「投稿作品集」 「12桜祭」

No.46の拙作「桜花風舞」からの連想です。 くろまぐろさま

2012/04/20(Fri) 21:41 No.660
 数年前にテレビで桜染めというものを見まして。 染めあがった布がすごく綺麗で、染め方も意外なもので印象的でした。 今回はそれもネタに入れつつ書いております。 シリアスですがちょいとラブ要素ありです。

散りてまた巡る花

くろまぐろさま
2012/04/20(Fri) 21:42 No.661
 見上げた春の空はどこまでも青く広い。陽子は一通り巡らせた瞳を足元の、平らにならされた地面に移した。
(ああ、なくなっちゃったんだなあ……)
 ほんの最近まで、ここには一本の桜の木があった。初めて見つけた時から既に威風堂々とした木は時と共に衰え、近年では素人目にも弱っているのが見て取れるほどだった。
 毎年のように今年は咲くだろうか、来年まで保つだろうかと心配しつつも見守った古木は、今回の冬もなんとか無事に越して新たな春を迎えようとしていたのに。
 皮肉にも春を告げる嵐が春の花咲く寸前の古木を倒してしまい、そして今、この庭院に春を彩る淡紅はない。

 梅もいい、梨もいい、だけどやっぱりいちばんは桜だ、そしてその中でもこの桜は特別だった。
 ――だって、いつか浩瀚と一緒に舞った桜だもの。
 別離の歌に舞う最中、桜を舞い散らす風に放心した私に添うてくれたあの時から、胸の内に秘めた想いは膨らむ一方だった。
 どんな生にもいつか必ず別れがくる。だからこそいつか来るその時まで心から誰かと愛し合いたい。その誰かはもうとっくに決めている、と。
 しかしいくら心に想ったところであくまで臣下である男は、常にいちばん近くにありながらどこまでも遠い存在で、だから何も告げられぬままに幾多の春を過ごした。
 桜を愛でながら他愛もない話に興じた春、その幹に縋って明かせぬ想いに泣き濡れた春、同じ春は一つとしてなかったけれど桜ばかりはいつも違わず美しかった、なのに。
 華の失せた庭院は、うららかな春だというのにどこか温みに欠けているような気さえするのが寂しい。おまけに頬を弄る風の僅かばかりの冷たさが、尚更切なさを煽って堪らない。
「妙に冷える……かも」
 せめてもう一枚羽織ってくれば良かったかもしれない、そう思いながらも陽子は微動だにしなかった。
 
 ただ立ち尽くしたまま、やがて耳だけがまだ芽吹きたての柔い緑を踏みしだく微かな音を捉えた。それに続いて風に馴染むような涼しい声。
「主上、こちらにおわしましたか。季節柄、てっきり桜のある場所においでとばかり思い込んでおりまして」
 おかげで随分無駄足を踏みましたとさらりと言われて、陽子は振り向きもせずに頬を軽く膨らます。おまえには分からないかもしれないけれど、ここの桜は特別だったんだ。偲びに来て何が悪い。
「朴念仁め」
 吐いて捨てた声はおや、と受け流され、陽子の少し後ろでその歩が止まる。
「亡き桜を偲んでおられたのですね?しかしここは些か風が冷たい、お身体が冷えますと自然と御心まで冷えてしまいます」
 背中から軽く何かがかかるのを感じて見下ろした目に飛び込んだのは、慶の春に咲き誇るあの淡紅。
「倒れた桜で染めた絹で誂えました。御身を温める一助になればよろしいのですが」
 春らしく軽い上衣も淡々とした語り口も殊更温かいわけではないのに、何故か身体の芯から温んで緩むような心地だ。陽子はまじまじと薄絹を染めるその色に見入った。
「本当にあの桜の色そのままだ。でもどうして?花が咲く前に倒れちゃったのに」
 花の色を出すのなら花で染めるもんだろうと訝しむ陽子に、浩瀚は「いえ」と返した。
「桜は花ではなく枝で染めるのです。しかも花が咲く直前のあの淡紅が蓄えられた枝でないと桜花の色は出ないとか。
 たいそう見事な桜でした、無くなってしまったのは惜しい。しかし春の直前に倒れたおかげでせめてもの名残りは残せました。これで少しでも主上の御心をお慰めできればと思ったのです……が」
 ふいに笑いを含んで言葉が途切れた。陽子が首を傾げながら振り向いた途端、伸ばされた腕に引き寄せられて身体はすっぽりと浩瀚の胸に収まってしまう。
「何のつもりだ?」
 見上げて睨み付けた先には桜花より尚鮮やかな唇、そしてそれは見られているのを承知のような優美さで言葉を紡ぎ出す。
「何も。時に主上、足元を。今まで立っておられた場所のすぐ脇をご覧なさいませ。桜の若芽が出ております」
「えっ!?」
 必死に目を凝らした地面では柔らかに生い茂る草に混じって、小さな小さな、それでも馴染みの深い緑葉が凛と葉を伸ばしていた。
 ――なんてこった、ちょっと間違えば桜を踏んづけちゃうところだった私のほうがよっぽどじゃないか!
 気まずく固まる陽子の様子に、抱き寄せられるままに身を任せた胸が楽しげに軽く震えている。
「危うく踏み抜いてしまわれるところでしたね。……この朴念仁めもなかなか侮れぬでしょう?」
 案の定、鋭い相手にほじくり返されてくつくつ笑われると、もうどうにもこうにもバツが悪い。
「悪かった、それは取り消すから。浩瀚、衣も桜も……ありがとう」
 陽子の腕が笑みを浮かべた男を手繰り寄せる。
 少しばかり見開いた琥珀の瞳が緩く弧を描いた。――こんなに間近で目が合うなんて初めてかもしれない。 
「なあ、下賜してもいいかな」
 今は手持ちに何の枝もないんだと言い訳がましく呟いて、そうっと唇を重ね合わせた。
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