「投稿作品集」 「12桜祭」

投稿します ネムさま

2012/05/06(Sun) 13:12 No.886
 これを思いついた時、頭の中にあったのは、李や桃が花盛りの甲府盆地なんですよね。 でも戴はイメージ的に北海道だから違うような… 北海道でも梨や桃は採れるそうですから、あとはファンタジーと言うことで(逃)

盛 春

ネムさま
2012/05/06(Sun) 13:13 No.887
 天から花が降ってくる

 そうした言葉が浮かぶほど、はらはら絶え間なく花弁が舞い落ちる。花弁の雨の先には、晴れ渡る空、今だ雪を被る山脈、そして白い梨花や咲き初めの桃の花、一斉に芽吹いた若葉に埋もれる春の山里。
 ふと、目を野の花が広がる斜面に移すと、十位の少女が駆け上ってくる
「また花弁を墓に供えるのか」
 李斎が柔らかに問うと、少女は思い切り首を縦に振る。
「だって、これはおばあちゃんの木だもん」
 そうして手にした小さな籠から糸と針を取り出して、せっせと辺りの花弁を拾い始める。その姿を見て李斎がくすりと笑うと、少女は訝しげに首を傾げる。
「いや、お前の父や祖母も、そうやって懸命に花弁を集めていたと、思い出して」
 そう言われて、少女は益々不思議そうな顔をする。この目の前にいる若くて美しい閭胥が、自分の亡くなった祖母より年上とは、どうしても信じられない。
「李斎は鴻基で偉い人だったんでしょ。どうして呀嶺(ここ)にいるの?」
 前にもこうして尋ねたことがある。そして、やはりその時も、李斎は微笑んだまま里を眺めるだけだった。
 少女は首を巡らし、静かに花を降らす桜の大樹を見上げる。一度滅んだと言われるこの地で、再び生った子供である祖母が生まれた時、李斎が植えたという、この桜の木を。


 “戴の折山”と呼ばれた阿選の乱が収まってから五年余、李斎は自分の周囲に妙な気配を感じるようになった。それは若い兵士であったり、長く勤める官吏であったりと様々であったが、みな一様に真面目で疲れた表情をしていた。
“戴は本当に再生できるのでしょうか”
 疲弊しきった国土は、他国からの援助でようやく保っているという時期だった。それでも持ち堪えているのは、無事復位した驍宗の手腕に因るものだ。李斎がそう強く言い慰めると、相手は言い募る。
“しかし、あれだけの大乱となったのは、主上の為人のせいもあるのでは”
 小さく怯えながらも問う相手に、李斎もつい言葉に詰まる。やがて相手の問いは一つ二つと増えていく。
“こうして他国の援助が受けられるのも、貴女が利き腕を失くしてまで虚海を渡ったお蔭では”
“元々台輔は貴女を慕っていたとか”
 異様な熱の籠った視線を感じ、李斎は戦慄した。先の見えない復興作業に人々は倦み始め、その出口を“救国の英雄”である李斎に求めようとしていたのだ。
“私は慶を沈めようとし、また戴を見捨てようとした罪人なのだ”
 李斎の叫びは、しかし“人心を動揺させぬように”と、驍宗と泰麒から強く止められていた。再び戴を争いの地にさせない為、李斎は驍宗に願い出た。
“先の大乱で、自分と共に戦った為、もしくは自分を匿った為に命を落とした者達を弔う旅に出たい”
 驍宗は黙って頷いた。ただ一言以外は。
“仙を抜けることだけは許さぬ”。
 巡礼の旅は、予想以上に辛いものとなった。自分の支持者から隠れながらの旅となり、また探し出した遺族から激しい恨みの言葉を受けることもあった。自国の朝より、長く救援に来てくれる他国の派遣団を頼りにしている民の姿を、改めて見るのも寂しかった。
“自分に出来ることは無いのだろうか”
 悩み疲れて辿り着いた呀嶺は、今だ無人の地だった。しかし、人のいないはずの崩れた祠廟と里木の周りに、荊柏の白い花が咲き乱れているのを見た時、李斎はそこで“待つ”ことを決めた。
 片手で不自由しながらも、里木と祠廟そして土地を少しずつ整えていった。やがて ― 一組の夫婦がやって来た。呀嶺が攻められた時、偶然他所に出かけて助かった人々の残りだという。
“私と妻の母達は、その後こっそり此処に戻り、荊柏の実を捧げてから雁に逃げました”
 その形見だという細帯を、李斎は左手でそっと捧げ持った。
 卵果が生ったのは三度目の夏、噂を聞いて、ぽつりぽつりと人が里に住み始めた頃だった。毎日里木に触れ卵果を見上げる李斎へ、元天官だったという老人が笑って言った。
“まるで言い伝えにある、捨身木の下の女怪のようだ”と。
 次の春、卵果から女の赤ん坊が生まれると、それを待っていたかのように、黒い天馬が里のはずれに舞い降りた。その背から下りた、鋼色の長い髪の少年は、一本の桜の苗木を持っていた。
“桜です。ここで生まれた子供へのお祝いです”
 飛燕の首に埋めていた顔を起こして不思議そうに見る李斎に、泰麒は苦笑した。
“春の花と言ったら、この花しか浮かばなかったんです。
 この地に根付かせるのは難しいかもしれないけど、寒さに強い種を選んだし、戴の気候がもっと安定すれば…”
 そして黒い瞳に強い光を宿して言った。
“この地に、そして戴国中に木が根付き、花が咲くように、僕と主上は努めています。この花が貴女へ、そして民へ贈る花束と思って”
 すでに自分と変わらぬ背の少年を見つめ、李斎は頷いた。すると途端に泰麒は顔を歪め、かつて白圭宮から飛燕に縋って見送った頃に戻り、李斎を抱きしめた。
“必ず、毎年、贈るから”
 結局その桜が花を咲かせるのに、6年掛かった。それでも春ごとに野に山に咲く花は増え、夏から秋には実を結ぶ。李斎にはまるでそれが、遥か山の彼方にいる人々から贈られてくるように思われた。そして全てが愛おしかった。


 李斎は追憶の淵から、我に返った。傍らにいる少女は、落ちてくる花弁をじっと見つめている。
「どうした」
 李斎が問うと、少女は花弁を指さして言う。
「何だか、泣いているみたい」
 風もないのに絶え間なく降る花弁は、その形と相まって、確かに涙のようにも見えてくる。
「泣いているの?」
 黒い瞳が李斎を見上げる。ほんの一瞬、李斎は目を見開いた。
 少女の肩に片方だけの手が優しく掛かる。遠い昔にそうしたように、李斎は静かに微笑み、小さな体を抱きしめる。
― 私の大切な方達の御代が、いつまでも続きますように ―
 桜の花弁は降り続ける。その先には、若葉に包まれた色とりどりの花の里、遥かに続く残雪の山、青い空 ― 北の地は、今まさに春の盛りを迎えようとしている。
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