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実生の桜
縷紅 2019/03/31(Sun) 18:05 Home No.97 [拍手送信]

今年最後と伺って、投稿に参りました。
未生さん、長い間お疲れ様でした。

これ、他の話とリンクしているのでもしかすると禁じ手かもしれませんが、一応独立してでも読める形にはしてあるのでお許しください。

タイトル: 実生の桜
文字数 : 3999字
登場人物: 浩瀚 オリキャラ景主従
傾向  : ほのぼのとした雰囲気の末声

2018年の「十二国」桜祭に投稿した拙作「葉桜」と同じ桜の話。
こっそり裏設定でこの白桜は染井吉野に少し遅れて咲く大島桜です。

実生の桜
縷紅 2019/03/31(Sun) 18:07 Home No.98
 親子ほどの年齢差の女人が二人、肩を並べて歩いている。その前には娘の父親というには少々若い男が歩みを合わせてゆっくりと進む。足元が悪い場所では、男は女達に手を差し伸べた。髪を結っていない、無作法と言わざるを得ない身なりとは裏腹に、男のそのさりげない洗練された所作には身に付いた教養と上品さが表れていた。

 歩道の一部に岩壁の崩落で不安定な石が転がっているところがあった。それまでと同じように差し伸べられた手を、年嵩の女は軽く笑いながら断って、優雅な絹の襦裙の裾の両側を手で持ち上げると腰のすぐ下で結び、農婦が着る丈の短い衣のように膝から下をむき出しにしてヒョイヒョイと軽い足取りで落石を越えていった。

「やっぱりこの方が楽だわ。こんな上等な着物は苦手よ」

 案内不要な一本道を一人で先に進み、岩肌に穿った石の階を上っていった女は、そこから見えた光景に賞嘆の声を漏らした。

「なんて美しいのかしら。堯天の街に雪が降っているようだわ」

 後から来る金髪の娘と、その手を取る男へ向かって早くここまでいらっしゃいと女は手招きをした。
 



 金波宮の一室で白い指が手づから点てた茶を客である男の前に置いた。
 そして、自分と半身の分の茶もそれぞれに。

 どうぞ、と促すように笑みを含んだ視線を向けられた浩瀚は、小さく目礼をして勧められるままに茶器に口を付け、鼻腔に広がる馥郁とした香りを楽しみながら飲み下した。芯芽の産毛を含んだトロリとした茶湯の心地よさが喉をゆっくりと潤していく。

 慶国では白端の茶が最上と言われ、他国へも高値で売られ長く評価を受けてきた。
 伝統的な白端茶は緑茶を後醗酵によって独特の風味を持たせ、餅型に固めたいわゆる固形茶である。その味わいは濃く、重々しく、例えていうならば咲き誇る緋牡丹かあるいは濃密な香りを持つ蘭花のような艶やかさを感じさせる。

 しかしこの場で振舞われた茶はそれとは全く別で、からりとした初夏の風と木漏れ日を思わせるような軽やかなものだった。高級茶の類ではないが、浩瀚は目を細めて記憶を手繰り寄せるような表情で穏やかに微笑んだ。あの方が好きだった茶――いくどとなく彼が点て、その度に香りを楽しんで「ああ、美味しい」と言葉を漏らした――。新王登極の一声を受けたのち、女官に命じ全ての調度を新たな王のために整えさせ、先代の名残がほとんどない室内で、ただひとつ、その香りが彼の心を過去へと誘った。

「わたくしの好みの茶で用意してしまいましたが、お気に召していただけましたか? 浩瀚様」

「恐れ多い、どうかお呼び捨てください。主上」

敬称を固辞する彼の言葉をにっこりと笑いながら無視をして、女王は言葉を続けた。

「ここは私的な場。浩瀚様は先代のお身内としてお招きしたお客様ですから、相応の礼を尽くすのが当然のことでございますよ。ね、貴女もそう思うでしょう? 景麟」

 傍らに静かに控えていた小柄で細身の娘は、話を向けられて恥ずかしそうに白磁の頬を朱に染めながら、囁くような声で「はい」と言って頷き、全幅の信頼を預けるような視線を彼女の女王に向けた。

 蘇姓の女王は三十代半ばを少し過ぎた辺りで、外見年齢では浩瀚の姉といった年ごろである。赤王朝の初期に王宮で暮らしていたことのある、蘇蘭桂の縁者である。彼は国官として前王に長く仕えたのち野に下り、瑛州の小さな里に骨を埋めた。彼の晩年を看取ったのが幼い頃の彼女だったという。

「桂翁はそれは聡明で優しい方でした。他言してはいけないよ、と言いながら、先王様や浩瀚様のお話を聞かせていただきました」

 子供の頃の無邪気な憧れを語る王に向け、浩瀚は困ったように笑みを浮かべた。

「陰に日向に先王様の善政をお支えになったのは貴方様であると、皆が存じております。先代様と貴方様の強い心の絆が慶を豊かで誇り高い国へと導いてくださいましたと」

「そのような、美しい言葉で語れるようなものではございませんよ」

 苦笑を浮かべて否定する彼の言葉は、何も知らぬものからはただの謙譲のようにも聞こえただろう。しかし、一国の全ての責を負う立場では、時に泥水を啜るような苦いこともある。相手を傷つけると分かっていてもしなければいけないことがあり、自分の心の醜さを知った上で貫かねばならない途がある。痛みを伴うそれらが全て美しい言葉で伝えられるものばかりではない。

 それを未だ歳若い女王が身をもって理解するのは先の話でよい。

「いつか時に紛れてその行いのひとつひとつが埋もれてしまう時があっても、お二人のなさってきたことはいつまでも受け継がれていくとわたくしは確信しております。わたくしを含めて慶で生まれ育った民の心に、その誇りを植えてくださったのは間違いなくお二人なのですから」

 女王は結うには短い長さで頬に落ちてくる焼き栗色の髪を耳に掛け、唇を横に引き笑って頷いてみせる。髪の色も、瞳の色も、肌の色も違う彼女の表情が、一瞬だけ彼の赤の女王の姿と重なって見えた。

「もう一度だけお尋ねいたします。臣として、この朝に残っていただくことは願えませんか」

 浩瀚は黙ったまま眼前の女王の青い瞳を見つめた。そこに浮かぶ静かな決意の色を見て、女王は諦めたように肩を竦める。

「桂翁から伺っていた通り、一度決めたことは決して覆さない方のようですね」

 そう言って小さくため息をついた。そうして女王はゆっくりと明るい笑顔を見せる。

「ご心配をおかけせぬよう、下った里で穏やかな暮らしをしていただけるよう残る者たちと努力いたします。餞として、長いあいだ国を支えてくださったご恩に報いることは何かできましょうか」

「できる事ならば、これまでの私の立場や過去について知られずに暮らせるよう、お取り計らいいただければ嬉しく思います」

 浩瀚はさらに口を開きかけ、しかし言いあぐねるように口元に指を添えた。

「わたくしに贖えるものならば何でもお望みください」

 そう促されて、彼はもう一度口を開く。

「お許しいただけるなら、王宮内のある桜の種子を賜りたく……」

「あら、まあ」

 女王と麟は、予想外の彼の望みに顔を見合わせている。女王が次に見せたのは強い好奇心。瞳をきらりと光らせて浩瀚の目をしげしげと見つめた。

「もちろん差し上げますわ。しかし何と控えめな望みでしょうか。お望みならばその木を掘り返させますが……」

 王宮の腕の立つ庭師たちは、もちろん繊細な樹木を傷めずに植え替えることもできるかもしれない。しかし浩瀚は首を横に振った。桜樹そのものでも、枝でもなく、種が望みであると。遠慮ではなく言っていることを理解した女王は

「種のことは承知しました。ですが、今はまだ実の熟す時期には少し早うございますね。あとで浩瀚様の元へ届けさせることにいたしましょう。ただ…」

 と言ってから、含みのある悪戯な笑みを浮かべて続けた。

「王宮内にも桜の木は複数ございます。間違いのないよう、わたくしをその木のところまで連れて行ってはいただけませんか」







 岩山の裂け目に根を下ろし、枝を伸ばす白桜。
 満開を過ぎた枝からはらはらと無数の花びらが舞い落ちていく。
 
 その潔いまでに美しく寂しい景色を愛した、紅髪の娘がいた。
 たった一人、彼を残して逝ってしまった赤の女王。
 彼女の姿を見ることは二度と叶わない、しかし愛した桜はここに生き続けている。


 振り返り手招きをする青い瞳の女王の元へ、彼女の半身を無事に送り届け、彼は少し余所行きの顔で迎える桜の樹を見上げた。梢の先には半分開きかけた新芽の緑がきらきらと輝き、白い花びらと赤い花柄がにっこりと笑いかけているように感じた。

「浩瀚様にとっては、この桜が種から命を繋ぐことで、先王様の生まれ変わりとなるのでしょうか……」

 景麟が唐突に独り言のように言った。そして自分の口をついて出てしまった言葉に彼女自身が驚いたように、はっとして俯き無礼を詫びた。浩瀚は桜の枝を見上げたまま黙っていた。彼の眦に光るものがあることは、その場の誰も口にはしなかった。

 数瞬の後、彼は穏やかな微笑を浮かべて景麟へ問うた。

「どうしてそのようにお考えになられたのですか?」

 景麟は少し困ったような顔で主の顔を見て、女王が頷くとおずおずと答えた。

「それは……。蓬山にいた頃、女仙から主に殉ずることができなかった麒麟の話を聞いたことがありました。その時はまだ、主上にお会いする前だった私にはその心持ちを想像することができませんでした。でも、主上が黄海を渡り私のところにおいでくださった時から、身を裂かれるよりも辛い悲しみがこの世にはあるのだろうということを初めて知ったのです」

 浩瀚様を初めて目にした時から、貴方が今のように微笑みを湛えながら、心では枯れることのない涙を流し続けていることに気付いていました――。そう言って麟は言葉を詰まらせた。

「大丈夫よ、わたくしは決して貴女を置いていなくなったりしない。大丈夫よ」

 女王は景麟の頭をそっと抱き寄せて額に唇を寄せる。
 浩瀚はそんな二人の様子を見て、彼の女王の強さとは違う、しなやかで折れない楊のような強さを見て取り、安堵する気持ちと時代は変わり決して戻ることがないことへの寂しさを感じた。

 陽子が作り、彼が守った王一人に頼らない慶の国の仕組み。それをこの女王はきっと育み育てていく。赤の女王の生き様を見守ったこの桜も、いつか命が尽きるときが来るだろう。しかしその種は、鳥が運び大地に落ち、新しい芽吹きとなって慶の国を見守り続けるのだ。

 陽子が連れて逝った者たちに密やかな妬ましさを感じながら、浩瀚は残された人としての一生を桜とともに過ごしていく。ただ生きて死ぬ、それが叶わなかった一人の女への弔いとして。

「お前はお前の好きなように生きて良いんだよ」

 桜の葉陰から彼の耳に囁く声が聞こえたような気がした。
 彼は生憎ですがと皮肉で返したくなったが、ただ、声を立てずに笑むだけに止めた。

(了)
実が生る
ネム 2019/03/31(Sun) 23:09 No.105
 縷紅さん、お久し振りです!またお祭でお話を読ませて頂けてうれしいです。
 爽やかな白い大島系桜は私も好きです。繊細な雰囲気の染井吉野よりしっかりしたイメージがありますが、新しい景主従に似合っていますね。陽子が残した慶そのもののような気がして、もしかすると浩瀚にとっては、自分達が育てた実のようにも見えるのかもとも思いました。
 途中の浩瀚の追憶に、陽子と共に過ごした日々が決して甘やかなものではなかったことが伺え、それでも想い続ける彼の姿に、どれ程大切なものが二人の間にあったか伝わってきました。
 切なくやさしいお話をありがとうございました。
目を瞑って胸の奥深いところで息をすると
ひめ 2019/04/01(Mon) 00:06 No.106
時が静かにしずかに通り過ぎて行きました。


縷紅さん、お久しぶりです。
Re: 実生の桜
縷紅 2019/04/01(Mon) 17:39 Home No.108
ネムさん、ひめさん、コメントありがとうございます。

>ネムさん

大島桜はエメラルド色の新緑と、真っ白い花びらがすっきりと美しくて、青空がとてもよくに合うと思います。その凜とした雰囲気が、ネムさんのおっしゃるようにしっかりとしているように見えるのかもしれませんね。

>ひめさん

詩人ですね! 素敵な言葉をありがとうございます。
いらっしゃいませ!
未生(管理人) 2019/04/01(Mon) 22:15 No.119
 縷紅さん、ようこそお越しくださいました。2006年の元祖桜まつり主催である縷紅さんのご参戦、大変嬉しゅうございます!

 きちんと独立した作品でありながら、残された浩瀚のふとした呟きから過去が垣間見える……。知らなくても読めますが、「浩陽10題」を知っている身としては胸を押さえながら拝読いたしました。私結構長く縷紅さんのファンやっておりますからね……。

 昨年いただきました「葉桜」はこちらからどうぞ。
http://mugen-yawa.sakura.ne.jp/ymtr/skrfes18/text/528rukouw.html

 「浩陽10題」に興味を持たれた方は縷紅さん宅にてご覧くださいませ。上の家アイコンから入れます。

 ネムさん、ひめさん、先レスありがとうございました。
Re: 実生の桜
縷紅 2019/04/02(Tue) 22:38 Home No.149
未生さん、ご紹介ありがとうございます(^^)
10年近くも前に書いたものに、未だに萌え続けている自分もどうかしてると思いますが、知っていてくださって本当に嬉しいです。
大島桜だからこそ
饒筆 2019/04/04(Thu) 00:32 Home No.164
縷紅さま、改めましてまたお目にかかれて嬉しいです。

爽やかでおおらかな大島桜だからこそ、そこに悲喜こもごもの思い出を見る眼差しをあたたかく迎えてくれそうですね。
桜守として幼木の成長を見守ることが今後の心の支えになりそうですし、切ないけれど、悲しみより、本人の深い決意とか周囲の濃やかな心遣いが胸に残りました。
「生憎ですが」のところはお顔がはっきり見えた気がします。(彼らしいですね)

味わい深い素敵な御作を披露してくださり、ありがとうございました。
切なく美しい
文茶 2019/04/04(Thu) 21:33 No.165
縷紅さま、お久しぶりです。
読み終えて切なく優しい余韻が残りました。 浩瀚は苦楽を共にした日々を桜の成長に重ね、見守り続けていくのでしょうね。 生死を分けてなお、強い絆で結ばれた二人に胸が一杯になりました。
Re: 実生の桜
縷紅 2019/04/10(Wed) 12:44 Home No.237
饒筆さん、文茶さん、コメントありがとうございます。

>饒筆さん
浩瀚が余計な一言の憎まれ口を叩くのは、本当に心を許した相手だけ、というのが個人的な萌えどころです。怜悧で温厚篤実、だけど毒舌。玉虫色な彼の全てを知っているのは…( ̄ー ̄)フフフ


>文茶さん

血を吐くような末声を経て、全てが通り過ぎたときにやっと二人の思いは成就したのかもしれません。

お読みくださりありがとうございました。
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