花 冷 え
作 ・ 壱草 楓 さま
2009/04/07(Tue) 23:34 No.176
朝目が覚めた時、陽子は思いもしない寒さに驚いた。
あわててそろそろ不要かと思っていた厚手の上着を羽織って部屋の窓を開ければ、目が覚めるような冷気が一気に室内に流れ込んでくる。
近頃は日一日と暖かくなり、そろそろ桜が見ごろを迎えようとしている時期だ。そんな時にこれほど寒くなるとは思いもせず、陽子は冷気に身をさらしたまま茫然と立ちすくんだ。
―――ひょっとして天意が傾いているのだろうか。
そんな不安がちらりと脳裏をよぎれば、その不安は陽子の中でどんどんと膨らんだ。
そういえば近頃は、花見花見と浮かれて少々政務がおろそかだった。書き間違いや思い違いなどの失敗も多く、皆は呆れつつも「この時期は仕方ないわね」と苦笑していたが、景麒のため息の数は明らかに倍増し眉間の皺もいつも以上に深かった気がする。
―――王なのに浮かれている場合じゃなかったんだ。
自分の行いはすべて天候を左右し、民の生活に影響する。それを忘れて自分の楽しみに浮かれていた己を恥じるように陽子はそっと視線を伏せると、きゅっと唇をかみしめたのだった。
ぶり返した寒さは幾日も続いた。
桜は五分ほど咲いたところからなかなか咲き進まず、地上では咲いた桜に雪が積もるという現象が見られたという。
陽子はますます不安になった。
突然寒くなったあの日から、桜のことは頭から一切追いやって執務に励んでいるというのに、気候が戻る気配がないのだ。桜の咲いた後に雪が降るなどもう異常としか言いようがなく、陽子はこのままどんどん天意が傾いていくのかと思うと恐ろしくて仕方なかった。
何とかしたい。でもその方法がわからない。こんな時こそ自分を支えてくれている面々に相談して助言を仰ぐべきなのだろうが、自分の浮かれ気分が招いた事態と思えば相談することすら恥ずかしく、陽子は一人不安を抱えて悶々とするしかなかった。
「近頃寒い日が続きますね」
浩瀚がふとそう告げてきたのは、執務が一段落ついた時だった。お茶を入れましょう、と茶器に手を伸ばし、変わらず優雅な手つきで茶を用意する浩瀚を見やりながら、陽子は唐突に掛けられた言葉にどきりと身を固くしていた。
―――ひょっとして浩瀚は何か勘づいたのだろうか。
この寒さは異常だと。そしてそれが何を意味するのかと・・・・・・。
それをはっきりと言葉にして指摘されるのが恐ろしく、陽子が戦々恐々として浩瀚の様子をうかがっていると、茶を入れ終わった浩瀚は、にっこりと笑って陽子に茶器を差し出した。
「天帝も心憎いことをなさるものです」
ふと呟かれた浩瀚の言葉の意味がわからずに陽子が首をかしげれば、浩瀚の笑みは一層深まった。
「この寒さのおかげで例年になく桜の持ちが良うございます。いつもならぱっと咲いてぱっと散ってしまうというのに」
それは確かにそうだった。咲いてから寒くなったせいか、ぽつぽつとゆっくりと花が咲いていき随分と長いこと桜が咲いているのだ。
「きっと桜のお好きな主上のために、少しでも長く桜が愛でられるようにとの天帝のおはからないのですよ。いつもがんばっている主上へのご褒美でございますね」
浩瀚の言葉にきょとんとすれば、浩瀚は少しいたずらっぽく笑った。
「それ以外にこの寒さをどう理解できましょうか」
思いもしなかった解釈に陽子が戸惑っていると、浩瀚は笑顔のままに言葉を続けた。
「さて、寒い日が続くとは言え、それでもそろそろ桜も見ごろを迎えます。祥瓊が、主上よりなかなかお花見の日取りを決めてもらえぬゆえ準備がはかどらぬと不満を申しておりましたが、いつにいたしましょうか?まあ、もっとも、これ以上ぐずぐずするようなら勝手に日取りを決めると申しておりましたがね。ちなみにその際の拒否権は主上にはないとのことですよ。そのくらい、みな楽しみにしているのです」
もちろん私もですが、と続ける浩瀚に、陽子はぱちぱちっと二回ほどまばたきをすると、やっと目元を緩めたのであった。
あとがき 壱草 楓 さま
2009/04/07(Tue) 23:38 No.177
寒さが続いている間に投稿したかったのですが、ここに投稿しても迷惑じゃない長さに
まとめるのに苦労していました。
おかげでいろいろと言いたいことをかなり削ったので、二人の間の微妙な心のやり取りが
伝わったかどうか心配です…