花の便り
さらこさま
2014/05/21(Wed) 22:19 No.731
さやさやと、木々の葉を揺らして風が吹き抜けていく。
青草とそこかしこに咲く白っぽい花の香りを含んだ初夏の風だ。
槐、針槐、忍冬、いくつかの柑橘に銀梅花。
季節は移ろい、園林の桜を見上げれば、葉影にはちらほらと小さな実がついている。
ちらりと窓の外を見やって、陽子は深々とため息をついた。
夏至はまだ先だというのに、午を過ぎると雲の上でも日向は暑い。
これからやってくる暑い季節を思うと、げんなりとしてしまう。
もちろん、夏は普通に暑くなければ作物の生育に影響が出てしまうので困る。
それは困るが、重たい服を着せられる身としては、盛装を要求される行事が来るのは正直言ってありがたくない。
「ああ、北の方でももう・・・桜は散っちゃったのかなぁ・・・」
目の前に積み上がっていた最後の書類に印を押して、とりあえずの仕事を終え、何もなくなった書卓にことんと頭を落とす。
建物の中、日差しが直接当たらなければ、昼寝にはちょうどいい気候。
このままうっかり寝入ってしまいそうになったところに、茶菓子を持った鈴が入ってきた。
「まあ、こんな所で寝ちゃだめよ。墨の跡がついちゃうわ」
「そうよ。紅の代わりに朱泥がついちゃったら目も当てられないわよ。なかなか落ちないんだから気をつけて」
「・・・うん」
書類を片づけた祥瓊にも言われて、何とか身体は起こしたものの、仕事が終わった途端に切れた気合いは戻らない。
桜が散ってからというもの、仕事を終えたひと時がどうにも憂鬱なことがあるのだ。
春は駆け足で過ぎて行く。
南から北へと、あっという間に。
日常の雑務に追われている間は忘れていられるけれど、暇が出来ると気に掛るのは、便りを出した先のこと。
関弓まで鸞を飛ばして三日。
そこから遠くなればその分日にちは伸びるのは当然のことなのだけれど・・・。
「まだ十日しか経ってないじゃない。そんなに心配しなくても、そのうち帰ってくるわよ」
「もう十日は過ぎたんだよ・・・」
「もうとか、まだとか、そんなことに悩んでいると、お茶が冷めちゃうわ」
促されて席を移した陽子は、目の前に差し出された茶菓子に手を伸ばした。
どんなに気がかりなことがあっても、そこに菓子があれば自然に手が出てしまうのは、乙女の条件反射。
だが、摘んだばかりの桜の葉に包まれた菓子を頬張って、あっと目を輝かせた。
見た目は普通の葛まんじゅうだけれど、中の餡に砂糖で煮た桜桃が入っている。
「鈴、これ、すごく美味しい」
「ふふ。実桜は小さいからそのままだと食べにくいでしょ。種を取ってちょっと煮てみたの」
「大きい実と違って面倒なんじゃないの?」
「喜んでくれる人がいるなら、それくらい何でもないわよ」
義務や義理なら面倒なことでも、自ら進んで工夫すればそれはただの楽しみだと鈴は笑う。
菓子の一つで急に元気になったと祥瓊があきれたように笑えば、そこに確かにと自分で吹き出してしまった陽子の笑いが重なって、堂室はしばし若い娘たちの他愛ない笑い声に満ちた
と、そこへ入室を願う声がした。
「何やら、楽しそうでございますね」
「ああ、浩瀚・・・」
どういう懸案かと尋ねると、丁寧に一礼した冢宰は静かに微笑みを浮かべた。
「主上に書簡でございます」
「・・・どれ?」
文箱を持っていないことに気付いた陽子が小首をかしげると、浩瀚はお待ちかねの鸞が戻って参りました、と身を引いた。
音もなく彼の背後に立っていた景麒の手には大きな鳥かご。
ほとんど表情のない整った顔立ちの中で、わずかに口元だけをほころばせ、景麒は鮮やかな青い紋様を持つ鳥を放った。
きゅるりと鳴いた鸞は迷いなく主の側に舞い降りる。
おかえり、と労った陽子は、愛しげに頭を撫でた。
片づけられた書卓の上、金波宮の主とその側近たちにの視線を集める中、鸞鳥は赤い嘴を開いて若者の声を伝える。
「お便りありがとうございます・・・」
静かな声が、少し微笑んでいるような気配を含んで、咲き誇る北の花の便りを語り始めた。