桜餅の
輪舞曲
翠玉さま
2013/04/27(Sat) 19:59 No.375
慶東国王赤子は八重桜の下で木からこぼれ落ちた花を両手で拾い集めた。
その姿は慈愛に満ちた清らかな花の精さながらであった。
金波宮に集い、露台の上で歓談していた来訪者達は彼女に目を留めると「ほう」と溜息をついた。
「これは絵師に留めさせておきたいのう・・・」
氾王はそう言うと、桜の花が沈められている茶を優雅に飲んだ。
この言葉に延王は鼻を鳴らして、露台の欄杆に手をかけて身を乗り出した。
「陽子、そなたにも女らしい処はあったのだな」
そう言うと、景王は顔を上げて輝くような笑みを浮かべた。
「ああ、この花が桜餅の様で美味しそうだと思っていたのです」
その姿に合わぬ弾む声に来賓は目を見開き、慶国の官吏達はがっくりと頭を垂れた。ただひとり、ほっと胸をなで下ろす冢宰を除いて・・・
「主上、来賓の前でそのような、はしたないことを言わないで頂きたい」
主に駆け寄り、抑えた声で言う己の半身に景王は口を尖らせて両手を持ち上げた。
「ほら、お前だって美味しそうだと思うだろう?」
見上げて言う己の主に慶国台輔は頭を抱えた。
「美しいとは思いますが、わたしには主上のように食べ物には見えません」
「桜餅とはこのように美しく、美味しいものなのですね?」
いつの間にか近づいた慶国冢宰は主に拱手をして問いかけた。
「さすが浩瀚、話がわかるな」
主の言葉に慶国の台輔は冢宰を睨めつけた。
「冢宰、そなたは主上に甘過ぎる!」
台輔の剣幕に冢宰は深く拱手をした。
「申し訳ございません。しかし、他の皆様も気になるのではございませんでしょうか?」
冢宰の言葉に台輔は僅かに身を引いた。
「食べたいか、陽子」
この言葉に「はい」と即答して、振り向くと延王は口の端を上げていた。
「あ、今すぐというわけではありません!」
打ち消す景王の言葉を無視して延王は己の半身を振り向いた。
「六太、今から持ってこい!」
この言葉に延台輔は「ほいよっ」と背心を放ると転変して彼方に消えてしまった。
「梨雪、小猿に負けるでないぞ」
と氾王が言うと氾台輔は「はい」と微笑んで、廉台輔に呉剛環蛇を出してもらうと、蠱蛻衫を纏って呉剛環蛇の白い蛇が描く光の輪の中に消えていった。
そして、景王が呆然と立ち尽くしている間に傍らにいたはずの冢宰も消えていた。
「景麒、わたしが悪かった・・・」
景王の傍らにいる景台輔は深い深い溜息をついた。
慶国冢宰は膳部に駆けつけていた。そこには胎果であらせられる主上のために集められた海客の膳夫(まかない)がいた。
「桜餅なるものを作れるか?」
六官の長である冢宰が直々に乗り込んできたことに従来からいた膳夫は恐縮していたが、海客の膳夫は元が倭国の出身でもあった為、怖じ気づくことなく一礼をした。
「桜餅は二種類あるのですが、どちらに致しましょうか?」
この膳夫の言葉に冢宰は片眉を上げた。
「二種類、だと・・・」
一刻ほど経って、最初に桜餅を持ち帰ってきたのは延台輔だった。彼は常世の者にとっては貧弱な布の少ない、それでいて多彩な布や飾りのついた蓬莱風の衣裳で片手に皿を掲げてやってきた。そして、景王の前に差し出しして「お待たせ致しました景王君」とかしこまって空いている方の手を胸に当て、軽く頭を下げた。
その皿の上には桜の葉と桜色の餅にくるまれた菓子が二つ置かれていた。
「ありがとう、六太君」
皿を受け取って礼を言うと、延王が近寄ってきてそれを覗き込んだ。
「ほう、椿餅のように葉でくるんであるのか。美味そうだな、さっさと食え!」
景王が一つ取り上げて食べると、延王も残りの一つを取り上げて口に放った。
「懐かしい味がします。延王があちらにいた頃には桜餅はなかったのですか?」
「あるわけがあるまい。このような菓子は宴の時にしか饗されぬ。椿餅は道明寺を蒸して丸めた白い餅だったがな」
「あ、それを桜色に染めて桜の葉で包んだものもあるのです」
「え、本当か!」
延台輔が叫ぶと、後ろにいつの間にか氾台輔が竹の皮で包まれたものを手にして戻っていた。
「莫迦ね、六太。陽子が手にしていた花に相応しいのはこちらの方よ」
氾台輔は景王に近づき、包みを開いて差し出した。そこには鮮やかな桜色の餅が桜の葉にくるまれた菓子が二つ並んでいた。
「ありがとうございます、氾台輔。六太君が持ってきてくれた桜餅は長命寺と言って、こちらは道明寺と言います。わたしはどちらも好きです」
そう言うと道明寺を一つ取り、近づいてきていた氾王にもう一つを差し出して二人で食べた。
「これは何とも心が落ち着く香りじゃ、桜を見て食したくなる気持ちもわかるの」
「はい、わかって頂けて嬉しいです」
輝く笑みを浮かべる景王を余所に、慶国の冢宰は「間に合わなかったか・・・」と天に向かって嘆息した。
膳部が桜餅を作るには二刻を要した。完成した長命寺と道明寺は皿に盛られて賓客に饗された。
「これなら俺たちが蓬莱から桜餅を買って来る必要はなかったじゃん!」
延台輔は蓬莱の服を着たまま道明寺を食べてそうぼやいたが、氾台輔は澄まして長命寺を頬張っていた。
「あら、慶国の冢宰に勝ったことに意味があるのよ!」
そう氾台輔が言うと景王は目を見張った。
「これって、そんな勝負だったのですか?」
この景王の言葉に皆は声を上げて笑った。
なお、後日には金波宮中で桜餅が普通に食されるようになったのは言うまでもない。
−了−