「投稿作品集」 「12桜祭」

おめでとう御座います! くろまぐろさま

2012/03/23(Fri) 20:17 No.45
 お祭り開催おめでとうございます。 今年初めて参加させて頂きます。 拙作ではございますがご笑納下さいましたら幸いです。

桜花風舞

くろまぐろさま
2012/03/23(Fri) 20:18 No.46
 寝転びながら、真っ直ぐにその木を見上げる。
 梅もいい、梨もいい、だけどやっぱりいちばんは桜だな。
 春の日差しに温もる地面に背中を預けて、陽子はそっとひとりごちた。――春はいいなあ。

 さわさわと枝を揺らす風に小さな枝が落ちる。その一枝はまるで狙ったかのように陽子の胸に。
「ああ、枝が弱っていたのかな?もったいない」
 そうだ、せっかくだから居室に飾ろう。女官に頼んでこの枝に似合う小瓶を見繕ってもらおう。
 だって、このまま捨て置くには忍びない。
 政務の済んだ午後遅く、どうせあと少しで居室に戻る。それくらいの間ならこのままでも枝が萎れることはあるまい。

 その時だった。
「主上、こちらにおわしましたか」
 柔らかに土を踏む音と共に、涼しい声が降り注ぐ。
「浩瀚じゃないか」
 どうした、と聞くまでもない。彼が携えているのが文箱ならそれは火急の奏上ができたという意味だ。
 いつもならすっと王の貌を作るはずの女王が、少しばかり顔を顰める。
「桜の花が風に舞う、いい景色だ。
 こんなに綺麗な桜の下には花の精でも宿っていて、楽やら舞やらに興じていそうなものじゃないか。
 なのに私の目の前に現れたのは、仕事を抱えた官吏が一人だ。なんて無粋なんだろう」
 お世辞にも風流に通じているとは言えない自分が言うのもなんだけど、と心の中で続けたのを読んだのか、浩瀚はくすりと笑う。
「なんだ?」
 尖った陽子の眼差しを浩瀚はやんわり流す。
「いえ、主上の仰るとおりの美しい桜にございますから、楽も舞もさぞや映えましょう。
 春の花が風に舞う。桜に限ったものではありませんが、そういう舞曲が知られております」
 ふぅん、と陽子は気のない相槌を打つ。残念ながらこちらの風俗にはそう明るくはなくて反応のしようがなかった。
 
 浩瀚は満開の桜を見上げる。
「それにしても見事な、この木の下で舞曲を演じたならさぞや絵になるでしょうね。
 何でしたら、主上が舞い手をなさっては如何です?剣技は舞にも通じるところがございますゆえ、主上は素晴らしき舞い手となられましょう。
 楽でしたら私が。こう見えても多少の心得はございます」
 陽子は目を瞠って臣下を見上げた。日頃淡々と膨大な政務をこなすばかりの輩から、そんな言葉が出るなんて。
「春花風舞、か。よーし、おもしろい。やってみようじゃないか」
 ただし共演は何年後になるかわからないぞ、と身を起こしながら鋭く浩瀚を睨みつける。――私はまだひよっこの王だし、おまえは私の分まで職務を背負って忙しい。
 男もまた、諾と笑う。

 女王は未だどこかに生硬さを秘めた若木の如く凛と立ち上がり、そして小筆ほどの桜の枝を男の髪に差し込む。
「これは約束の証として下賜するよ。おまえは色が白いし端正な顔をしてるからよく似合う。
 じゃあまずは、その文箱の中の仕事をやっつけようじゃないか」
 私の成長と、おまえの余暇と、来たるその春の為に。
 そう明るく宣した女王は、風になびく桜の下を後にした。



 それから月日は流れた。
「そろそろ頃合いではないかと」
 桜の一枝と共に贈られた一文に、陽子はあの桜の下へと赴く。
 年々威厳を増す桜は重々しく枝を垂らし、たわわに花をつけて来たる春を迎えてくれる。
「桜花風舞。慶の春と言えば桜というのが定着致しましたね」
 陽子は幹に寄り添って立つ男から二尺ほどの枝を受け取った。
「いつの間にやら国中に、赤子の桜贔屓が知れ渡ってしまったからな」
 一体どこからどう広まったのか、今や桜は慶の春の代名詞と言えるまでになった。民に馴染んだ舞曲の名を変えてしまうまでに。
 枝を一振りすれば、桜の花が可憐にも儚く舞い散る。
「この桜の枝か」
「はい、春は風が強い。もうこれは古木ですから容易く枝が落ちるのです」
 つまりはそれだけ時が経ったのだと言外に告げる男は、空いた手に一本の笛を携えていた。
 目と目が合う刹那、空気は一気に張り詰める。互いの呼吸を探り合い、そして――。
 
 呼吸が一つになった、そう確信した瞬間に鮮やかな笛音が空を切る。
 陽子は桜枝をかざして歩を踏み出す。

 桜花風舞。その名だけなら桜舞い散る春の情景を歌ったものと思われそうなそれが、別離の歌だと知ったのは随分後のことだ。
 ――愛し君無き春でさえ、桜花はかように美しい。
 打ち振る度に散りゆく桜、その舞に楽は時に朗々と、時に秘めやかに響く。
 ――女は図らずも別れた恋人への想いを散りゆく桜に託す、遠く貴方の元へ届くように。
 ――桜は祈りをその身に秘めて春風に舞い上がる……。

 何処か遠くを見るような陽子に一陣の突風が吹き上げる。
 砂塵ごと舞い上がる花弁を見上げる陽子の視界を遮る真紅は、その眼差しを断ち切った。
(桜花は何処へ――?)
 蒼穹に桜花は散る。想いを見失い、すべてが止まる。――振りが、止まってしまった。
 舞も楽もなく佇む陽子は、その足元に添うて差し出された足に伏せた目を上げた。

 ――浩瀚。
 男の踏み出しに導かれて陽子の足が楽を踏む。
 滔々と笛を鳴らしながら、時に対に、時に添うて右旋、左旋……翻って笛音に舞う。
 そして傍らに退いて吹き鳴らす最後の音の余韻と共に、色失せた枝を胸へ抱きこむ。
 その枝にはもう花の一つとてついてはいなかった。
 
 陽子がふと目を開けたと同時に、浩瀚が口から笛を離して主を見上げた。
「たいへんお美しくてあらせられる」
 ――柔らかく頬を桜色に染める愛おしい御方、最早この身は貴女から離れられぬのですと打ち明けることができたなら……。
「何につけても達者な奴だ、おまえじゃなかったら今日のこの舞はなかった」
 ――この舞に秘めた桜花の想いを、ただ一人おまえに捧ぐと言えたなら。その淡く桜色に染まった唇に触れられたなら……。
 二人は俯けた眼差しの奥で蠢く何かをぐっと沈め、再びすいっと上げた顔にはもう何の波風もなかった。
「すごくよかった、ありがとう」
「この上なき眼福に、ございました」
 陽子はただ女王から臣への賛辞を、浩瀚はただ至高の御方への崇拝を、それぞれ微笑んで言葉に紡ぎ出した。
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