閨事 griffonさま
2009/03/15(Sun) 00:44 No.15
う〜ん・・・夜向きなお話かもしれません。
タイトルのわりには、僕的にはR指定はいらないとは思うのですが・・・
もし苦手な方がいらっしゃったら、スルーしてください。申し訳ありません。
毎回なんかこう、注意書きの必要なのばっかり投下してしまって・・・
登場人物は二人。このふたりは・・・初書きかもしれません。
閨 事
作 ・ griffonさま
2009/03/15(Sun) 00:45 No.16
―― っっ
声にならない悲鳴を上げて、跳ね起きた。跳ね起きた上半身の皮膚には、油を塗ったように汗が纏わりついていて、柔らかそうな胸の谷間を大きな雫が滴っていく。裸の胸を抱えるようにして、衾に上半身を伏せた。紺青の髪が一束背中に張り付いたままになっていた。衾の中の羽が抱え込んでいた空気が、絹の繊維の隙間から押し出されて、ゆっくりと沈むように厚みを減らしていく。その衾の端が肌蹴、桃のような丸みの横に覗く足先が褥を掻き毟るように蠢いていた。身体の下になった両の手首を交互に掴んでは、しごくように掌を動かしていた。まるでそこに纏わりつく物を掃う様に。
「……どうした」
少し眠気の混ざった、柔らかで低い声がした。女の傍らで眠っていた男が、目を閉じたまま声を掛けながら、寝返りを打つように女のほうに躯を向けた。ゆっくりと右目だけを開くと、衾に躯を伏せた女の裸の背中が、波打つように動いていた。男はもう一度寝返りを打つと、臥牀の傍に置かれた小振りの卓の上にあった被衫を右手で掴み、女に掛けてやろうと広げたのだが、少し躊躇ってそれを元の卓の上に戻した。衾の上に裸の躯を投げ出し、女を半ば無理矢理に抱き寄せて、抱え込んだ。抱え込まれた女は、抵抗しようと身動ぎをするが、男はそれを許さない。ただをこねる少女のように躯をくねらせていたが、暫くすると、女の躯から力が抜けきた。
背中を男の胸に預けるように、ゆっくりと伸び上がり、しなやかな手足が男の手足に絡まるように伸びて行く。男の力が少し緩んだ隙に、くるりと躯を回すと、男の右の鎖骨の下辺りに額を当てた。安堵したような表情を浮かべた男は、顔の前に垂れかかった美しい紺青の髪をかき上げる。女は、照れたような笑みを浮かべてはいるが、その紫紺の瞳の奥には深い悲しみの色合いが見えて、男は再び表情を曇らせた。女の白い指先が男の頤から喉を撫で、軽く曲げられた人差し指の先が鎖骨を根元からゆっくりと右肩へと撫でてゆく。
「大きな傷」
女が呟くように言った。
女の言ったとおりに、肩の上側から鎖骨の少し下辺りにかけて、胸側から背中側にかけてひと繋がりの大きな傷跡があった。
「まだ痛みがあったりするのかしら」
「いや。もうずいぶんな古傷だしな。それに格上の剣客を軽く本気にさせてしまったために付いた傷だから、俺にとっては所謂名誉の負傷と言うやつだ」
「そっか」
「傷が気になるか」
「そう言うわけでもないんだけど。仙になると呆気なく傷がなくなるでしょ。その割には大きな傷だなと思って」
淡く消えかかった傷を含めて、男の体にはかなりの数の傷跡があった。
「そうだな。自ら望んで仙になった天仙なんかはどうなのかは知らないが、心に受けた傷はそうは簡単に癒えないだろう」
―― 思わず夜中に跳ね起きてしまうような、心の傷は特にそうなんだろう。聞こえるか聞こえないかの小さな声で男は呟き、女を抱き寄せた。女はその腕を振り解いて臥牀から降りると、卓の上の被衫を左手で拾い上げて羽織り、大きな玻璃の入った窓際に立った。
「そのたくさんの傷と引き換えにした命の数は、どのくらいあるのかしら」
「そうだな……知っての通り、夏官ってのは結構何でも屋みたいなとこがある。州師とは言え戦うことよりも、土を掘ったり埋めたり石を運んだり橋を架けたり。殆んどはそんなもんだ。禁軍になっても、そう変わったものでもない。でもまぁ、武人としての誇りにかけても良いが、俺は俺が正しいと思う戦いでのみ、人を殺めてきたつもりだ。浩瀚様はそれを許してくれる上司でもあったしな。だが主上と出会って少し考える事もあった。俺の斬った相手は、悪者だけだったんだろうか。彼らなりの正しさの中で戦ったのかもしれない。あるいは、何も知らずに悪者に使われただけかもしれない……ってね」
「知らなかった……では済まされない人もいるわ」
「そうだな」
「両手両足を結わえられて、身体が空中に浮いて、腕や脚が今千切れる。私はその瞬間でさえ、沍姆を、廬の人達を、恵侯を恨んでいたわ。そうされても償いきれないほどの事をしていたのに。私の手足に付いた傷には六十万もの人達の手が絡みついていて、今も私に贖罪を求め続けている。何故お前が暖かな衾褥に包まり、のうのうと寝てなど居られるのかと」
「言っていることは理解できるが。そうだな。その贖罪とやらを続けるためにも、休息は必要だろう。愛し合う事だって必要だ」
真剣なのか、それともはぐらかされているのか、男の言い様に苦笑いを浮かべて、玻璃の窓から外を見た。満月の明かりに照らされて、大きな桜の木が目に入った。
「ねぇ」
女は、その桜の木から視線を外さずに、男を手招きした。男は、呼ばれるままに臥牀から降り、女の背後に回ると筋肉質の太い両腕でそっと抱いた。
「あれ」
女は桜の木を指差してから、男に横顔を見せた。
「咲いてない?」
目を凝らした男は、女の指差す枝を見た。
「咲いてるな」
「陽子の大好きな季節が、また来たのね」
男の太い腕に抱かれたまま、女は桜の枝に紫紺の瞳をじっと向けていた。