春誘う吉兆の足音/3(空さま)
春誘う吉兆の足音(3)
作 ・ 空さま
* * * 第三節 * * *
二人の男は黙って昔のことを思い出していた。そう、ここは金波宮だ。麦州の官邸ではない。ましてや、片や冢宰、片や左将軍だ。
「ここは、暖かいな。12月だと言うのに」
「ええ、だからお誘いしたんですよ。このところ多くのことがあって忙しかったですから」
「うむ、そうだったな」
官吏の整理はまだ完全ではないが、ずいぶんと進んでいる。浩瀚と桓たいは、ふと表情をゆるめ、笑いながらお互いに視線を交わした。
その時だ。ガサガサっという盛大な足音がした。
「あ、誰かと思ったら桓たい、浩瀚も。こんなところで何をやっているんだ?」
「主上!」
桓たいはあわてて杯を袖口で拭うと、懐に壺と共にしまおうとして地面に落とした。パリーンという小気味よい音がした。
「何? 杯?? こんなところで昼真っから、酒飲みか」
呆れたような陽子の声を聞きながら、浩瀚は、額に手を当て、一瞬顔をしかめた。しかし、すぐに穏やかな表情に戻し、
「これは、主上。良くいらっしゃいました。ご一緒にいかがですか?」
そう言った。
桓たいは、天を仰いでいたが、気を取り直し、跪礼すると、
「主上には大変ご機嫌麗しく」
と、訳のわからない挨拶をした。
「あははは、いいよ、桓たい。昼に酒を飲んではいけないなんていう勅命を出す気はないさ。でも、なんでわざわざこんなところで酒を飲んでいるんだ?」
陽子は、そう尋ねた。
「主上こそ、いったい何をなさっているのですか?」
「へ!? いや、あのう、ね。ほら、何だ」
こちらもなんだか訳のわからない対応だ。
「もしや、主上。もうすぐ郊祀の祭りがございますが、そのときのお召し物か何かでお悩みでは?」
そう、浩瀚に穏やかに問われると、陽子もふっとため息をつく。
「うん、そうなんだ。まったく浩瀚には隠し事はできないね」
「確か、主上の代になって二度目のお祭りかと?」
「ああ、それで、前回の衣装と別のものを作るっていうんだ。それはもったいないからやめてくれといったんだが、皆聞き入れてくれなくてさ」
そう言って、陽子は二人の間に腰を下ろした。
「新しい衣装ともなれば、衣装合わせが必要かと?」
「うん、その通りなんだ。今日はもうくたびれきっていて、あの重たい衣装を着る気になならなくてね。悪いとは思ったけど」
「さては主上。祥瓊から逃げてきましたね?」
「当たり! 桓たいよくわかってるな」
男二人は、陽子を見て微笑む。
「あれ? こんな季節に花が咲いている。この花はなんだろう?」
「主上、これは寒桜でございます」
浩瀚が答えた。
「寒桜? ああ、冬に咲く桜があるって聞いたことがあるけど、これがそうなの?」
「はい」
陽子は、改めて花を見上げた。
「桜としては少し小さめの花だけど、冬の寒さに耐えて咲いている感じが、切ないな」
陽子は、両手を頬に当て、抱え込んだ膝の上にその肘を載せた。
「なんだか、この花は浩瀚に似ているね」
そんな独り言を言う陽子を見て、桓たいは驚いた。
「へえ! 柴望様が聞いたらお喜びになるだろうなあ」
「ん? なんでだ??」
「主上のご意見が、柴望様と同じだからですよ」
「桓たい、それはどういう事?」
「柴望様は、かつてこの花を浩瀚様に喩えたんですよ」
「そうなのか?」
陽子は今度、浩瀚の方を向いて問いかけた。
「はい。桓たいの言うとおりでございます」
「主上、麦州にある浩瀚様の官邸に、寒桜の大きな木があったんですよ。そこで、浩瀚様と、柴望様と俺とで、そんな話をしたことがあったんです」
「ふうん。何かよっぽど印象深いことがあったんだな」
「え、なぜそんな風に思うんですか? 主上」
「だって、お前と浩瀚がわざわざこんな所に来て酒を飲んでいるなんて、よほど懐かしかったんだろう? この寒桜が」
「主上にはかないませんね」
陽子と桓たいが、たわいない話をしている間、浩瀚は、それを見守りながらかつての自分を思い出していた。この寒桜が散る頃には、自分の命の行方も片が付いているだろう。あのときは本当にそう思っていた。
和州に乱を起こす。それは、主上が玉座に着かれてから、ずっと練っていた計画だった。
成功するかどうかは、半々だった。呀峰も靖共も、浩瀚を犠牲にして慶の官吏をまとめる腹だったようだ。二人が牽制し合っている間は勝機がある。しかし、あの二人が完全に協力体制をとったなら、こちらは不利になるだろう。そう思っていた。
しかし、主上が、拓峰の乱と明郭の乱を、まとめてしまわれた。
我々は、本当に良い国主を抱くことができたのだ。
あとは、官吏の腕の見せ所、のはずなんだが。
「浩瀚、お前も麦州の官邸にあった寒桜が懐かしいか?」
浩瀚の思考は、陽子の声によって中断した。浩瀚は、少し思案して、
「左様でございますね、こちらの寒桜は若木のようでございますが、州侯官邸の木は、もう少し古い物でございました。懐かしく思います」
「そうか。冬空に美しいな。凜として、咲いている」
「はい」
浩瀚は、穏やかに陽子の話に応じる。
「ほとんどの州が偽王に下ったあの頃、お前のいた麦州だけが最後まで孤軍奮闘してくれたんだ。それなのに私は……」
「主上、そのお話はもう繰り返さなくともよろしいのでは?」
「ありがとう、浩瀚。でも、そんなお前のことを思うと、この冬空に咲く白い花に、孤独な正義を感じたんだ。不甲斐ない私を、諫めようとしてくれた」
「そのようなことは」
「いいんだ、浩瀚。もう、慶は進み出している。私もがんばるので、これからもよろしく頼む」
「主上、臣下にそのようなことを言ってはいけません」
「なんだ、景麒と同じ事を言うな!」
それまで黙っていた桓たいが、笑いながら声をかけた。
「お二人とも、もういいじゃないですか。ほら、寒桜が揺れていますよ?」
そう言われて、陽子は木を見上げる。
「ああ、本当だ。綺麗だね。寒桜はいつごろ散るんだろうな?」
「暖かくなったら散るんですよ。それまでは、雪が降ろうが吹雪になろうがしっかりと咲いているんですよ」
自慢げに説明する桓たいに、浩瀚は穏やかに笑いながら言った。
「左将軍、どこかで聞いた様な説明ですね?」
「あ、ちょっと浩瀚様。ばらさないでくださいよ。せっかく主上にいいところを見せようと思ったのに」
「なんだ、桓たい。浩瀚の受け売りか?」
「ほら、浩瀚様。主上にばれちまったじゃないですか!」
「あはははは……」
陽子は、二人のやりとりを聞いて笑い出した。
「はあ、なんだか気が晴れた。仕方ない、着せ替え人形になってくるよ。これも国王のつとめらしいからな」
片目をつむると、陽子は二人を後にして、正寝の方へ戻っていった。
「では、左将軍。我々も政務に戻りましょう」
「かしこまりました! 冢宰!!」
ふ、くっくっく、笑いながら二人の男は立ち上がった。
背景画像 空さま