金波宮でお茶しよう! 〜青春はツライよ編
饒筆さま
2011/04/13(Wed) 11:40 No.429
楽俊は幸せだった。
晴れ渡る空。柔らかな風に揺れる満開の桜。そして花より綺麗な陽子。
「楽俊、今年も駆けつけてくれてありがとう。休暇とるの、大変だったんじゃないか?」
「いや私――おいらは大丈夫だ。陽子が一番楽しみにしている日だから、おいらも一緒に楽しみたいんだ」
陽子が笑う。その笑顔が眩しくて嬉しくて、楽俊も目を細めて笑う。陽子は本当に快活に笑うようになった。
――うまくいっているんだな。
まだ「親友」の枠から踏み出せないが、それでも親友として、一人の恋する男として、彼女の幸せを切に願う。
――どうか、今このときが永遠に続きますように。
陽子も幸せだった。
降り注ぐ陽光にツヤツヤ輝くいなり寿司。サクサクの唐揚げに、こってり肉団子・・・ああ大好物(主に肉)を満載した重箱(しかも七段!)。そして花より甘〜い桜餅。
「いっただっきま〜す!」
「陽子は花より団子だなあ」
楽俊が笑う。陽子もエヘヘと笑って誤魔化す。彼は最近専ら人型をとるようになった。穏やかで知的な笑顔は好ましい。でも、やっぱり「ふわふわ」「ほたほた」「ふっくり」が無いと淋しいのは私だけだろうか。
最初は、雁で秋官としてコキ使われていると聞いて心配したけれど、思ったより、痩せこけたり意味不明な呪文を唱えたりしていなくて良かった。
――朱衡さんは、浩瀚みたいに人使いが荒くないんだろうな。
それにもちろん、楽俊は英才だし。陽子は友として誇りに思う。こんなに優しくて穏やかで仕事もデキるなんて最高じゃないか。仕事は誰よりデキるけど、人柄と態度に問題がある誰かさんとは大違い。
天むすを頬張りながら、金波宮で執務中の右腕を思う。
――あいつ、私の留守中に、絶対なにか企んでいるぞ。
桜雲の向こうの凌雲山が、ふてぶてしく笑っていた。
しかし。
これは全人類が避けられない不幸であるが――幸せな時間は長く続かないのだ。
日が暮れるより前に、陽子は「仕事があるから」と重箱を片づけ始めた。
鈴も予定があると言う。
(夕暉に、今夜内緒で会いたいって言われたんだけど・・・何の用かしら?)
祥瓊もふくれ面で「帰らなきゃ」と言う。
(ずっと前から約束していたのに・・・あの馬鹿熊! 結局スッポかしたのよ! ひと言言ってやらないと気が済まないわ)
「花」たちがそう言うのだから、今年の花見はお終いだ。
楽俊と虎ショウは顔を見合わせ、腰を上げた。
――名残惜しいよなあ・・・。
未練たらしく桜を見ながら敷物を畳んでいたら、陽子が声をかけてくれた。
「ねえ楽俊、ウチに寄っていかない?」
一瞬ドキッとする。女性が男性を家に誘うなんて・・・いや、相手は陽子だ。常人ではない。
「ウチって・・・金波宮のことか?」
陽子が肩を竦め、凌雲山を親指で指す。
「仕方無いよ。アレが私の家だもん。ねえ楽俊、飲んで騒いでこのままトンボ帰りは辛いだろう? お茶くらい飲んで行きなよ」
やっぱり。男女の機微に疎い陽子のこと、他意なんかカケラも無かった。
それでも、あともう少し幸せの余韻を噛みしめたくて、楽俊は頷いた。
「じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔しようかな」
後に、滂沱の涙と共に、この選択を後悔することも知らないで。
カポン! 猪脅しが気まずい沈黙を破る。
・・・なぜ常世にシシオドシがあるのか、とか、そもそも宮中に猪なんかいるのかといった疑問はさておき、楽俊は雅な路亭で見えない尻尾を逆立てて緊張していた。
――そうだよな、まさか、陽子と二人きりでお茶ができる訳がないよな。
真正面には冷たい美貌の麒麟が一匹。(匹でいいのか?) 普段と変わらぬ無表情なのだが、どうも目に険がある。歓迎されていないようだ。
陽子も不機嫌に半身を見遣る。
「景麒。おまえは今日も絶好調の仏頂面だな。せっかく楽俊と楽しくお茶しようと思ったのに、台無しじゃないか」
「主上はそれほど私をお厭いか」
「ええ?」
陽子がぞんざいに聞く。景麒がぼそぼそ答える。
「班渠や驃騎は花見に誘われましたのに、私は留守を命じられましたので」
「だって! おまえが居ると、肉を思う存分食うことができないじゃないか!」
そんな理由で遠ざけられる台輔って・・・楽俊は気の毒に思った。
「・・・私も主上と桜を愛でとうございました」
あ。完全に拗ねている。
「少しくらいの死臭や穢れならガマンいたしますのに」
死臭って・・・まあ確かに家畜を殺して料理しているのだが。
「さらにお戻りになった後も、一杯の茶をお供することさえお許しにならない」
景麒の目尻が光る。
楽俊は居た堪れなくなって声をあげた。
「陽子!」
「わかったわかった! いいよ、景麒、一緒にお茶しよう」
「ありがとうございます」
一礼した途端、麒麟の涙は跡形もなく消えていた。
ええーっ! ウソ泣きーっ?!
「それにしても」
あっさり普段どおりに戻った景麒が、名物の溜め息をつく。
「これ以上“残酷”なことはなさらないでください」
「ザンコク? これはただの干果だぞ」
「いえ、食べ物ではなく。明らかに自分に“好意”を抱いている者をお側に侍らせながら、見返りを与えないばかりか、その気持ちにも気づいてやらない。それを“残酷”と申し上げているのです」
「はあ? 何の話だ?」
そ、それはおいらの話ではないか? 楽俊は慌てて会話に割って入ろうとしたが、舌戦の火蓋は既に落ちていた。
「つまり主上は鈍感なのです」
「おまえに言われたくない! おまえだって、他人の気持ちなんかサッパリわかってないだろう?」
「いいえ。私には解っています。相手の気持ちは解りますが、どう対処して良いのかがわからないだけです!」
景麒が胸を張った。いや、ソコは決して威張るトコロではない。
「結果は一緒だ!」
ますますエスカレートする口論に楽俊が頭を抱えたとき、
「まあまあ主上。ご客人の前ですから」
落ち着き払った声が二人を黙らせた。
驚いて戸口を見ると、高位の官服を纏った男が優雅に拱手している。
「浩瀚が参りました。先触れの声が届かないようでしたので、そのまま失礼致しております」
「また余計な奴がやって来た・・・」
陽子が忌々しげにつぶやく。「何の用だ?」
そんなに邪険にしなくてもよいのに。楽俊は礼を返しながら気を揉む。陽子は本当に周囲とうまくいっているのだろうか。
しかし浩瀚は逆に気遣いを見せて微笑んだ。おおデキる大人は違うなあ。
「勿論主上のご機嫌を伺いに・・・しかし、お邪魔でしたら、楽俊殿に依頼した荷をいただいて下がります」
「楽俊に?」
わわ! そのためにわざわざご足労下さったのか!
楽俊は慌てて行李から数冊の書物を取り出した。浩瀚へ差し出す。
「遅くなり申し訳ございません。大司寇よりお預かりした書でございます。後ほど持参するつもりでございました」
「いえ、詫びなど要りません。楽しみにしていたので、待ち切れずに参った次第です。楽俊殿、こちらこそ礼を述べなくてはなりますまい」
慶東国の冢宰閣下は、おいらにも丁寧に接してくださる。やはりお人ができているんだなあ。
楽俊が感嘆している横で、陽子はあからさまに胡乱な眼を向けた。
――客の前だからってイイ顔しやがって。余計に怪しいっつーの。
浩瀚が手にした書に注目すると、なんと蓬莱の文字が印刷されている。
「経済原論? 金融論・・・それは何だ?」
「はい。雁国には面白い制度がございます。株式・公社債やその市場、先物取引、投資信託など・・・いつか慶にも取り入れてみたいと考えているのですが、その本質を理解しないで小手先だけ真似をしても無為に終わるでしょう。その旨を朱衡殿にご相談したら、こちらの書を貸していただけることになりまして」
翻訳版もあったろうに、蓬莱語の原本と蓬莱語辞典――間違いなく嫌がらせだ。書の内容を知らされていなかった楽俊は冷や汗をかいた。
「中身、見せて」
さすがは陽子。一瞬で王の顔になっている。そのひと言で、二人の臣がサッと動いた。
景麒が茶杯と菓子盆を退け、卓上を空ける。浩瀚が違うことなく本論の初頁を開き、空いた卓に載せる。そして三人で覗き込む。その間、零コンマ五秒。
――凄いチームワークだ・・・。
口ではなんだかんだ言っていても、慶国は安泰だ。だが、それよりも。
――近い。近いよ、顔が・・・。
ほんの少しよろめいただけで、互いの頬が触れそうだ。
何となく面白くない。楽俊はもうひとつ隠し持っているお届けもの(おそらくこの場に波紋を起こすだろう)の提示タイミングを図った。
ほどなく、陽子がプハッと息を吐き、背凭れに仰け反った。
「ダメだ! 文字は読めるが内容はいまひとつ解らない。浩瀚、おまえ、これが読めるか?」
「時間はかかるかもしれませんが、じっくり取り組みましょう。蓬莱語の読み書きは、主上に“手取り足取り”教えていただきましたから」
て、手取り足取り? 陽子が冢宰の手を取って、親しげに手習いしている絵が浮かぶ。
「なんだよ、その嫌味な言い方。迷惑だったと言いたいのか?」
「いいえ、滅相もございません。心より感謝いたしておりますよ。その証に、蓬莱語で恋文まで差し上げたではありませんか」
恋文?!
陽子が動揺して赤くなり、楽俊は動転して青ざめる。
「あ、あれはただの宿題だ!」
宿題?!
視界の隅で景麒が小さく頷いた。しかし楽俊の目は、赤面して常になく可愛い陽子に釘付けだ。
「おまえがあっという間に憶えたから、(悔しくて)手紙を書いてみろって言っただけだろう!」
「お言葉ですが、主上はそのお話の前に愚痴っておられました。祥瓊や鈴には付け文が届くのに、私には一通も来ない、と。その流れで手紙をご所望でしたので、てっきり恋文をしたためれば良いものと考えた次第でございますが」
「その話と宿題の話は繋がっていなかったんだ! 別に、おまえのなんか要らない!」
陽子がぷいっと横を向く。もう耳まで赤い。
陽子お・・・もしかして、陽子は・・・。
楽俊が絶望の一歩手前に追い込まれる。景麒が同情の視線を送った。
実は、陽子宛の一方的な私信をことごとく破棄しているのはこの半身だし、彼もまた陽子の生徒として宿題を提出している。この上なく美しい紙にたった一行、「一応、好きです」と。(一応って何だ?! 一応って!!) だが、景麒も浩瀚も、全てを明かすほどお人好しではない。(もはや仁獣でもない)
ヤケっぱちな気分で、楽俊が勝負に出た。
「あの・・・お話し中にすみませんが」
「あ。ごめん楽俊。忘れてた」
親友を忘れるなよ、陽子お〜!!
「実は書庫にてそちらの書を受け取る際に、女性の司書から閣下宛てにお預かりしたものがありまして」
楽俊が、滑らかな紫絹で包まれた贈り物を手渡す。浩瀚は怪訝そうに受け取る。包みを解くと、現れたのは黒檀の箱。そして中には、銀製の粋な煙管と煙草入れ。添え文は短い。
――お噂はいつも届いておりますのに、一度も姿を見せては下さらないのですね。
「困りましたね」
さらりと流して箱を閉める浩瀚に、陽子がかみついた。
「ほお〜さすがだな、色男。雁まで行って、たらし込んできたか」
「まさか。違いますよ。彼女は古い知己です。これは彼女らしい冗談です」
「冗談で煙管なんか贈るか! おまえ、人前では絶対にタバコ吸わないじゃないか。なんでその彼女が、おまえが喫煙家(すもーかー)だってこと知っているんだ?」
じゃあ、どうして陽子は知っているんだ?
「喫煙家どうしは何となくわかるものです。まあ、『私もソレやってみたい』と無理矢理煙管を取り上げた挙句、派手にむせ返って転げ回った御方にはわからないと存じますが」
「それをここでバラす必要はないだろう!!」
ダメだ、不発だ・・・楽俊はがっくり肩を落とした。二人はそこまで親密なんだ。
陽子と冢宰閣下はまだ言い争っているが、もう痴話喧嘩を見せつけられているとしか思えない。
一筋の救いを求めて景台輔を振り返ったが、陽子の半身もゆっくりと首を左右に振った。
打つ手無し。
ああああこんなことなら、もっと早く告白しておけば良かったああああ!!
不意に、浩瀚と目が合った。切れ長の目尻がフッと緩む。
――“オトモダチ”は、そこで黙ってみていなさい。
はっきりと。打ちのめすように。己の敗北を宣告される。
楽俊は小刻みに震えながら目を逸らし、茶杯を取って一気に呷った。
茶の味なんかわからなかった。
北に向かって真っ直ぐに飛び去る騎影を見送り、陽子は少し心配になった。
「なあ浩瀚、楽俊はなんかすごく疲れた顔をしていたよなあ。大丈夫かな?」
「おそらく、帰国後に待つ仕事の量を考えて憂鬱になったのでしょう」
「そうか・・・あまり毎年無理に誘うのも申し訳ないなあ。来年は遠慮しようか」
「そうかもしれませんね」
物凄くモノ言いたげな麒麟を放置し、陽子が踵を返す。
「さて。私も机上で待っているひと山をこなしに行くか」
「残念なお知らせですが、今日はふた山あります」
「なんで?! 昨日だいぶ片づけたハズだぞ」
「範国との通商協約の件、ご自分で仕切るとおっしゃいましたよね」
「ウッ・・・確かに言ったな。わかった、説明を聞こう」
深みを増した空には、もう気の早い星が輝いている。
きっと今夜は二人(と一匹)で深夜まで残業だ。
そして善良な青年の慟哭は、星の静寂(しじま)に消えていった。
頑張れ、楽俊! めげるな、楽俊! 草食男子は返上だ!!
<じ・えんど>