「投稿作品集」 「18桜祭」

降ってきたのは ネムさま

2018/04/18(Wed) 00:13 No.427
「ネタ、ネタ」と騒いでいたら、何故か花びらと共に、 着物にエプロン姿の鈴ちゃんが箒を持って降りてきました…
 と言う訳で、(多分)明治半ばの日本が舞台のパラレルワールドです。 何でも来い! という方は覗いてみて下さい。

パラレルワールドへようこそ

青柳家女中・鈴の革命的な一日

ネムさま
2018/04/18(Wed) 00:19 No.428
 今年も東京では桜が咲いた。川べりで、上野の山で、またあちこちのお屋敷の庭で。山の手では毎日どこかしら園遊会が開かれ、道は馬車や人力車がひっきりなしに行き交う。そうした中に、門を締め切った屋敷が一軒あった。
 屋敷の中の庭には見事な桜が数本、既に花びらを落とし始めている。花びらは風に乗り、屋敷の奥、隣との境にある松の老木の根元まで薄紅に染める。そこで一人の少女が、桜の花びらのような涙を落としていた。
「姉ちゃん、また泣いてるのかよ」
 垣根越しに雀斑顔の少年が顔を出した。
「だって奥様が…梨耀子(りよこ)様ったら、旦那様が他の女の所に行った切りだからって、私にばかり八つ当たりしてくるんだもの」
「そんなこと言うからだよ」
「面と向かって言ってないわ」
「姉ちゃんの思ってることなんて、だだ漏れだもん」
 これが、この青柳家の女中・鈴と、隣家の下働き・清(せい)の日々の会話である。鈴が年季奉公で売られて来てからほぼ3年の間、この繰り返しだ。
 この家の主である梨耀子は、妾宅を渡り歩き戻らない夫への不満を、田舎出でおどおどしていた新参者の女中へ吐き出した。今では失敗しようがしまいが、鈴を叱りつけないと気が済まないようである。周囲もすっかり神経が麻痺したらしく、今では鈴の泣き言に付き合うのは、清くらいだ。
「いくら借金があるからって、いい加減に逃げ出す算段くらい考えろよ。せっかく花の都にいるって言うのに、こんな客も寄らない辛気臭い家に閉じ込められてさ」
「お客様位は来るわ。この前も、奥様のお友達の中嶋様が、跡継ぎに迎えらえたっていうお嬢様を連れて来られて… そのお嬢様ってね、髪が赤くて洋装だったの。エゲレス人の血が入っているんですって」
「話ずれてる…。そんなポワポワしてっから、皆から舐められるんだよ」
 今日も呆れ果てている清を呼ぶ声がした。
「おぉっと、お使いだ。駄賃もらったら、また甘いもんでも買ってきてやるよ」
「今日は靖共(やすとも)様のお宅の園遊会があるから、いつもより馬車がたくさん走ってるわ。気を付けてね」
 大丈夫、という風に手を振って駆けていく清を見送ると、鈴は大きく息を吐き、それでも屋敷の方へ戻って行った。
 隣家の女中が青柳家の勝手口に走り込んで来たのは、夕方だった。
「ひどいのよ。その馬車って靖共様のお客様なんだけど、うちの旦那様が話を聞きに行かれても、飛び出した清ちゃんが悪いの一点張り。通り掛かりの中嶋様のお嬢様が、馬車で病院へ連れて行ってくれなかったら、きっとそのまま…」
 呆然としていた鈴は、そこでようやく隣家の女中に尋ねた。
「それで清ちゃんは?無事なんでしょう」
 隣家の女中は首を振った。
「息はあるけど、今夜が峠だって。うわ言で死んだ両親とか呼ぶらしいんだけど…一度だけ“鈴姉ちゃん”って言ったんだって。だから、あんたが行って、あの子に呼びかけてくれたら、もしかして…」
 しかし、前掛けをはずし掛けた鈴の後ろから、きつい女の声がした。
「この忙しい時に、どこへ行くんだい」
「…奥様…」
 一見凛として美しい、しかし歪に吊り上った目と口が微妙にバランスを崩した梨耀子の姿が、そこにあった。
「ろくに家の仕事もしないくせに、隣へお節介に行くのかい」
「あの、でも…」
「そうそう、明日は久々に客を呼ぶよ」
 突然の華やいだ声が、その場を押し付けるように響く。
「咲いた花を愛でるのはどこでもやるから、うちでは地面に散った花を惜しみながらも眺めるという趣向はどうだい。でも散ったままでは芸がない。落ちた花びらを集めて、着いた砂や草を落とし、清めた砂地にもう一度美しく敷き直す。素晴らしいじゃないか」
 真実うっとりとした表情が、再び歪に笑い、鈴を見る。
「この仕事はお前に任せるよ。明日の午まで、それだけやればいい。お友達の見舞いに行きたい女中には“一つしか”仕事をさせないなんて、本当に私はやさしい主だねぇ」
 鈴の全身から力が抜けていく。あの広大な、でも殆ど手入れのしていない荒れた庭から、無数の花びらを掬い上げ、また撒き直す。それはどれ程の労力が必要な作業だろう。
 出来ない、という言葉が頭に浮かぶ。でも声に出せない。3年間、ひたすら怒鳴られ罵られ、決して手は上げないが暗に匂わされ、必死に殻に閉じ籠り凌いだ結果、鈴の口は梨耀子の前では開かなくなっていた。周囲を見渡したが、誰も同じで、鈴と目を合せないようにしている。
「鈴ちゃん…」
 隣家の女中が切なそうに呟く。無理だ、と鈴は思う。清の元へ行くのも、言われた仕事を成し遂げるのも、全てが無理だ。
― で、でも。仕事なら何とかなるかも―
 仕事さえしていれば、完成できなくても、梨耀子は許してくれるかもしれない。元々無理だと分かっていて命じたのだから、鈴を罵倒すれば、それで気が済むのだ。それさえ我慢すれば、田舎の家族に迷惑を掛けることも無い。清だって、私を呼んだのは一回きりだから、どうしても行かなきゃいけない訳でもないだろう。
― そうよ。いつも私のこと馬鹿にしてたのに。何でこんな時に呼ぶのよ―
 自分より小さいのに生意気で、と鈴は清に少し腹を立てる。そして思い出す。清は自分より幼くて、親兄弟を亡くしている。雇われている隣家の主人は良い人だが、それでも寂しい時もあるだろう。
― だから私の事、家族みたいに怒ったり、話を聞いてくれたのかしら ―
 鈴の目に、また涙が溢れてきた。
 笊を振る。何の塵も無いように見えていたのに、細かい砂が落ちる音がする。笊に残った花びらを籠へ流し込む。そしてまた柔らかな竹箒で地面の花びらを、傷つけないようにそっと掻き集める。ようやく3つ借りられたランプの炎が、庭石や灯籠の上で揺れている。つい先程、広間の時計が12回鳴った。
 鈴は腰を伸ばし、かじかんだ両手に息を吹きかけた。暗いので、あとどれだけこの作業を繰り返せばいいのか、見当がつかない。もっと早く出来る方法があるかもしれないが、考える時間さえ惜しい。
― 仕事は終わらせられない、勝手に私用で出かける。今度こそ、首かもね ―
 それならいっそ自分から逃げ出せばいいのに、と思うのだが、何故か鈴は黙々と仕事を続けていた。
 病院で体中包帯に巻かれた清に、必死で呼び掛けた。うっすら瞼が開いた時、鈴は大声で泣き、周囲は清が死んだと思ったらしい。一騒動の後、清の状態が安定したのを確かめ、鈴は屋敷に戻った。女中頭が無言で箒と笊を鈴に押し付け、鈴も黙って受け取った。自分でも不思議なくらい平静だった。
 人の気配がした。余程疲れていたのか、怖さも感じず顔を向ける。しかしランプの灯に赤い髪が浮き上がるのを見て、さすがに声を上げた。
「な、中嶋のお嬢様?!」
「すまない、こんな時間に勝手に入り込んで」
 乗馬ズボンを穿いた颯爽とした姿のお嬢様は、軽やかに鈴の前に立つ。
「病院で貴女を見掛けた。あの男の子は助かったそうだね」
「はい。あの、ありがとうございました。清ちゃんを助けて下さって」
 勢いよく頭を下げた鈴に、お嬢様は微笑んだ。
「隣の女中さんに、貴女が大変な仕事を言い付かっていると聞いたので、気になって来たんだが…。本当にやるつもりなのか?」
「出来るとは思いません。奥様が怖いのか、意地を張ってるだけなのか分からないけど…」
 ふと、鈴は暗闇に目を向けた。
「白洲一面に桜の花びらを撒き敷いたら、本当にきれいかもって思って」
 そう言って鈴は呆然とした。梨耀子の全てが嫌いだと思っていた。しかし時たま見せる梨耀子の美意識の鋭さに感嘆したこともあったのだ。
 お嬢様は翠色の目を見開いて、鈴を見た。
「一人でやるように言われたの?」
「全部私に任せるって」
「それなら貴女の采配で、私達を雇うことも出来るよね」
「は?」
 お嬢様が「夕暉(ゆうき)」と声を上げると、暗闇から書生姿の少年が現れた。
「虎と熊に人を集めるよう伝えてくれ。祥子には案をまとめて欲しいと」
「ここは他人様のお庭ですよ。それにいい加減戻って下さらないと、ケイ様に気付かれます」
「戻るよ。不法侵入の件では瀚(はん)に頼まなくちゃならないし」
 そして鈴に方へ振り返り、何か言いかけたが、ただ手を振ってお嬢様は帰って行った。
 呆然としたままの鈴に、夕暉が笑いかけた。
「お嬢様は君を引き取りたかったようだね。でも今の中嶋家の状態では危ないと、諦めたみたい」
「危ない?」
 夕暉は頷いた。
「中嶋家は名家の常でお家騒動が絶えない。当主が相次いで早死にし、陽子様―お嬢様は最後の直系だ。でも異国の血を引いているから、靖共家などの親戚は跡継ぎに反対している。
 執事のケイ様と秘書長の瀚様を中心に、陽子様を守ろうとする者達もいるが少数派だ。一人でも信頼できる仲間が欲しいんだけど…」
 夕暉と目が合い、鈴は慌てて首を横に振ろうとした。
 無理だ。そんな雲の上のような人々の諍いごとに、鈴のような奉公人が出来ることなど無い。
 そう思いながら鈴の脳裡に、何の躊躇いも無く清を助けた、鈴に手を差し伸べた、お嬢様の姿が焼き付いて離れない。
 夜風が吹き、また花びらが散り舞い上がる。それにつられて鈴も顔を上へあげる。
― 今日は不思議な日。心が軽い ―
 清の元へ駆けつけ、無理を知りながら仕事を続け― どれも鈴が初めて自分の意志で動いた。そしてまた、舞い上がる花びらと共に、鈴の気持ちがある方向へ飛ぼうとしている。
 桜の季節は過ぎた。しかし青柳家の庭の“散り花の景”は、今でも話題に上る。その庭と隣家の境にある垣根の側で、清は今日も読み書きの勉強をしている。
 中嶋家での仕事の傍ら、やはり文字の勉強を始めた鈴からの手紙を、判読するためである。
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背景画像「素材屋 flower&clover」さま
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