「投稿作品集」 「12桜祭」

投稿します ネムさま

2012/03/25(Sun) 18:19 No.105
 昨年のお祭を思い出していると、 花弁でなく花一輪ごと落ちることがあるという話題が出たこと、 それに何種類もの桜を見る機会があったことが頭に浮かび、 こんな話が降ってきました。

幻 夜

ネムさま
2012/03/25(Sun) 18:21 No.106
 幽かに星が瞬いた。
 それを認めて、ようやく三郎は自分が夜空を見つめていたことに気が付いた。

 どれ位の間、この小舟に寝そべり夜の海を漂っているのだろう。浜の老爺たちに、夜の海に出ると、昔沈んだ船に隠された崑崙の秘宝が悪さをするぞ、と散々脅かされてきた。自然と視線が星を追い、自分と陸との位置を探ろうとしたが、無理に目を瞑る。
― 帰りたくない ―
 そう思うのは、昼の事が原因ではない。
 この日、仲間の悪童と離れ小島へ花見と洒落込んだところ、村上の密偵の舟と鉢合わせ。十二・三の子供ばかりと侮り捕らえようとした相手を、叩き据えた。さすがに大人の援けを求めようと各々の舟を漕ぎ出すと、相手が猛然と追いかけてきたので、三郎が一人囮となって小舟を操り、岩陰島影を縫うように漕ぎ回り相手を撒いた。
 しかし追っ手がないことを確認しても、三郎は帰る気になれなかった。帰ったところで父から受けるのは、彼の武勇への賞賛でも、身上の心配でもない、ただ無謀に対する叱責だけなのだから。
― 別に、今に始まったことじゃない ―
 父や兄に思われなくとも、守役も城下の者も三郎を好いてくれている。彼も皆を守るのが自分の役目と思っている。それでも、時々地に足が着いていない、居場所の無さを感じてしまう。
 正月に元服し“尚隆”という名まで授けられながら、未だ三郎という方が似合う十三歳の子供のまま、彼は自分の体を抱きしめて、ごろりと寝返った。

 ふと目を上げると、舟の片隅の闇に浮かぶ小さな白いものに気が付いた。目を凝らすと、桜の花が一輪。
 小舟を寄せた小島の岸壁の上に咲いていたのが、偶然舟の中に落ちたのだろう。あの乱闘の中で花弁五枚が揃って残っている。それよりも、花弁一枚一枚が舞い散るはずの桜の花が、花一輪ごと落ちているのは何故だろう ― 不思議に思いつつ、三郎は起き上がって、両手で花を包んで見る。
 等分に開く五枚の花弁。触れてみれば信じられないほどの薄さなのに、内から点るような明るさを放っている。
 何故か手習いの坊主の言葉が甦る。
“世界とは、まず虚空があり、その上に風輪、水輪、地輪が重なり、更にその上に大蓮華が咲いております。大蓮華の中には、須弥山を芯とした小蓮華が無数に漂い、その小蓮華の一つに我らの住む世がございます。世界は無限大に広く、無数の世界が花開いているのです…”
「無数の花の世界か」
 仏の御座します蓮の花ではないけれども、掌の中の、花の存在の確かさに、三郎は暫し見とれていた。

 ぐらりと体が揺れた。
 いや、体ではなく、周囲の空気が揺らいだ気がした。顔を上げると、星空が大きく動いている。
― 馬鹿な ―
 思う間もなく、視野一面に星が瞬き迫ってくる。そして自分が小舟に座っているのではなく、星の渦巻く空間に浮いているだと気が付いた時、三郎は恐怖よりも目眩を感じた。
 堪らず目を瞑るが、今まで味わったことの無い浮遊感に耐えられず、目を開ける。すると、様子が少し違っている。空間を埋めるように漂うのは星ではなく、花だった。
 花弁の一枚一枚がくっきり分かるのもあれば、幾重にも重なったもの、花弁の大きさの不揃いなもの、蘂や萼が大きくはみ出したもの ― 様々な花が三郎の傍らを通り過ぎていく。
― 一体これは、何の花見だ ―
 呆然と眺める三郎の脇で金属を掠るような音が聞こえ、ざっと花弁が舞った。何故か総身が粟立った。

 足元が明るくなった気がした。見下ろすと、一輪の花に目が止まった。
 八枚の花弁が等分に芯を囲み、更に四つの蘂なのか葉なのかが、これも等分に四方へ伸びている。様々な形の花が無数に漂う中、三郎は何故かその花から目が離せなかった。そして花も三郎の方へと、ゆっくり近づいてくる。
 何が吹いたのか、花々が僅かに揺れる。その途端、花の芯から金色の花粉のようなものがふわりと放たれた。突然、三郎の頭の中で何かが響き、金色の残像と共に、意識が闇に沈んだ。


 目を開くと、朝焼けが広がっていた。体を起すと同時にくしゃみが出た。三郎は体を震わせ、自分が小舟に乗って一晩過ごしたことを思い出した。
 思い切り手足を伸ばし、深呼吸をすると、不意に一つの言葉が甦った。
― マダ ハヤイ ―
 思わず振り返ったが、海の上には他に舟も無い。三郎は呟いた。
「何が早いんだ?」
 答えは無い。ただ頭の中の一部が抜け落ちたような、妙な気分がするだけだ。
 暫く三郎は蹲ったままでいたが、やがて顔を上げ、周囲を見渡した。目を眇めると、遥か先に見慣れた山並みが見える。三郎は櫓を取り、遮二無二漕ぎ始めた。
 何があったのか、これから何があるか分からない。ただ今は自分がやる事のある場所へ帰ろうと、身内から沸いてくる力のままに陸を目指した。

 小舟の中にも、彼の記憶の内にも、あの桜の花は消えていた。

― 了 ―

感想ログ

背景画像 瑠璃さま
「投稿作品集」 「12桜祭」