「投稿作品」 「祝7周年滄海祭」

おお! 未生(管理人)

2012/09/10(Mon) 09:12 No.39
 どこですか、その島は! その遺跡、是非見たいです〜。
 瀬戸内の海がありありと浮かぶ秀逸な情景描写、相変わらずお見事でございます。 そして、今も尚残る小松の哀しい伝説……。 ほんとにその島を探しに行きたくなりましたよ!  griffonさん、ご参戦ありがとうございました〜。

 ところで……ひとつだけ気になったのが、呉剛環蛇。 これは王は通れないものだったような気がするのですが…… (違っていたらごめんなさい)。

感想ありがとうございます(^_^)v griffonさま

2012/09/10(Mon) 22:39 No.41
 どこでしょう、この島は(笑)  桜祭でUPした村上側の砦のあった島の写真、あれを脳内で変換してます(^_^;)
 おそらくは因島と尾道福山辺りの間に、 小松家の出城である島があったのではないかと思ってます。 小松の所領自体が中国にあったのか、 それとも幾つかの島だったのかは意見の分かれるところでしょうか。 出城のあった島の所在は、因島と尾道の間ではないと思われます。 海を隔ててと言う間隔ではない(と言うより殆ど川の対岸どおしくらいの感じで、 島もありません)ので、因島と大河の平清盛でも出てくる鞆の浦の間の海あたりかなぁ と思ったりします。なかなかココって言うとこが無いんですけどねぇ。

 あと伊予の国には、小松と言う地名があります。 しまなみ街道からは離れてますので、おそらく関係は無いのでしょうが・・・ もしかすると小松家の出自はここかも(^_^)。
 余談ですが・・・実は僕の父方の実家がそこらあたりにあります。 ってことは、僕は小松の郎党の末なのかも知れません(笑)  父方の実家にある妖しげな家計図によると、 清和源氏の末(見たときは笑いましたが)で元々は九州あたりに居たらしいのですが、 応仁の乱の頃はすでに四国に居たらしい。となると、 そう言うとこに混ざってたのではと考えると楽しいですけどね。 まぁあまりにも妖しすぎる家計図なので、 真偽の程を検証するまでも無いのですが(笑)

 で呉剛環蛇の件。 これは実はかなり悩んだ末に使ってます。 黄昏のなかに「人は通れない」とあります。 たぶん陽子の性格からすると、 自身のために呉剛の門を開くために蝕を起こさせることはまずありえないでしょう。 となると、蓬莱に彼女を渡すには呉剛環蛇以外にはありえません。 実は登場人物を、最初六太で書いていたんですが、やっぱり陽子にしたくて。 王は人ではない・・・なので通れるとしました。かなり真っ黒なグレーですけどねぇ。
 呉剛環蛇によって陽子を渡すと言う設定は、 指摘を受けるのではないかとは思っていたのですが・・・ 他に良い手を思いつけませんでした(^_^;)

国破れて 饒筆さま

2012/09/11(Tue) 00:12 No.42
 わあ……まさに国破れて山河(島海?)あり、という感慨深さですね……
 尚隆が背負っているものは本当に重いのだなあと感じました。 それはきっと時の流れが癒すものでもなく。

 私が陽子さんなら、こんな報告をするかなあ。
(尚隆の背中に背中を預けて)
陽子「小松の出城、見に行ってきたよ」
尚隆「ほう」
陽子「島も『小松』も、ちゃんと残っていた」

浪漫ですねぇ…… 未生(管理人)

2012/09/11(Tue) 16:54 No.43
griffonさん>
 瀬戸内の島々は妄想を刺激しますよね〜。 そして、伊予の国に残る小松の地名。 もしかして、戦が酷くなる前に所領を逃れた者たちが、 小松を悼んでつけたのかもしれませんね…… って夢と現をごっちゃにしちゃいけませんね(苦笑)。 素敵な家系図のお話と共に浪漫を感じてしまいました。

饒筆さん>
 沁みますね……。素敵な小品をありがとうございました。

そうかぁ〜 ネムさま

2012/09/11(Tue) 21:26 No.44
 遺跡になっているんですね、尚隆の故郷は。 あらためて五百年の時の長さを感じます。 また、その時を見つめるのが本人でなく、陽子というところが良いですね。 尚隆の抱えているものを見るだけでなく、 自分のこれから抱えるものを確認するために来たのかもしれない、なんて思いました。
 想像を掻き立てるお話、ありがとうございました。

 家の家系図は宇和島伊達氏だそうです。 どこから、そんな話が出たのやら(全然信じていない ^^;)。 法事で会う親戚一同の顔写真と名前一覧の方が余程有難いです〜
背景画像「空色地図 -sorairo no chizu-」さま
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