「投稿作品集」 「12桜祭」

最後に一つ ネムさま

2012/05/16(Wed) 00:54 No.1006
 最終日に来られないかもしれないので、一作投稿させて頂きます (コメントにはまだ来ますよ)。

どこまでも続く並木道

ネムさま
2012/05/16(Wed) 00:54 No.1007
 花弁は厚い隔壁も飛び越して街中に舞い降り、春を告げる。増して薄暗い門を抜け、右手から薄紅の花々が一斉に天を覆う様を目にすると、人々は歓声を上げ、春の到来を喜ぶのだ。
「ここは変わらないね」
 門を抜けたばかりの緋色の髪の少女も例に漏れず、顔を上げ溜息を吐く。
「浩瀚様が県正として赴任した時、既にこんな風でしたね」
 少女の背後から付いてきた背の高い男も目を眇めて言う。彼らの視線の先には幅広い街道も覆うかのように、高く長く枝を伸ばした桜の並木が続いている。 
 桜並木のすぐ外側に、これは常緑樹や果実の生るものなど様々な木々が並び、二重の並木は奥行きを深いものとしている。更に道の曲がり具合のせいもあるのか、並木の終わりが見えず、特にこの季節は“果ての無い桜の城壁のよう”と人々は感嘆する。
「でも以前来た時は“隧道のよう”って言われてたんだよね」
 右手の桜を見上げながら、少女が呟く。そして急に小さく笑った。
「初めてここへ連れてきてもらった時、桓タイに意地悪を言われたんだっけ。覚えてる?」
「まぁあの頃は、純粋な主上にいろいろ教えなくては、なんて教育熱に燃えていたかもしれませんねぇ」
 けろりとした表情で答える男―桓タイと、“純粋なのはあの頃だけか”と抗議の声を上げた少女―陽子は、桜の木の下、すぐに声を上げて笑い合う。その笑いに応えるように、花弁がふわりと舞った。

 赤王朝がようやく軌道に乗り出した頃、麦州への視察について話し合う最中、ふとこの県城の門外から続く桜並木のことが話題になった。
「見てみたいな」
 余程行きたそうにしていたのか、冢宰が気を利かせて視察を花の季節にしてくれた。そして視察の途中、お忍びで陽子はここまで花を見に来たのだった。
 薄紅に覆う並木の下を踊るように陽子は歩いた。そしてふと、木の下にいる兵士達の姿に気が付いた。
「何故、州師の兵が木の世話をしているんだ」
 陽子の問いに、警護に付いて来た桓タイが答えた。
「ここは正規の街道ですから、道の整備は県に常駐する軍の担当なんですよ」
「そうか、こっちでは土木工事も軍の管轄だったね。でも偉いな」
 陽子がうれしそうに言うのを聞き、桓タイは少し戸惑い気味に答えた。
「幅広の街道は、事があれば軍用に転じます。だから常に整備しておかねばなりません」
 一拍おいて、陽子は小さく頷いた。
「そうか。木が倒れたりしたら、行軍に支障があるからね」
「切り倒すのも、戦法の一つとされています」
 思わず振り仰ぐ陽子の顔を、桓タイは今度は真面目に見返した。
「道の内側に倒せば敵の行軍を、周囲に転ばせば農地からの侵入の防ぎにも使えます。切る時間がなければ、燃やせばいいでしょう」
「…そんなことを考えながら、木の世話をしているのか」
「役目ですから」
 そこで桓タイは一息つき、周囲を見渡した。
「麦州は、松塾の影響もありますが、独立の気風が強い。青海に面し他国と交易できる強みもありますし、堯天とは昔から何かとありました。この街道は瑛州と繋がっていますから、特に意識せざるを得ないのですよ」
 黙って俯いてしまった陽子に、少し声を和らげて桓タイは続けた。
「並木に桜を選んだのは浩瀚様の2代前の県正だそうです。きれいな花の咲く木なら中央に対して目くらましになるから、などと言う者もいましたが、浩瀚様は“ただ当時の県正がお好きだったからだ”と笑っておっしゃってましたよ」
 それでも陽子はしばらく黙りこんでいたが、急に顔を上げて言った。
「つまり“事”が起きなければ、並木を切るなんて考えなくていいんだ」
 それから翠玉の瞳に強い光を宿し、桓タイを見上げる。
「私は、王がいれば国が平らかになるからと言われて、王になったんだ。だから、この並木は切らせない」
 そして来た時とは反対に、猛烈な勢いで桜並木の下を歩き出した。

 しかしその年の冬、僅かな失火から、並木は火の波となり消え失せた。

 陽子は街道の左手を見上げた。春の柔らかな青空が広がっている。
「でも風向きのせいで、右の列は無事だったんだね」
「県城の内も外も、皆で懸命に消し止めようとしたそうです」
 陽子は静かに頷き微笑んだ。
「あの時は、自分一人が気張っても、どうしようもないことがあるって、しみじみ思ったな」
 そしてゆっくり街道の左端へと歩み寄る。そこには細い木が立っており、けれども更に細い枝先には、ふわりと小さな花が一束咲いていた。
「本当に“やられた”って、思った」
 翠玉の瞳が巡らす先には、同じようにまだ若く細い桜の木々が、街道に沿って延々と続いている。いくつかは大きく花を咲かせ、その下には露店や早い昼食を広げる者もおり、苗木のままの木の傍には、手入れをしている者の姿があった。陽子はそれらの風景を目を細めて見つめる。
 桜並木の片側が焼失してから間もなく、街道の脇に、一つ二つと、桜の苗木が植えられたという。県城の住人や近辺の農家の者が持ち寄り、世話を始めたらしい。そして噂が慶国中に広がると、今度はその桜並木を見たことがあるという人々から、県城に桜が送られてきた。
「州と中央のいがみ合いなんか、ここの桜に感動した人々には関係なかったんだね」
「まぁ、公道に勝手に木を植えるなんて、という方々もいましたけど、どなたかが“元の姿に戻るだけだから良いだろう”とおっしゃって、沙汰やみになったこともありましたね」
笑い含みの言葉に“そういう時のために在るんだろ”と陽子も笑って答える。その笑顔を見て、不意に桓タイがにやりと笑った。
「でも、私は必要とあらば、自分の役目に従いますよ」
「もちろん。私も絶対、お前に切らせない」
 それから二人は盛大に噴出した。
 門の方から声がした。食べ物を抱えた虎嘯や祥瓊、鈴達が手を振っている。手を振り返して陽子が言う。
「行こうか」
 桓タイは軽く頭を下げ、一歩下がって陽子の後ろに附いていく。やがて緋色の髪も街道を行き交う人々に紛れ、並木道には花弁が流れ、彼方へと続くようだった。

― 了 ―
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