先 客
作 ・ griffonさま
2009/04/26(Sun) 23:12 No.257
―― 主上……主上……
陽子の執務室に入ってみると、部屋の主の姿は見当たらない。変わりに、園林へと続く玻璃の入った華奢な意匠の大きな扉が開け放たれ、遠くから女性の声が微かに聞こえていた。
持って来た書面の束を、陽子の方卓の上の「午前の部」とも言える書面達とは区別して置いた浩瀚は、その大扉をくぐった。姿は見えないが、数人の女史か女御であろう声がしているようだ。
―― 本日は。確か祥瓊は御物の整理に行っているはず。それでか
髪を振り乱した女史が一人、駆け戻ってきた。浩瀚の姿を認めると、素早く髪を押さえて、優雅に礼を取った。
「由旬……だったな。どうした」
本日付で、陽子付きとして配属されたばかりのその女史は、名を呼ばれて息を呑み、ぼぅっと浩瀚の顔を眺めている。
「主上がどうかされたかな」
再び促され、漸く我に返ったその女史は、走って戻ったためか、それとも面識などあろうはずのない高位の官に名を呼ばれたためなのか、上気した顔を両袖で覆うようにして拱手した。
「その……少し御休憩を御取りになると申されまして、園林にお出ましに。そのまま二刻たっても御戻りになりません」
「そうか。私が探して参る故、園林に出ている女史や女御達には、戻って待つように伝えよ」
笑みを浮かべた浩瀚は、心当たりはあるからと行って、拱手したままの女史を残して奥へと歩き始めた。
はたして、浩瀚が想像した場所に陽子は居た。園林を流れる小川に設えた土手のような場所に、桜の並木があった。その桜並木の中に一本目立つ桜があった。南側の土手の斜面を這い登るように幹が伸びていて、他の桜が真直ぐに立っているのに対し、この古木は小川を覗き込むように立っていた。その根元が陽子のお気に入りなのだ。今日のように風もなく雲もほとんどない桜の季節には、その古木に凭れて日向ぼっこを楽しむのを、浩瀚は何度か見かけていた。
―― やはり
浩瀚は、足音を忍ばせて古木の根元に近づいた。ちょうど良い角度で斜めになった幹に体を預けて、陽子の右半身が見えていた。声をかけようと、浩瀚が片膝をついた時、その視界のすみから黄色いものがひらひらと舞って出た。それは陽子の右肩に乗ると、ゆっくりと何度か羽ばたいた後、羽を閉じて動かなくなった。小さな蝶だ。左手を伸ばしかけていた浩瀚は、このまま手を伸ばしては、その小さな先客が飛び去ってしまうのではと暫く躊躇った後に陽子の左隣に足を投げ出すようにして座った。上半身を桜の幹に預けると、誂えた臥牀のように身体が包み込まれ、暖かな日差しを受けると体中が暖かくなった。思わず浩瀚は溜息を漏らした後に、大口を開いて欠伸をした。両腕を上に伸ばして伸びをすると、首を伸ばすように左へ傾げる。右へ傾げた後に前に倒し、体中の力を抜いて再び桜の幹に凭れかかった。
半身になっていた陽子の額に垂れかかった前髪の一房を、浩瀚はふと弄んでみた。喉の奥から漏れるような小さな呻き声がして、陽子が身体を揺すった。右肩に止まっていた黄色の蝶が飛び去ってしまった。無意識のまま右手を伸ばした陽子は、桜の幹から身体を離し、浩瀚に凭れかかる。右手は浩瀚の腰に回され、胸のすぐ下の辺りに陽子の頭が載せられた。
載せられた陽子の紅髪を撫でてやりながら浩瀚は、とろとろとした春の暖かい日差しを避けるように目を閉じてしまった。
―― 主上……主上……
浩瀚の意識の遠くの方で、先ほどの女史が陽子を探している声がしていた。
―― 私が探して参ると言い置いたはずなのに
そう浩瀚が思った時、近くで草を踏む音がした。あっと言う小さな悲鳴があり、暫くあって慌てて立ち去る音がした。
左目を薄く開けて、土手の上を振り仰いでみると、先ほど見た襦裙が蝶の羽のように揺れながら去っていくところだった。ゆっくりと浩瀚の意識が眠りから戻ってくる。胸の辺りにあった陽子の頭の重みがない。横たわった浩瀚のちょうど足の付け根の辺りに、うつ伏せるように紅髪の固まりがあった。両腕は浩瀚の腰に回されていた。
―― これは少しマズい態勢かもしれない……な……由旬とか言ったか、あの女史。いらぬ事を上司に喋らねば良いのだが……
浩瀚の危惧は、今まさに履行されようとしていた。陽子の執務室に駆け戻った新米の女史を、御物庫から戻った祥瓊が呼び止めたところだった。
―了?―
しまった・・・ griffonさま
2009/04/27(Mon) 00:10 No.260
連鎖なんだから、ちゃんと由旬様のイラストにくっつけとかないと・・・
申し訳ないことです<(_ _)>
そのうえ、女史の名前がどうしても思いつかなかったので、勝手に由旬様の御名を使って
しまいました、かさねてお詫び申し上げます<(_ _)>