サクラサク
ミツガラスさま
2017/04/05(Wed) 09:25 No.146
金波宮外れの森に一本の桜の樹があった。
元は一つであった太い幹は何かの加減か根元で二股に分かれそれぞれ大きく枝分かれし、まるで二本の木の様になっている。お互いの幹を分ける空間は人ひとり通れる幅に広がっていた。樹齢はかれこれ数百年は経つと聞くがもはや定かではない。
この桜の樹には金波宮に伝わるまことしやかな伝説があった。
身分違いの恋に悩む恋人達が、致し方のない別離を迎え最後の逢瀬に選んだこの桜の満開の満月の夜。この桜の様にお互いの根元では繋がっているのだと誓い合い別れを受け入れたものの、心ではやはり離れがたい。男が桜の幹を跨いで思わずこの身が裂ければと、サクラサク サクラサク コノミサクと唱えたところ本当にその身が二人となった。そして裂けた方の男が女と共に金波宮を去っていったのだという。
「…それ、女の方も裂けてやれば良かったのに」
鈴が注いでくれた果実酒を軽く啜りながら陽子は首を捻った。祥瓊は陽子のものより少し度数の高い酒杯を優雅な手付きで持つ。
「そうねえ、伝えられてない部分があるのかも。例えば男は女王の愛人に選ばれてどうしようも無かったとか…」
「ああ、なるほどね。愛人が愛人を囲うわけにもいかないか…でも残された方はそれで納得出来るかな。自分が裂けたって、もはや自分じゃ無いだろうに」
「そうよねえ。恋人を自分のそっくりさんに持っていかれたとも言えるわよね」
夜空には満月。露台から満開の桜を有する庭園を眺めつつ女三人だけで夜桜会を開いていた。
気心知れた女友達と飲み進めるうちに盛り上がり、常ならばもうこの辺りでとお開きを告げる役目の祥瓊さえもほろ酔い加減だ。
今からその桜見に行こう、そんな陽子の提案さえも止められず、班渠の背中に娘三人ぎゅうぎゅうに寄せ合い、軽やかな笑い声と共に夜空へと飛び立った。
煌煌とした満月の元、件の桜の場所へはすぐにと着いた。
鬱蒼と暗い森に一本、望月の光に照らされた白い花弁が怪しいほどに美しく咲き誇る姿には自然と気圧されてしまう。──陽子を除いて、はだが。陽子はご機嫌のまま樹の元へと歩みを進めると、陽子を止める鈴と祥瓊の声を背後に、はっきりとした声で呪文を唱えた──
「サクラサク サクラサク コノミサク──」
とん、と二股の間を跨いだ瞬間、樹に映る陽子の影が風になびく様に揺らぎ、するりと幹から離れた。
「「ああ──!!」」
静かな夜の森に鈴と祥瓊の悲鳴が大きく木霊した。