「投稿作品集」 「12桜祭」

まさに満開の桜  Baelさま

2012/04/27(Fri) 21:43 No.768
まさに満開の桜
という風情なのでしょうか、お祭りの盛り上がり。 週末くらいにしかやってこれない身としては、 ますますどんどん深まっていく階層が春の深まりのように思われます。 華やかですねぇ。
 にも関わらず、自分の中に浮かぶお話に華やかさが足りないのはどうしたものかと。 今回も骨格だけ出来てグルグルしていたところ、 瑠璃様の延王君を拝見させて頂き、ポンとスイッチが入りました。
 ということで、#702の瑠璃様イラストの連鎖妄想です。 ちなみに作中の漢詩は杜甫の曲江二首。其一の方です。

桜 塚

Baelさま
2012/04/27(Fri) 21:44 No.769
山は淡紅に染まっていた。
桜の天蓋の下。下生えの薄い道を、黒鋼色の髪の少年が辿る。足取りは確かだが、何処か迷うように緩やかだった。
ふと、歩みが止まる。
風が吹いた。
ざわりざわり。桜が啼くように鳴る。花びらが散り舞い落ちて敷かれる先に、一人の男が片膝を立てて座っていた。
傍らに瓶子と酒を注いだ盃が無造作に置かれている。一際大きな桜の根元。重なる花の天蓋は、昼なお薄闇を一枚被せたようだ。やや斜め下を向いた男の表情は明らかならぬ。あるいは最初から、情を押し殺した面をしているのか。
男は風に舞う桜の飛沫を受けながら、まるで樹の一部であるように動かない。代わりのように肩に羽織った衣が流れて揺れた。
そんな相手に向かい、少年はきちりと足を揃え丁寧に立礼した。
距離にして三間ほど。声を張れば届くが近くない。だが、それ以上は近寄らぬ。互いの沈黙は深い。
最初に破ったのは、闖入者たる少年だった。
「……この場所は、延台輔にお聞きしたんじゃありません」
それを聞いた男は、は、と喉奥で嗤った。
「言われんでも、俺の相方がそこまで無粋ではないことくらい分かる。この山に桜を植えて五百年。それは人の噂も立とうさ」
「その桜を分けて頂けませんか」
少年は、僅かに急くような声で言った。
「蓬莱に懐かしい花がここにはある。……僕はそれを戴に植えたいのです」
「戴の民にもお前の王にも要らぬ花だろう」
「それでも必要なんです。僕が巻き込んでしまった人達のために」
真摯に響く少年の声に、男は太く息を吐いた。
「俺は時々、麒麟というのはどうにも度し難い生き物だと思うぞ。自分を苛む念にまで慈悲の大盤振る舞いとは、馬鹿馬鹿しいにも程がある」
「僕に纏わりつく怨嗟が見えますか」
「見たくもない」
男は呆れを孕んだ声で言い放った。少年は「そうですね」と静かに頷く。
「彼らは僕を恨んだ。恨むしかなかった。他に気持ちの持っていきようなどなかった。全ては僕が起因なのですから当然です。……けれど僕はもう、海を渡ってここにいる。彼らにとっての異郷に」
ならば、と。少年は穏やかに波立たない声で続けた。
「せめても彼らに故郷を偲ぶ花を」
「筋が違うな」
桜を仰いだ男は、僅かに頭を振った。
「あちらからこちらに命を渡せば別の命が失われる。どんなに足掻こうが、こちらからあちらへ命は渡り切れぬ。ただ胎果が流れるように、意識ばかりは還れるやもしれん。その意思さえあるならば、な」
「……本当は、失われて良い生命なんてなかった筈なんです」
「天の理とはそういうものだろう。死者を纏って渡り来たのは、別にお前ばかりではない。……もっとも、俺と共に渡り来たであろう連中には、還る意思がなかったやもしれんがな」
男は素っ気なく言い放った。少年は小さく首を傾げた。
「その方達のために桜を植えられましたか」
「誰かのためと言い立てるは愚かしいな。王は器だ。俺の腕、俺の目、俺の脚……俺の命を含め、そこに民は宿る。麒麟が天意を宿すならば、そいつから国を受け取った王は民を背負う」
ふんと鼻を鳴らす男の髪に、慰撫するように花が降る。それを甘んじて受けて、男は「俺はかつて、それを連中に教わった」と続けた。
「死しても。故郷を失っても。俺が生きてあればそこが所領ぞと言って死んだ。そんな奴らだ。今更に故郷に帰りたいと泣かれても困る。……だがお前にへばりついている連中はどうだ? お前と共に戴の地に埋まる気はあるまい」
ならば忘れて還してやれと、言外に言われる。少年は暫し黙してから、「そうかもしれませんね」と苦笑した。
「……結局、僕があちらを忘れられないだけなのかもしれません」
「生まれを忘れる必要はあるまい。雁に渡りきて遙か。俺に宿るだろう民はもう、こちらの者の方が多かろう。だが、俺の好むはこの花だ。……故にこの山は春に染まる」
だから俺は今ここにある、と。男は言い、少年は綺麗ですねと頷いた。
「散るのは切なく思われますが」
「“一片の花飛びて春を減却し、風は萬點を飄して正に人を愁えしむ。且つ看る盡きんと欲する花の眼を経るを、厭ふ莫かれ多くを傷む酒の脣に入るを。”……というところか。残念ながらお前は酒を飲めぬようだがな」
「いつか飲めるようになったならば、またお伺いしてもよろしいでしょうか」
少年の問いを、男は「好きにしろ」と興味の薄い声で受けた。
「“苑邊の高塚に麒麟臥す”、という。それも風情のあることだろうよ。……ああ、しかし暫し待て」
ふと何か思いついたように言うと、男は立ち上がった。と見るや、腰に無造作に佩いた剣が残像と共に抜かれて戻る。
少年が瞬くうちに、一枝の桜が切られて落ちる。それを顎で示して、男は「持っていけ」と再び桜の下に坐した。
地に広がる桜の花びらの中、落とされた花枝もまた、はらはらと花を落とした。
少年は僅かに歩み寄り、その枝を拾い上げる。男はその様子を見ない。代わりのように傍らの盃を取って呷った。
「頂けるのですか?」
「お前にへばりついている者共など俺は知らん。だが、俺がこちらに渡した黒い髪の子供にならば、一枝分けてやろう。……根付くかどうかは知らんがな」
男の言葉に、少年ははんなりと頬笑んだ。そっと花枝を胸に抱く。
そこに僅かにかかる長く伸びた髪は、黒い鋼に似た色だ。桜を散らす風に大きく巻き上げられ花の天蓋の陰りに暗く染まっても、昏黒の海には似ない。かつて異国に打ち寄せた波は、黒髪の子供を攫って戻さなかった。
「……有難うございます」
少年は小さく頭を下げると男に背を向けた。
呼び止める声はない。
桜の天蓋の下。黒鋼の髪をした少年の姿はやがて淡紅の中に消え、男は一人、再び汲んだ酒を呷った。


  一片花飛減却春 風飄萬點正愁人
  且看欲盡花經眼 莫厭傷多酒入脣
  江上小堂巣翡翠 苑邊高塚臥麒麟
  細推物理須行樂 何用浮名絆此身
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背景画像 瑠璃さま
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