ひっそりと湧きました 葵さま
2018/04/30(Mon) 14:52 No.487
桜の季節、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
未生さま、今年も桜祭りを開催おめでとうございます。
そうして今年も開催してくださいましたことを厚くお礼申し上げます。
桜の季節、今年も葵虫がひっそりとお祭り会場の片隅に湧きました。
駆除するには畳に針をさしてぶしゅーっと薬液を注入するタイプの殺虫剤が
とてもよく効きます。どうぞお試しください。
すっかり遅参したうえに湧いてしまい、重ね重ね申し訳ございません m(__)m
皆様の殺虫剤のひと押し、お待ちしておりますね。
- 登場人物 モブ兵士・陽子・景麒・浩瀚・熊さん
- 作品傾向 バナナはおやつに含まれますか
- 文字数 3994文字
桜の木の下には
葵さま
2018/04/30(Mon) 14:57 No.488
○月×日
晴天。
尿意を覚えて起き出したとき、藍に沈んだ東空を切るように、一筋の狼煙が昇るのが見えた。啓斗が見張り場にいたので、下から棹で尻をつついてみると、あれか、あれは大丈夫、というのんびりした返事が返ってきた。夜警を啓斗が任されるのは彼が猫の目を持っているせいだ。板で細かく遮りながらの断続的な煙は緊急警報だが、ただの煙ならなんらかの情報発信というだけだ。猫の半獣である啓斗は赤と緑の色目がわからない。そのぶん動体視力に優れているので、連続か、非連続かの細かな動きには機敏である。
寝てろ小デブ、まだ早いと啓斗が言うので、言われるままにしょんべんをしてから天幕に潜った。小デブは俺の綽名だ。兵士にあるまじき太り具合だから。
どこかで夜鳥の鳴き声が聞こえる。大気に血臭が籠っている。黄海で過ごす三日目の夜が終わろうとしていた。向こうの主天幕はまだ灯がともっている。青将軍は今宵も不寝のようだ。
主上はまだ見つからない。
○月▼日
小雨。
太陽昇らず。天蓋を覆った分厚い雲からひっきりなしに雨が降って来る。黄海の雨は概して油断がならないが、この雨も例によって酸性だったので鎧から白煙が上がった。溶ける前にと山陰の洞窟で雨宿りすることになった。おやつに持参した黄柔の実をぼんやり食っていたら伍長に叱られる。黄柔の実はおやつに入らないそうだ。黄柔はおやつだ、いや違う甜点(※注1)だと言い合いをしていると、いつの間にかくだらない大論争に発展した。
青将軍は洞窟の入口に座って苦笑交じりに煙草を吸っている。将軍の客分である髪布を巻いた謎の優男と、いかにも切れ者っぽい三十がらみの男が呆れたようにこちらを眺めていたが、やがて三十男がおもむろに立ち上がり、黄柔がおやつに適さない理由について理路整然と語りだしたので皆沈黙した。ちょっと押したぐらいですぐ腐る実は携行食には適さないんだそうだ。まあそうだが美味しいからいいと思う。
主上はまだ見つからない。
(※注1:甜点…デザートのこと)
○月◇日
曇天。
蒸し暑い日だ。明け方にまた狼煙が上がり、啓斗がそれを見届けたが、やはり緊急用の狼煙ではないとのこと。誰が何の目的で狼煙を上げているのか、主上はその狼煙の方角にいらっしゃるのかなどは不明。今回の任務――宮から出奔なさった我らが主上をお探し申し上げる――という性質上、かなり厳密に情報管理されている。一伍だけでの探索も不審なら、空行師を使わないところも奇妙だ。黄海に主上がおいでなら、それこそ空行師に探させたほうが手っ取り早いだろうに。
かくいう俺も黄海に入ったのは初めてだ。そうそう、黄柔に似た果実をさっき森で見つけた。こっそりひとつもぎ取ってみた。黄柔の実がおやつ不可になったので、新たなおやつ候補として食ってみることにする。
主上はまた見つからない。
○月※日
濃霧。
仄暗い谷底の湿地を通った。骨っぽい樹々の残骸がぬかるみに刺さり、半ば腐りかけた板敷の小道が蛇行している。濃霧がしんしんと降りて、いつの間にか谷底は乳白色の異界に変じていた。腕を伸ばすと指先がもう見えない。先頭にいた青将軍が何事か短く命じると、啓斗が素早く列から飛び出していっさんに駆けていった。前方でまた狼煙が上がったらしい。この濃霧でよく見えたものだ。啓斗が抜けた列の穴は、後方の男が詰めてふさいだ。あの男は誰だ。新人か。見たことのない顔である。俺はというと朝方から腹痛を患っている。原因はわかっている、あの得体のしれぬ果実だ。味は可もなく不可もなく、ただ食べてしばらくしたらふわっと目が霞むようになった。今もよく見えない――いやあの新人の男はくっきり見える。黒い顔に黒い髪の珍しい容貌だ。景色は何も見えない……ああ、霧のせいか。霧ですべてがぼやけるんだ。
乾いた丘の上で野営する。
「桜だ、見事な桜が咲いている。あそこで」という声が聞こえてくる。こんな濃霧の中でどうやって桜が見分けられるんだ。声は客分のものだ。優男はめったにしゃべらないから、切れ者っぽい男がしゃべってるんだな、きっと。
主上はまだ見つからない。啓斗もまだ帰ってこない。
○月÷日
闇。
昏いのか、俺の眼が見えなくなっているのか。腹の痛みはまだ地味に続いている。
明け方近くになって啓斗が戻ってきた。一面の暗闇で、指先どころか自分の鼻も見えないから気配で察しただけだ。啓斗が将軍に報告するぼそぼそした声が聞こえる。前方に大きな桜の木があり、その根元に娘がひとりぽつんと焚火を囲んでいるそうだ。髪も目も薄汚い灰色だったそうで、残念ながら主上ではない。人型の妖魔かもしれません、と啓斗は言った。
今日も霧が深いのだろうかと俺が問えば、おかしなことをいう、霧なんかもう何日もさっぱり出てないじゃないか、と笑われた。快晴続きだぜと伍長もからかう。でも俺の視力に問題はない、だって黒い顔をした例の新人のことはよく見える。夜明け前に砥石で槍を研いでいた。ちょっと慶では見かけない南国風の槍だ。
今日は風が強い。いつの間にか大気から血臭が消えて、かわりに桜の花の匂いがきつく漂っている。確かにどこかに桜があるようだ。
また狼煙が上がったが、啓斗はもう出かけなかった。
主上はまだ見つからない。
○月☆日
闇のち快晴。
何が何やらわからない。
俺は刺客を取り押さえた功労者になったらしい。らしいというのは、自分でも未だによくわかってないからだ。
明け方、例によってしょんべんに起きた。用を足し、ふと気配を感じて振り返ると黒光りする細身がくっきりと浮いていた。槍を担いでいる。ああ、あの新人の男だ。規律では単独行動がきつく戒められているにもかかわらず、一人でどこかへ行こうとしている。なんとなく気になって、こっそり後をつけた。
半刻ほど歩いただろうか、やがて黒い幕の裾が左右に捲れるようにしていきなり景色が拓けた。唐突に光がさしたという感じだ。闇は消え失せた。下火になっていた腹痛がずくりと再び首をもたげたが、それどころじゃない。
見上げるほどの巨大な桜の木が眼前にそそり立っていた。
薄桃色の小花がびっしりと咲き誇り、まさに満開の風情だった。耳痛くなるような無音の中、しずしずと花弁ばかりが舞い落ちる。一人の少女が木の根元に佇んでいる。背に大きな剣を背負い、鮮やかな朱髪が朝日に眩しく輝いているのを見て、俺は息を飲んだ。
「――主、……、!」
上、と終わりまで言うことはできなかった。あの新人男が槍を構えるやいなや、ものすごい勢いで少女に突進していったからだ。抜刀した娘が剣を正眼に構えるさまがちらりと見えた。刀が、槍が、互いに交わる前に……俺は必死に男に追いすがった。駆けよりざまに懐から獲物を取り出すと、うなじに毒針をぶっすりと貫通させる――間に合った。
男は痙攣しながら地面に転がり、すぐに動かなくなった。さもありなん、俺の一族に伝わる秘伝の針だ。対暗殺者用の最強級の毒だから刺されればひとたまりもない。
小デブに全力疾走はきつい。肩で息をしていたものだから、羽交い絞めにされて鳩尾に一発くらうまで背後に誰かが潜んでいたとは気づきもしなかった。くの字に折れてげえげえと胃の中のものを吐くと、ずっと続いていた腹痛がすっと消えた。と同時に、転がった男の死体にさっと刷毛で塗ったように色がついた。黒一色の奇妙な奴だとばかり思っていたが、何のことはない、ごく普通の肌をしたまだ若い青年だった。なんでこれが黒く見えたんだろう。
「おまえ、また何か変なものを拾い食いをしただろう」
ぎょっとした。吐いた俺の背をさすってくれていたのはなんと青将軍だった。ついでにさっき鳩尾に容赦のないパンチをくれたのも将軍だ。
「おそらく顕黒嘉ですね。己が忠義を誓った相手に殺意を持つ敵だけが黒く浮き立って見えるという……体質によっては嘔吐などの副作用があるようですが」
「この者は丈夫な胃をしているようだ」
髪布を巻いた優男が俺を覗き込んでくる。紫の瞳は冷ややかだが、こちらを気遣ってくれているのがよくわかる。ああ麒麟だ。切れ者の三十男は、少女――もとい、やっと見つけた我らが主上に、人差し指を振りたててがみがみと説教している。すごい。
「御自身を囮にして暗殺者をおびきだそうなどもってのほかです。台輔と桓タイと拙めがどれほど御身の安全を――聞いておられますか、主上」
いや聞いてない、と主上は明朗に言い放った。
「慶では後始末が面倒だと言ったのはおまえだろ、浩瀚。暗殺の首謀者を考えると確かに頷ける意見だった。私が趨虞を探しに黄海に行きたがってたのは周知の事実だし、ならそこで不慮の事故がありましたってことにしたほうが」
ちらりと足元の死体を見おろす。
「これを始末するには、いちばん無難だろう?」
遺体を袋に詰めていた青将軍は、土に汚れた頬を緩めて莞爾と笑った。
「とかなんとかおっしゃってますが、単に花見がなさりたかっただけでは?」
「同意見ですね」
「うるさいぞ景麒」
狼煙は居所を知らせるためではなく、敵意はないことを剛氏に知らせる挨拶みたいなものだったそうだ。確かに景台輔がいるなら主上の位置は元より筒抜けだ。啓斗が偵察に行かされたのは、彼は赤と緑を判別することができないので、見知らぬ娘が主上であると断定できないからだった。曖昧な情報で暗殺者を油断させ、おびき出すための霍乱策ということか。
「……結局、黄柔の実っておやつに含まれるんですか」
「含まん。おまえはもうちょっと痩せろ。これぐらいで息切れするな」
暗殺阻止の功労者としてつまみ食いは不問にしてもらえたが、せっかくこんなに桜が美しいのに、花見でつまみがないのはちょっとつらい。
青将軍の埋めた遺体は、来年、この桜がまた美しく咲くための肥料となるだろう。桜の木の下には死体が眠っているものなんだ、と主上はちょっと寂しそうに花を見上げた。
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