪に手をやる。六太はそれを見て吹き出しそうな顔をした。
「──!」
「しーっ!」
陽子は先手を打つ。六太は慌てて口を押さえ、辛うじて吹き出すのを堪えた。いつもの如く無造作に括られた伴侶の髪のひと房を掬い取り、陽子はにっこりと笑む。
「だってね、動けなくて暇だったし、一度やってみたかったんだ」
そう言いながら、陽子はもうひとつ三つ編みを仕上げた。班渠、と小さく使令を呼ぶと、足許から組紐を咥えた班渠が現れ、すぐに姿を消した。三つ編みの先に組紐を結びつける陽子を見て、六太はあんぐりと口を開ける。それから、身体をふたつに折って笑い出した。声を殺して笑う六太を尻目に、陽子は楽しく作業を続けた。
「──邪魔したな」
「待って、六太くん……」
散々笑った後、六太は片手を挙げて踵を返した。陽子は慌てて呼び止める。
「もう少し、ここにいてくれないか?」
「お前なぁ……。王はな、自ら責任取る覚悟がないことは、やっちゃいけないんだぞ」
六太は腕を組み、そう諫言する。そして、全ての髪が色とりどりの組紐に結ばれた尚隆を見やり、意味ありげな貌をして陽子に視線を戻した。意図にすっかり気づかれていると知りながら、陽子は必死に言い訳をする。
「勿論、覚悟してやったよ! でもね、せっかく来てくれたんだから、最後まで見届けて」
六太は陽子が言い終わると同時に吹き出した。弾けるような笑い声に、ぐっすりと寝入っていた伴侶が目を覚ましたのは言うまでもないことだろう。
「──なんだ?」
寝ぼけ眼の伴侶と目が合った。伴侶は陽子に笑みを見せ、笑い続ける六太に視線を移す。六太はぴたりと笑い止め、にやりと笑った。
「──お?」
訝しげに起き上がった伴侶は、己の髪に結ばれた沢山の組紐に気づいたようだった。ゆっくりと首を巡らせる伴侶と目が合い、陽子はにっこりと笑みを返す。大昔、伴侶に言われた言葉が胸を過った。
(俺をからかうときは、身体を張る覚悟が必要だぞ)
伴侶はそのまま黙して陽子を見つめ続けた。陽子の背に嫌な汗が伝う。それでも陽子は顔に笑みを貼りつけていた。この場を乗り切るためには、そうするしかないのだ。見つめ合うこと数分間、無表情だった伴侶が不意ににっこりと笑みを浮かべた。
「──陽子」
「な、なに?」
「楽しかったか?」
伴侶はにっこりと笑んだまま、そう訊ねた。問われた陽子は強いて笑顔を保ち、応えを返す。楽しんだのはほんとうのことだから。
「うん」
「それはよかった」
伴侶は大きく頷いて、陽子の頭に手を乗せた。怒っているわけではなさそうだ。陽子はほっとして身体の力を抜いた。そのとき。
「陽子!」
六太が鋭く叫んだ。え、と思う間もなく、伴侶は陽子を抱きすくめ、首筋を強く吸い上げる。陽子は小さく悲鳴を上げることしかできなかった。
「尚隆……!」
「俺も楽しいぞ」
陽子はくらくらする頭の端で、二人のそんな会話を聞いたのだった。
その後のことは思い出したくもない。再び伴侶の私室に戻っても陽子は涙目のまま俯いていた。そんな陽子を膝の上に乗せ、尚隆は組紐を解き始める。小卓の上は組紐の山ができ、伴侶の髪はうねっていつもの倍以上に膨らんでいた。陽子は思わずくすりと笑いを零す。
「似合うか?」
陽子の顔を覗きこみ、伴侶はおどけて問いかける。扇のように広がった髪は陽子に笑みを思い出させた。
「たまにはいいかも」
笑い含みに答えると、伴侶は優しい口づけをくれたのだった。
2011.09.10.