「投稿作品集」 「12桜祭」

春も徐々に深まって参りましたね  Baelさま

2012/04/22(Sun) 16:15 No.694
春も徐々に深まって参りましたね
 染井吉野もすっかり散ってしまい、 八重が咲いているところが何処かにないかなぁと寂しく思っている今日この頃です。
 仕方ないので先週の桜の写真を整理していたら、 ひょっこりお話が出来上がったのでお邪魔させて頂きました。
 まだまだ若い桜のお話……で、何でこうなったのかは謎なんですが(汗)

国想桜

Baelさま
2012/04/22(Sun) 16:15 No.695
探した男は、内殿の回廊からやや離れた庭に、一人で佇んでいた。
一度しゃがみこみ、土に手を触れてから立ち上がる。次いで、白い手で目の前の若木になぞるように触れた。小さな花を重たげに咲かせる薄紅の枝が、その動きに僅かに揺らぐ。
無造作な仕草は、禁色の官服を着た姿にそぐわない。
何をしているのか疑問に思った陽子は、「浩瀚」と声をかけた。
名を呼ばれた男は落ち着き払って振り返り、丁寧な仕草で拱手した。
「これは、主上。この様なところで、どうなさいましたか」
「お前を探していたんだ。上がってきた書類で分からないところがあったから。そうしたら、ここにいるのが見えたからさ」
「御用がおありならば遠慮なくお呼び下さいと、常々申し上げておりますが?」
「大量にある時なら来てもらった方がいいが、書類の中の一箇所確認するためだけに浩瀚に往復してもらうのは時間の無駄だ。処理能力からいえば、私が来た方が仕事の進みは早い」
だから気にするなと言えば、浩瀚は苦笑して「主上」と窘めるような声で返した。
「王なる御方には、是非に効率以外にも目を向けていただきたいのですが」
「意義とか面子とかか? 国がもっと安定して豊かになったら考えよう」
「最も重要な安全が抜けております。次回は是非、大僕をお連れ下さい」
それで何用でございましょうかと、あっさり説教を畳む浩瀚は、相変わらず怜悧だ。そんな男がどうして庭木に興味を示していたのだろうと、陽子は首を傾げた。
元々の用件であった不明点を簡潔に説明してもらうと、「なあ、浩瀚」と問いかけるような声を上げる。
「はい。今回の書類に関しては、秋官府の不手際でございますね。次回以降はもう少し精査した内容をあげるよう申し伝えておきましょう」
「いや、書類の件は分かったから、もういい。それより、この木は桜だろう? 常世にもあったんだな」
蓬莱では見慣れた薄紅の五枚の花弁。
まだ若く背の高くない木に近寄って、触れるか触れないかの位置に揺れる花達を見上げながら、陽子は知らず微笑んだ。
春と共に咲く姿は懐かしいと、素直にそう思う。
しかし、あまり王宮で見かけた覚えがないなと呟けば、左様でございましょうねと浩瀚は頷いた。
「元々こちらでは、桜は雑木。慶では海客が多いため観賞の用途で植えられることもままありますが、主上の御目に触れるような奥の宮には殆どない筈です」
こちらは、と。浩瀚は若木を軽く指し示した。
「そもそもが宮殿にあったものではございません。密かに持ち込まれた為に庭師の世話を頼むわけにもいかず、けれど主上の御位に就かれたを記念して植えられたもの。枯らすには忍びないと、私の元へ話が持ち込まれました」
「私の即位の記念? それは知らなかった。しかし、だからといって六官の長に庭木の世話を託すというのも、結構、すごい話だな」
「最初に植えた者が植えた者でしたので。その後を託された者も官位を退くにあたり、対処に困り果てたようです」
「最初?」
「先々代の大宰ですが」
「……え」
陽子は思わず口ごもった。
先々代の大宰は、靖共と敵対して浩瀚を庇い、謀反の罪を着せられ獄死した。自裁とされているが、真実か否かは今以て明らかになっていない。かつての陽子は、それを是として見過ごした。ある意味、大宰を殺すに加担したに等しいと自分では認識している。
そんな過去をあっさり思い返させるのは、この男ならではだな。と、陽子は小さく溜息を吐いた。これが景麒ならば、さぞ気まずげに言葉を濁すことだろう。鉄面皮の麒麟は、あれでなかなか情に厚い。
「成程な。それは確かに、何処に話を持っていったらいいか迷うだろう。結果がお前のところで正解か」
陽子は目をそらすように桜をもう一度見上げながら頷いた。
大宰が獄死し、陽子が下界に降り、靖共が処罰され浩瀚が代わって冢宰の位について既に片手以上の年月は過ぎた。実をいえば、今となってはあの時の大宰の顔も名前も曖昧だ。
薄情だなと、心の中に落とした声は自嘲げな響きを帯びた。
そんな風に、あの頃、陽子は自分に仕えてくれていた官吏とまともに向き合えていなかった。先代、先々代、さらにその前の女王と同じく自分の殻に籠ったままの愚かな小娘。長らく官吏としてあった臣下に侮られても仕方がなかったと、今なら分かる。
なのに、何故。と、揺れる花を見上げて首を傾げた。
まだ若く華奢な花枝は、それでもすらりと天に向けて広がっている。
薄紅の可憐な花弁。こちらの流儀からいえばあまりに地味で目立ちもしない。葉に先駆けて花ばかりが揺れて散る、蓬莱で何より愛される春の花。
「大宰は、どうして桜を植えたんだろう。やはり胎果である私を気遣ってくれてのことだろうか」
公にすることなくたった一本、この木を内殿に植えた男。今はもうないその人は、この木が果たして根付くと思っていたのだろうか。
――そしてこの先も。果たしてこの桜は、いつまで咲き続けることが出来るのか。
陽子の意識の中で、桜は門出と始まりに似合う花だ。卒業の、あるいは入学の。学舎の庭には必ず太い桜が陣取っていた。そんな記憶が、ふと、無意識のように言葉を紡がせた。
答えが返ることを期待してはいない。だがそれを拾った浩瀚は、「さて」と軽く返した。
「或いは花の咲くを待って主上に阿る意図があったやもしれませんが」
「……本気で言っているのか?」
かつての大宰は浩瀚を庇って靖共と対峙した。それなのにと睨む視線は強い。
だが、その翠の瞳の勘気を受ける男の顔には、穏やかに揺らがぬ笑みが浮かんでいた。
「既に亡き人の考えを推し量って思い煩われるが無益という意味であれば、本気でございますよ。自省はお止めいたしませんが、発展性というものはございませんね。いずれにせよ、花は花。今ここにある桜は、如何致しましょうか」
過去に浸って沈む少女の心を見透かす目をして、相も変わらぬさらりとした口調で言い放たれる。陽子は「あのな」と食えない男を睨んだ。
「お前、諭すにしても、もう少し言い方を考えてくれ。心臓に悪い」
「おや。主上の心の臓は、さほどにか弱かったでしょうか」
「ああ、お前みたいに毛が生えていないんでな」
まったくと吐き出した溜息は、陽子自身が予測したほど重くはならなかった。
「せっかく咲いている花なんだ。是非このまま咲かせておいてやってほしいがな。せめても私の治世が続いている限りは、だが。……そういえば、何処かの国では、子が生まれると棺とするための木を植えるんだったか」
この木が自分の棺となり得るか否か。そう思って幹に触れても、まだ若い木肌は陽子の見知ったごつごつとした感触とは違う。僅かな頼りなさが今のこの王朝を表しているようだった。
これじゃ焚付にしかならないなぁと呟けば、「それ以前の問題ですが」と、隣に立っていた男がやや呆れたような声で返した。
「民家で庭に桜を植えぬ理由をご存知でございますか?」
「え? ……虫がつく、とかか?」
「それもございますが、そもそも桜は根を横に広く強く張る樹木。故に根太に障ると忌避する向きも多い。王宮であればその心配はございませんが、掘り返せと仰せになると大層手間がかかります」
「まあ、そりゃ困るな」
「ですから、寿命を迎えるまでは放置するのが一番安く済むと思いますが、如何でしょう」
「……値段の問題か?」
そもそも、桜の寿命は何年だっただろうかと陽子は腕組みをした。
あちらの世界で、染井吉野の寿命は短いと聞いた覚えがあるが、そもそも似て見えてもこれが同じ桜とは限らない。もしかして千年以上だったりしたらどうするのか。
――つまりは、そのくらいの心意気を見せてみろと言われているのだろうか。
陽子は、くつりと小さく笑った。
「成程。確かに、まだ貧乏なこの国において、冢宰の献策はもっともだな。せめてこの王宮に花見の……桜を見ながらの宴会の風習を広めるくらいまでは、この桜に頑張って咲いていてもらうか」
「皆の士気を向上させるに、酒宴は良いご提案やもしれませんね」
主上のお許しをいただけたならば庭師に申し伝えておきますと言われ、陽子は「頼む」と頷いた。
見上げる先で、まだまだ若い花は、それでも風に凛と咲く。やがて散るとしても、来年もまたこの花は開いてみせるのだろう。
陽子が知らずとも、即位からここまで、王宮の庭で咲き続けてきたように。
「……国のはたてに咲きにける、か」
「主上?」
ふと唇をついて出た長歌の一部を聞き止めた浩瀚が僅かに首をひねる。それを振り返らず、陽子は桜を見やったまま「いつか」と言葉を続けた。
「慶のあちこちで、そんな風に長閑に花を楽しめるようになればいいな。確かに、こちらではあまり愛でられることない花なんだろう。でも、海客も、慶の民もなく、ただ春を穏やかに過ごせる。そんな風になればいい」
「……はい」
静かに頷く男を傍らに、「そうなるように、頑張るから」と、桜に手を触れて陽子は言った。
願うように。祈るように。
いずれとも知れぬ想いを受けて、まだ若い桜はそれでも微笑むように花開いていた。



――娘子らが 挿頭のために みやびをの 蘰のためと敷きませる 国のはたてに 咲きにける 桜の花の 匂ひはもあなに
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