望 春
作 ・ griffonさま
2010/03/25(Thu) 21:44 No.177
東西に一直線に伸びた、二棟の校舎がある。
正門を抜けると前庭があり、真ん中には4〜5m程の盛り土がされていて、芝生が覆っていた。校舎へと向かう道路はその盛り土を巡るようにある。盛り土の上には大きな枝垂桜があり、微風に乗って花弁がちらちらと舞っていた。
学校の南側は、かなり高い塀が続き、その上には更にネットが高く聳えている。南東の角にはバッティングゲージがあった。その塀に沿う様に、等間隔で桜が植えられていて、こちらも少し早めの盛りを迎えていた。
今年は入学式には既に散ってしまっているだろう。今日はこの学校の終業式の日だ。
運動場と校庭を兼ねた広いスペースがあり、校舎側にはポプラが同じように等間隔で植えられていた。南側の校舎、中庭、北側の校舎と続き、東側には正門が、西側には裏門があった。裏門の手前には体育館があり、そこでは今、終業式が行なわれていた。前日の卒業式の喧騒とは違い、微かに年配の男性の声が静かに聞こえていた。内容までは判らないが、校長先生の訓示と言う雰囲気の音色だ。
西側の塀は、人の背丈ほどの高さで続き、こちらもやはり桜が植えられていた。花弁の色合いが少し赤みが強いところを見ると、南側の桜とは種類が違うようだ。
裏門を通り過ぎ、北側の校舎と塀の間は通路と言うほどのスペースだ。ここにもやはり桜が植えられていて、だがやはり北側だけに校舎で日の光が遮られるためだろうか、まだ満開と言うほどではない。桜は南側のものと同じ種類のようだった。
真ん中よりすこし西よりのあたりに、まったく花のない桜が一本あった。ゴツゴツとしたその幹はやせた老人の腕のようだ。枝には花芽すら見当たらない。
その桜の下に、誰かが立っていた。
淡く黄色の入ったグレーのコートを着ていて、フードを深く被っていた。何をするでもなく、塀と花のない桜の間に立ち、自分の左手にはめたウールの手袋の指先を顔の辺りにもってきてじっとしていた。フードの先が深く被っているため、顔は見えない。華奢な身体つきからすると、生徒のようだ。
肩が緩やかに大きく動き、息を吸い込むと、微かに音をたてて口から息を吐き出した。力無い長い溜息だった。フードを払うと、短く刈り上げた黒髪が見えた。大きな目が目立つ端整な顔立ちだが、その目遠くを見ているようで、目の前の桜の木には焦点が合っていないようだ。
ちょうど、彼の目の前に、細い枝が垂れ下がっていた。彼はふと右手をその枝に添わせた。枝先に小さな硬い芽があり、その先が淡くピンクに色づいていた。目の前の桜の木の、枝先の隅々まで首を巡らせて確かめてみた。花芽があるのはどうやらこの一枝だけのようだった。憂いだけを湛えた目を少し細めて、再び彼は花芽に手を添えた。ほんの僅かだが、左の口角が上がったように見えた。
その時、彼の背後から白く細い左腕だけがぼんやりと浮かび、彼の肩を包むようにすると、滲む様に消えた。
―了―