殿の、実にシアワセな花見
饒筆さま
2013/03/14(Thu) 23:02 No.20
ずるい。
最初に思いついた言葉がそれだった。
ずるい。――そこにいるだけで絵になるなんて、ずるい。
抜けるような青空に、薄紅の雲霞をかける満開の桜。今を盛りと誇らしげに揺れるその下に、ごろりと横たわる美丈夫。彼がいるだけで世界が変わる。まだ若く、華やかとは言い難い桜園に、春陽の温もりが溢れ、薫風が爽やかに通い、そして大地より萌えいずる力が鮮やかに満ちてくる。
ただ背を向けて寝転んでいるだけなのに。
ぶう、とむくれた気配に気づいたのか、逞しい肩越しに不敵な横顔が現れる。闊達だが底力のある視線に射抜かれて、心臓が跳ね上がった。
「陽子か。邪魔しているぞ」
隣の超大国を創り上げた王は、くい、と朱杯を干し、横になったまま無精に反転してこちらを向く。
「……せめて事前に一言、来ると伝えてください」
いつも突然なので困ります、と陽子が小言を挟めば、
「それができるならな」
延は鷹揚に受け流し、朱塗りの銚子を掲げてみせた。
「そんなところで突っ立っていないで、一杯どうだ」
片目を瞑られて、陽子はますます表情を固くする。
「遠慮します。また執務に戻りますから」
そして澄ましたふりをして、半身離れた場所へ腰を下ろした――落ち着かない。お尻がそわそわする。彷徨う瞳を桜へ逃がす。
ああ、あの淡く可憐な花びらは、麗らかな陽の中であんなに穏やかに輝いているのに。私はとても穏やかではいられない。
そんな内心を知ってか知らずか、暢気な世間話が続く。
「最近、気の利く者が増えたな。大騒ぎせずにここまで案内されたし酒も出た」
声が近い。背筋が伸びる。
「……ご自宅より寛いでいますよね」
「ああ。尻を叩かれずに済むからな」
くつくつ。喉を鳴らして悦に入る声が耳に入り、陽子の目尻が険を帯びた。何故か、からかわれている気がする。
あらぬ方を向き、ぶっきらぼうに訊く。
「で。今回の御用件は何ですか?」
「わからんか?」
血が昇り、頬が上気するのを懸命に堪える。
「わかりません」
ついに陽子は、フンッと鼻を鳴らして完全に背を向けた。
「なんだ」
衣擦れ。起き上がる気配。触れるか触れないかの距離に迫る、広く温かな胸。酒精の香る息を感じて、ひゃっと肩を竦める。
「過年、うちのをくれてやるから、金波宮に桜園を造ったらどうだと勧めたろう?」
頬が熱い。耳朶も熱い。耳元で囁くはやめて欲しい。
「……そうですね、確かに伺いましたが」
「そのとき、理由を問うおまえに告げたはずだ――春は花、青葉に実が為り、秋は紅葉。桜園が在れば、俺が通う口実ができるから、と。それを聞いておまえは桜園を造った。色良い返事を貰ったと思ったのだが」
男の温もりが、唇が迫る――もう限界だ!
「わ、私は!!」
咄嗟に跳び逃げ、くるりと身を翻して延を睨みつける。
「単に、タダでいただけると聞いたから、貰っただけです!!そして花見をしたくて植えただけで!!」
汗をかくほど赤面した自分が恥ずかし過ぎる。口には出せなくて、胸中で叫ぶ。
――勘違いするな、ばかあ!
ぶっ。延が吹き出し、大きな手で己の口を押さえた。頼もしい肩を震わせて笑う。(くっくっくっく)
「笑わないでくださいッ!」
ムキになって叫べば、実に愉快気な目と目が合って、未だ笑いが収まらぬ延が両手を上げた。(わかったわかった、降参だ)
「そんな顔をするな。せっかく、眺めるだけで満足してやっているのに――」
す、と掌を返すように笑みが消える。
「手折りたくなるではないか」
えええ?
真意がわからぬまま、陽子はタジタジ尻込みする(野生の勘)。
しかし延はまた、込み上げる笑いを噛み殺しつつ、自堕落に寝そべってしまった。次いで、敷物の上をぽんぽんと叩く。
「せっかくの好天だ。そんなにしたいのなら、『花見』を満喫してゆけ。勿体無いぞ。ほら、ここへ戻れ。この樹が一番だ」
そ知らぬ顔で手酌を始めたのを見て――陽子はおずおずと敷布へ戻った。今度はきっちり身ふたつ分以上空けて座る(油断ならない)。
それから咲き誇る桜花を見上げたが。なんだか隣から押し寄せる秋波が気になって気になって、花見どころではない。 我慢ならずに声を荒げる。
「もう!こっちばかり見つめないでくださいよ!」
「なぜだ? 花見なのに『花』を愛でてはならんのか?」
「花はあっちでしょう?!」
「目が離せぬほど綺麗だぞ」
真顔で放たれた一言に陽子が撃沈し――延の高らかな笑い声が、雲ひとつない空へ響き渡った。
……実に楽しそうですね、殿……。
<了>