木の花隠れの恋 <尚隆ver>
饒筆さま
2017/03/22(Wed) 01:10 No.8
解せぬ。これはおまえが望んだことだろうが。
「奴」を待つ陽子の横顔に、陰鬱な影が差している。
そんなに俯いていては勿体ないぞ? ほら、頭上には麗らかな蒼穹、耳には雲雀の浮かれた歌、今が盛りの桜までおまえにその繊枝を差し伸べているではないか。
その翠の瞳を上げ、腕を伸ばして応えれば良い――幸せは目の前に在る。
伏せた睫毛が跳ねるように瞬く。
蒲公英に留まる蝶から目を離し、陽子は桜樹に凭れる俺を振り返った。
「……何故そこに居るんです?」
深く沈んだ声。揺れる翠。口調はぶっきらぼうだが、とても咎めているようには聞こえない。
ん?俺は鼻を鳴らして笑う。
「居て悪いか。俺の勝手だ」(ふふん)
「そうですか」(ぶすっ)
陽子は紅唇を曲げ、再びそっぽを向いた。
「もうすぐ彼が来るんです」
「らしいな」
「……それでもまだ居るんですか」
「俺はここで気ままに花見をしているのだ。安心しろ、口も手も出すものか。俺に構わず、陽子は陽子で堂々と待っていろ」
淀みなく答える俺に対し、陽子は背を丸め盛大に溜め息を吐く。
……なぜだ?
陽子は胸を張って笑えばいい。
輝かしい春の陽と、舞い散る花を浴びて、美しく微笑んでいればいい。そうすれば幸せは向こうからやってくる。
無二の君よ、どうぞ幸せに。
それが俺の本心だ。
確かにそれは本心なのだが――その美しい横顔に貼り付く、陰気な影から目が離せない。
「おまえは王だ。何事も自分で決めるがいい」
そう突き放したのはいつの日だったか……定かでない。だが、しばらく経って顔を合わせたとき、陽子は「奴」を選んだと告げてきた。
「そうか。それがおまえの答えなら、心から祝福しよう」
俺が潔く頷けば、陽子の張り詰めた真顔はじわじわとぎこちなく強張った笑顔になった。痛々しいほど歪んだ笑み。歓喜や幸福など、いささかも感じられなかった。
――解せぬ。それがおまえの望みだと、今言ったばかりではないか。
喉元に刺さった小骨のごとく、あの日の疑念がずっと引っかかっている。
……なあ。はらはらと絶え間なく、慈雨のごとく降る桜よ。もし心があるのなら、その華麗な花吹雪で陽子のわだかまりを解いてやってくれないか。俺なら大丈夫。いつもどおり、からりと笑って彼女を送り出してやるから――
不意に、陽子が身を竦める。
「あ」
遠くにひとつ影が現れた。しなやかな背がすいと伸びて……だが、その足は頑として動かない。
どうした?
声をかけようとしたとき――花びら交じりの暴風が俺の横面を張り飛ばした。