ひとひら奇譚
ミツガラスさま
2014/05/18(Sun) 18:21 No.702
桜の花も既に散り、一斉に緑の若葉に衣替えしたそんな春の日、陽子はとある地方を視察していた。そこは未だ手付かずの原野であり、増えた人口を養う為の給田用開拓候補地だった。
達王の頃にはこの近辺にも小さな里がぽつりぽつりと存在していたが、その後の三代続いた女王の頃には全て消え失せ今では縁のある者もいないという。そんな奥地ではあるが、元の里を復活すれば居住地の確保も容易の上、増加する巧からの荒民対策に原野開拓を斡旋すれば多くの人間が職につけるだろう。
陽子がこの地を最有力候補地へと心積もりした時、目の前にひらりと白い花びらが舞い、陽子はそれを思わず手の平で受け止めた。
(…桜?)
陽子は手の中の白く輝く五弁の花をじっと見つめた後、ぐるりと頭上を見回した。一体何処からと訝しむ程に新緑眩しい木々に囲まれ、景色には花の名残を匂わせる物は何一つ無い。
(うっかり散り落ちるのを忘れた花かな──)
そんな事も有るのだろうか、とこのやや時期外れの花弁へ微笑みかけた時、景色がぐらりと歪む感覚に囚われた。
「主上、そろそろ御帰還の刻限が…主上?主上!何方におわします?」
随行していた大司徒はつい先程まで前にいた筈の主の姿が忽然と消え、慌てふためき大声をあげた。周囲を警備していた虎賁氏らも全く気がつかなかった。皆が目を一瞬そらした僅かな隙に陽子はいなくなったのだ。
そして金波宮でも、留守を預かる景麒が王気に異変を感じ騒然としていた。
目眩にも似た感覚に一瞬目を瞑った陽子が次に目を開けた時、すぐ目の前で背の低い肥え太った男が満面の笑みを向けて居た。緑の景色は豪華絢爛な大広間へと変わり、ぞろぞろと陽子にくっ付いていた臣下達は一人も居ない。太った男は笑みをにぃと更に大きくさせた。
「ちわ〜、那羲(なぎ)と申します。あんさん景王さんやろ?ほんまよろしゅう〜」
いきなり現れた男の軽い調子に陽子は少し面食らうが、自分を景王と知っている事に警戒心も湧く。
「…何がどうなっているのか説明してもらいたい」
「いややわ〜、そんな怖い顔せんでもええや無いですか。今日は今年最後の桜が散った記念の祭りなんですわ。ほれ、あんさんが受け止めたでしょ?あれ受け止めた人間はここに招待する決まりですねん。まあ〜そうは言うても滅多に居りませんからね〜かれこれ三百年振りでっせ。今日は何時もより盛大にいきましょ!」
せわしなくペラペラと喋る男の会話に陽子は首を傾げる。
「…お前は普通の人間では無い様だが…何者だ?」
「まあまあ、細かい事はええや無いですか。折角お会い出来たこの機会を大事にしましょ。さあさあ、景王さんも一緒に座る座る」
あくまでも陽気に振る舞う那羲だが不自然さは否めない。安穏と男の言葉を受け入れるつもりはなかった。
「折角だが臣下達が心配して居るはずだ。すぐに帰してもらいたい」
「あきまへん、一旦始まったら終いまで居らんとあきまへんわ。ま、ま、偶にはええやないですか、ぱあ〜っといきましょ!」
「駄目だと言うならば無理矢理にでも帰してもらうが」
陽子はすらりと水禺刀を抜き切っ先を那羲へと向けた。那羲は大袈裟にひゃああ、と叫んで後ろへ下がるがその姿にもどこか余裕さえ感じられる。
「恐ろしわあ、短気は損気でっせえ。まあ、そんな心配やったらも一人招待いたしましょ、ほれ〜」
調子外れなダミ声と共に光が浮かんだかと思うと獣形の景麒が忽然と現れた。
「主上!御無事でございましたか!」
「景麒!…どうやら心配させたようだな」
景麒の焦り含んだ声とその姿から陽子は想像以上に動揺を与えたのだと気が付いた。
「…はい」
簡潔に景麒は応えたが、実の所突然王気が消えてしまうのでは、という程小さくなった瞬間に獣形へと姿を変え陽子が最後に居た場所へと文字通り飛んで来たのだ。
視察場所では案の定随行した官吏らが右往左往しており、現れた景麒に対し皆青ざめつつ伏礼をしこの失態を詫びた。王気はいまだこの辺りに微かに感じる。が、ここでは無い別の空間である様にも感じられた。だが其処へどうやって辿り着けば良いのか。強い焦燥と胸苦しさに脚が竦んだ瞬間、目の前が白く光りそして陽子の目の前へと辿り着いて居た。
「ほな、これでええでしょ。さあさあ、宴会の始まりといきましょか〜」
再会に安堵する主従を無視して那羲はパンパンと手を叩き宴の始まりを告げた。同時に銅鑼がけたたましく鳴り賑やかな音楽と共に薄布を纏った踊り子達が現れ、華やいだ空気へと場が変わる。戸惑う陽子達の前に膳を運ぶ小栗鼠程の小さな従者達に囲まれ座る様に促された。
「こいつらは一体何なんだ?」
未だ状況を把握しきれない陽子だが、景麒は小さく溜息をつくと観念した様に身体を横たえた。
「木霊や精霊です。あの男は地神の様です。ここは無難にやり過ごした方が懸命かと…」
「え、そんな生き物や神様もいるの?」
「天の眷属は私も詳しくは存じませんが、水には龍神が居り、地には地神がいるものです」
「はあ──…」
恐らく自分とはまた別の仕組みで神なのだろう、その那羲は早くも出来上がり始めたのか顔赤く踊り子相手に鼻の下を伸ばしている。陽子の周りには身体は人で顔が鳥の囀(さえずり)と呼ばれる精霊が酒をついでは呑むように囃し立て実に騒がしい。全く落ち着け無い陽子は獣形ながらも何時も通りにツンと無表情な景麒に助けを求めた。
「なあ、景麒も人型に戻って酌を受けてやってよ。私一人じゃ対応し切れない」
「裸で御前にはまかりかねます」
あ、そうだった…と口ごもる陽子の側でクスクスと小さな生き物達の笑い声が重なり合う。
「まあ、裸…はだか…ハダカですって…」
「麒麟の裸踊りよ…踊りよ…よ…」
「素敵…てき…き…」
ギロリと睨んだ景麒の眼光に囀や木霊達はきゃっと叫んで頸を引っ込める。
その囁きを聞き逃さなかった那羲は酔いの廻る身体でヨロヨロと陽子達の方へと歩を進めゲラゲラと笑い出した。
「あんさん、ハダカ踊り好きなんですか。ええですなあ〜わても大好きですわ。ほな、一丁やりましょか〜」
陽子達の返答など待つ気も有りはしないのだろう。那羲はさっと脱衣すると陽気に腹を振り出した。無論全て丸出しである。
ギョッとする陽子にお構いなく踊り子達も薄物を取り払い全裸で踊り始め、場はなんとも言えない熱気と混沌に包まれた。
早くこの狂宴が御開きにならないかと陽子はクラクラする頭を抑え耐えるしか無い。「貴女も踊りなさいませ」と止むことなく囃し立てる囀達の声は当然無視し続けた。
一体何刻程経ったのだろうか、漸く那羲は陽子達が全く楽しんで居ない事実に気が付き近寄って来る。
「どないしたんですか、気に入りまへんか?今までのお客さんやったら手叩いて大喜びやったんですけどなあ」
「…私は他人の裸に興味は無い」
答えるのも馬鹿馬鹿しいといった態度の陽子だが、那羲は肉に埋まった目を丸くさせ、ぽんと手を打った。
「そりゃあそうですわな、うら若き女王様相手に失礼いたしましたわ。久し振りのお客様なんでうっかりしとりましたわ。ほな、これならええでしょ」
胸を張ってほれ、と上げた掛け声と共にほわん、と煙があがり那羲は浩瀚の姿に変わった。だがその姿は勿論全裸のままで──
「…!!!」
かあっ、と瞬時に赤くなる陽子は咄嗟に目をそらして怒鳴り立てる。
「ど、どういうつもりだ!」
「気に入りまへんか?相手の一番気になる人の姿になる術なんですけどなあ」
「き、気になるっていうか、心配してるだろうな、って考えていたから──」
陽子は焦りを交えて言い訳地味た言葉を返すが、景麒がじっと自分を見つめて居る事がどうにも落ち着かない。
「ああ、もう、私が何をしたって言うんだ!何の嫌がらせだ!いい加減にしてくれ!どうしたら帰してくれるんだ!」
キレた陽子の言葉に那羲は浩瀚の顔のままにぃとした嗤いをのせた。
「わてらは賑やかしいお祭りが大好きなんですわ。美味い酒も勿論好物でしてなあ。昔は里のもんが気きかしてくれたんやけど、最近寂しい思いをしてますねん。でもお陰さんでどうやら賑やかになりそうで楽しみですわ〜。ほら、でもこの辺りのシマはわてのもんですからなあ、ちいと挨拶あってもええんとちゃうかなぁ思うんです〜」
「慶国の地はすべからく主上のものであり、賄賂の要求など言語道だ──…」
冷たく言い放つ景麒の言葉は途中で陽子の手によって強引に口をむぐりと押さえつけられた。相手は慶国の法など及ばぬ相手で理屈など通じるわけが無い。そしてこの場から去れるのなら多少の袖の下など構う物かと陽子はキッと那羲を睨んだ。
「祭りと酒だな、約束しよう。だがその代わりお前もこの地に豊穣と安寧を保証しろ!」
「契約成立ですわ〜」
にぃとした嗤いが更に大きく広がり、次いで那羲自体が何もかもを飲み込む程に巨大化した後のことはもうよく分からぬままに、気が付くと主従揃って元の原野に佇んで居た。
「主上、ご無事で何よりでございました。一時はどうなる事かと大変肝を冷やしました──」
積翠台執務室にて浩瀚が心配気に陽子に向かい合うが、陽子は目も合わせずにやや躊躇いがちに口を開いた。
「ああ、すまなかったな。…──処で、特例としてあの地域には春の豊穣祈願祭に限り裸踊りを行う。あと酒造を奨励してくれ。多分うまく行く筈だ」
「酒造は兎も角…祭に裸踊りを許可なさるのですか?」
唐突の提案に流石の浩瀚も戸惑いを隠せない。
「勘違いするな!私の趣味では無いからな!私は祭の時期にあの地域に足を踏み入れる事は無い!…浩瀚、お前も念の為禁止する。質問は一切受け付けない。以上だ」
「…御意」
困惑を隠せない浩瀚を置き去りに、陽子は真っ赤な顔で次の案件を乱雑に取り出した。
慶国のとある地域に、不思議な風習の祭がある。回を重ねるごとに盛大な祭となり、その規模と比例する様に、かの地は豊かな実りと人々の笑顔で満ち溢れたのだという。