虎嘯にも春を! 由旬さま
2009/03/26(Thu) 00:01 No.118
これも連鎖妄想だと信じて疑わないのですが、No.16のgriffon様作「閨事」の二文字から
浮かんだものです。文字連想?! タイトルは「珍事」。
(中味は、全く別の話になっています、すみません)。
「珍」と言えば「珍CP」。私一人で盛り上がっている虎嘯×玉葉でお送りしたいと思います。
虎嘯と玉葉は互いをよく知っているという前提です。
2400字くらい。ジャンルはほのぼのでしょうか。。。
深みのない軽い話ということで、よろしくお願いいたします。
珍 事
作 ・ 由旬さま
* * * その1 * * *
2009/03/26(Thu) 00:04 No.120
その日虎嘯は一日中多忙であった。
大僕として陽子の後を追いかけるだけでもいつも大変な思いをしているのに、その日はそれに加え様々な出来事があったため、超のつく忙しさだったのだ。
しかもその出来事というのが、普段滅多に起こらないことばかり。
それは早朝から始まった。
内宮に仕える一人の爰が昨夜から行方不明になっているという知らせが届いた。先日雇われたばかりの老いた爰は、どうやら慣れない道に迷ってしまったらしい。掌客殿の庭でようやく見つかった老女は、疲れ果て半泣き状態であったが外傷もなく無事だった。虎嘯が背負って内殿まで送ってやると、平伏して何度も何度も感謝を述べた。
次は人ではなく物が無くなった。
堯天の業者から内宮に届く予定であった新しい食器類一式が、王宮内のどこかで紛失してしまったのだ。どこへ消えたかとさんざん探し回ってみれば、正寝の厨房に食材と間違われて届けられていたのが判明した。その不始末を巡り厨房係と備品係が互いを責めて言い争う事態になったが、虎嘯が中に入ってその場を収めたのだった。
その一件と並行して、今度は正体不明の生物が内宮内をうろついているという情報が寄せられた。その影を見たある者は大きかったといい、またある者は小さかったという。四足歩行していた、いや二本足で歩いていたと、情報は錯綜していた。妖魔か妖獣かと大騒ぎになったが、結局捕まえてみればどこからまぎれ込んだのか猿の親子だった。
猿を金波宮の奥の山へ放し、夕方になってやっと落ち着いたかと思いきや、今度は内宮の女官同士で刃傷沙汰が起きた。
一人の男を巡りかねてから仲の悪かった二人の女のうち、劣勢だった女の方がもう片方の女を怒りに任せて庖丁で刺したのだ。幸い刺された女の傷はごく浅く大事には至らなかったが、内宮内での流血騒ぎに虎嘯は肝を冷やした。
二人の女を夏官府に引き渡して、虎嘯が自室のある太師府に戻ってきたのはもうかなり夜も更けた頃だった。
王の警護という大役を司る大僕はまた、内宮内の警備も担当する。内宮内の治安を維持するためには、時にあちこちから上がってくる様々な苦情の処理さえ任される。その上今は人手が足らず、大僕の上司に当たる射士も空位のため、虎嘯にかかる負担は大きかった。
それでも虎嘯はそれが自分の役目だと、積極的に仕事をこなしているのだが、さすがにその夜はへとへとで、心身共に疲れ果てた。
そんな時は酒が飲みたくなるものだ。虎嘯は桓たいを誘って一杯やろうと、彼の元へ使いをやった。ところが桓たいは取り込み中という返事。さては誰かさんと、と虎嘯は一瞬にやけたが、誘いを断られ大いに落胆した。
ちくしょう、俺がこんなに忙しく働いて帰って来たというのに、あいつと来たら俺の酒の相手もせずに――と、虎嘯は毒づく。
女気もなく、仕事の愚痴を聞いてくれる相手も俺にはいない。そんな風に思うと寂しくなり、どっと疲れが倍増した。 虎嘯は大きく溜息を付いて椅子の上に仰け反った。
仕方ない、一人で飲むかと気を取り直したのも束の間、使用人がやってきて、虎嘯宛てにと包みを渡す。何でも今朝の行方不明になった老いた爰の上司に当たる内小臣が、虎嘯にいろいろ世話になったお礼とお詫びのしるしにと、届けに来たのだという。改めてのご挨拶は明日王宮でいたします、とのことだった。虎嘯が中味を開けてみると、小魚の佃煮であった。
現在の内小臣は、以前陽子の爰であった玉葉だった。彼女はその人望を認められ、最近内小臣に抜擢されたばかりであった。
虎嘯はふと思いつき、玉葉を追いかけて連れ戻すようにと使用人に命じた。
* * * その2 * * *
2009/03/26(Thu) 00:07 No.121
「夜も遅く大僕殿もお休みかと思い、ご挨拶は後ほどと思っておりましたが」
玉葉は呼び戻されるとは思わなかったようで、いたく恐縮していた。
「あ、いや。こちらこそ、引き止めてしまって申し訳ありません。佃煮の礼を言いたくて。本当にありがとうございました。今朝の件は仕事のうちですから、どうかそんなお気遣いなさらずに。ですがせっかくいただいた佃煮。ありがたく頂戴いたしますよ。酒の肴にぴったりだ」
虎嘯は今更ながら、呼び戻したもう一つの理由を玉葉に告げて良いものかどうか自信を無くしていた。それでもおずおずと口にする。
「それでその、も、もし差し支えなければ、わたしと今から一献いかがかと思いまして。こんなにたくさんの佃煮一人じゃ食べ切れませんし」
まあ、と玉葉は目を見張ったが、次にはこぼれんばかりの笑みになる。
「お世話になった上、更にお誘いをいただくなんて。本当に宜しいのでしょうか」
勿論ですと即答する虎嘯の声は上ずった。
先程までの陰鬱さは消え去り、虎嘯は酒を一緒に飲む相手が見つかって気分上々であった。しかも相手は以前から気になっていた女である。
虎嘯より少々年上の玉葉は、白い頬にいつもえくぼを浮かべている朗らかな女であった。柔らかい物腰ながらてきぱきと仕事をこなす姿を、虎嘯はいつも眩しく思っていた。
その彼女と酒を酌み交わす。まるで夢のようだった。女気のなかった自分の家が華やいで見える。こんな事が起きるなどと、ついさっきまで考えてもみなかった。滅多に起きないことだらけの一日だったが、同じ珍事でもこのような珍事ならいつでも大歓迎だと虎嘯は思った。
酒を酌み交わしながら他愛もない雑談をしていると、玉葉の仕草や言葉から心根の良さ優しさが伝わってくる。虎嘯はそれが心地よく、その日の疲れが帳消しになるような幸せな気分になったのだった。
二人の座っている窓際から外を見ると一本の大きな木が目に入る。
会話が途切れ無言になった二人。虎嘯はふと視線をその木に向けた。
長年ここに勤める使用人によると、その木はかなり昔からそこに植わっていて、朽ちてはいないが花や葉がついているのを見たことがないと言う。幹と枝だけの桜の木である。枯れた桜など切ってしまえという声もあったが、虎嘯はその木を見るとなぜか心が落ち着くのでそのままにしているのだった。
その木を眺めていた虎嘯は、ふと目を擦った。
枝に何かが付いている。窓から漏れる灯りだけではよくわからない。それが何かを確かめに行くために、玉葉にことわって席を立つ。
「蕾じゃないか」
ついていたのは桜の蕾。一体いつからだったのか、虎嘯も気付かないうちに幾つもの蕾が出て木の枝を覆っていたのだった。
「これは珍しい」
思わず虎嘯は声を上げる。
どうやらその桜の木は、ようやく花を咲かすのを思い出したらしい。もう死んだも同然と思っていた桜から、生きている証を見せられて、虎嘯はつくづく切らずにおいて良かったと思った。
「よく頑張ったな」
そう労って幹をぽんぽんと叩く。
「近々桜の花見ができそうだ」
新たな珍事に虎嘯は心が弾む。
「その時はまたお誘い下さいますか」
いつの間にか虎嘯の側へやって来て、そう言って微笑む玉葉。
思いもしなかった言葉に、虎嘯の心は跳ね上がった。
珍事続きだったその日。締めくくりもまた珍事であった。
(了)