桜下のふたり<泰主従バージョン>
饒筆さま
2014/05/09(Fri) 20:28 No.626
Dひたすらカッコイイ:泰国主従(良かったね要クン)
早くも満開を迎えた桜に急かされて、急遽、二人きりで慎ましやかな花見の席を設けたものの――空は真白い花曇り、挙句に冷たい風まで吹いてきた。
ざああ……っ!
泰麒の記憶より温かな色、そして大ぶりの桜花たちが、互いの花弁を打ち鳴らすように揺れる。
泰麒は顔を上げ、息を詰めてその様を見つめていた。次にふと傍らの主を省み、さらに寄って毛織の掛布を差し出す。
「驍宗様、これを」
かつては武勇で名を轟かせ、今は賢治で讃えられる王はふ、と息を吐き、頼もしく笑い返してくれた。
「ありがとう。気遣いは無用だ――と言いたいが、この気温では掛けておいた方が良かろうな」
遠征用の折り畳み床几に腰掛ける驍宗の左足は義足。衣に隠れた腿から左腕にかけてはまるで大蛇が這ったような禍々しい痣と痛みが残り、常に杖を手放せない。あまりに冷えると動けなくなる時さえある。その原因は神の身を蝕むほど強烈な呪いを受けたためだが、残念ながらそれはいつまで経っても解ける兆しさえ見せなかった――否。
泰麒は掛布を広げながら、かつてと変わらず勇壮な尊顔を見上げる。
――きっと驍宗様には、この呪いを解くおつもりはないのだ。
胸が締めつけられる。
そう。決して言葉にはなさらなくても、今の僕にはわかる。あの頃とは違って、ちゃんと主の背を見守ることができるから。
泰麒に向けた慈父の笑顔は、すっと前を向くだけで消えた。鋭く力強い対の赤眼が、緩くうねりながら広がる緑の沃野を見渡す。それから驍宗は己の左腿を押さえつけ、ぐっと天を仰いだ。
「阿選よ、見ろ。おまえが焼いた野に花が咲いたぞ」
主の声は誇らしげだ。頭上で群れ咲く山桜も、その声に応えるように胸を張る。
だが、引き結んだ口元に驕りは無い。
そして痛いほど真摯な眼差しが花枝を透かし、淡い蒼穹を貫く。
「おまえが見失った夢は俺が叶える。だから其処で嗤って見ていろ」
泰麒は身を震わせた。
――盟友、宿敵、裏切り者……阿選は悪行を重ね、戴と主上を死の淵まで追い詰めたというのに。主上にとってあの者は、今でもそれほどに大切な存在なのですか……?
まさに悪鬼と化した盟友の罠から、驍宗は逃げなかった。目を逸らさず、正面で受けて立ち、有形無形の叫びに耳を傾け続けた。ついに打ち倒した後も非難を口にせず、全ての責を負った。その身に残る呪詛もそのひとつ。
ああ。なんという器の大きさ。なんという強さだろう。
濃紫の瞳が潤み、揺れる。堪えきれずに俯けば、ずいぶん伸びた鋼色の髪がさらりと落ちる。
泰麒は考えるより前に痩身を擦り寄せ、冷えた指でそっと主の右腕を取った。
「どうした?」
主の問いに、泰麒は下を向いたまま、ふるふると頭を振る。
「また泣いているのか、蒿里」
がっしりした温かい掌が、泰麒の手の上に重なった。
「……そろそろ自分を許せ」
深みを増した穏やかな口調に怖れを感じることなどなくなった――代わりに。
泰麒は目尻を拭いながら主を仰ぐ。
「……違います。これは嬉し涙です」
輝く双眸が驍宗を映す。
「震える程に嬉しいのです。主上と共に在る今が幸せで。――そして泣くほどに誇らしいのです。全てを赦し全てを引き受けた主上の、その歩みをお助けできることが」
「大袈裟だな」
ぽんと無造作に頭に置かれた手の重みで、泰麒はぽろぽろと涙を零した。そんな情けない泣き笑い面を眺め、驍宗は明るく破顔する。
「だが嬉しい言葉だ。私も蒿里には感謝している。だから泣くな。蒿里が泣くと、また私が泣かせたのだと李斎がうるさい」
主従は顔を見合わせ、かの女将軍が腰に手を当ててぷりぷり小言を垂れる様を想像して、ははは、と同時に笑った。泰麒は鼻をひとつ啜りあげてから言い返す。
「でも、李斎に詰め寄られている主上はとても愉しそうに見えますよ」
「なんだと。おまえも言うようになったな、蒿里」
再度沸いた笑い声が消えてから、泰麒はもう一度桜へ目を遣る。
「来年こそは宴の最後まで笑っていられると思います」
「そうか。期待せずに待つとしよう」
――だって、来年はもっと沢山の花が咲きますから。
広い草原にただ一本、ぽつんと咲いた桜樹の下で、泰麒は心から晴れやかな笑みを浮かべた。
<了>